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銭湯・奥の細道 (東北と全国の銭湯巡り)

東北を中心に、全国の銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ・共同浴場を紹介します!

2023年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2023年11月

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新しい銭湯の歴史① 江戸から明治・大正時代の銭湯を振り返る


10月10日は1010(セントー)で銭湯の日♨
ということで、銭湯の歴史を振り返る記事を書いていこうと思います。

第1回は、江戸・明治・大正時代。第2回は、大正末から昭和初期
第3、4、5回は、戦時中と終戦、戦後の昭和、平成という感じで書いていく予定です。

 特に、戦後昭和の銭湯の歴史はまだ誰もちゃんとまとめていないので、時間はかかるかも知れませんが、書いていきたいという目標があります。間違いなく銭湯が熱湯のように一番熱かったあの時代が、銭湯の本でもわずか数ページ(酷い場合は数行)なんて!「銭湯が減った」だけの雑な捉え方で書かれるなんて!本当もったいない。

とりあえず、今回は、江戸・明治・大正時代です。

これ読んで、銭湯に興味持ってくれる方が一人でも増えるとうれしいです


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江戸時代の銭湯 『湯屋』


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豊原国周筆「肌競花の勝婦湯」 慶応初年(1865)頃  『日本裸体美術全集 第4巻』より


キーワード:伊勢の与一、戸棚風呂、柘榴口、湯女・2階座敷、入込み湯(男女混浴)

 江戸の銭湯「湯屋」の始まりは、徳川家康入国の翌年天正19年(1591)に銭瓶橋のほとりに伊勢出身の与一という者が建てた「せんとう風呂」とされる。その後、江戸の町に急速に「湯屋」は増えていった。京都や大阪は、新開拓の江戸とは違い、前時代からの銭湯「町湯」が引き続いてあり、変化発展していったと考えられる。

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湯気が充満した「戸棚風呂」 植田敏郎『裸天国 : 世界浴場物語』より

 江戸時代の銭湯「湯屋」は、下半身だけ熱い湯に浸かり上半身を蒸気で蒸す半身浴&蒸気浴の入浴スタイルが一般的で、「戸棚風呂」という戸のついた狭い浴室に入る形や、のちに登場する「柘榴口(ざくろぐち)」という狭く低い入口から入る形だった。浴室内は前が見えないほど暗く、もちろん現在に比べ給湯設備も整っておらず、お湯はかなり汚れていたことが想像できる。なので、湯上がりや体を洗う時には、洗い場の奥で「岡湯(上がり湯)」のきれいなお湯をもらい使った。

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江戸の湯屋:柘榴口や洗い場、岡湯などの様子が分かる。 式亭三馬 著『浮世風呂』より
 
 戸棚風呂に変わる形で登場した『柘榴口(ざくろぐち)』。浴槽内の熱気が外に逃がさない為の工夫で、お客はこの低い入口をかがんで浴槽に入っていった。柘榴口には、その湯屋の自慢の装飾がされていて、豪華な彫りや黒漆、金箔などが施されていてその華やかさを競ったそう。こうした柘榴口の装飾が、形を変えてその後の銭湯のペンキ絵やタイル絵の伝統に受け継がれていったのではないかと考えられる。
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左:江戸の柘榴口。右:大阪の柘榴口 の一例。 喜田川守貞『守貞漫稿』より

 江戸の銭湯「湯屋」の増加とともに「湯女(ゆな)」も増えていった。湯女とは、お客の髪洗いや垢かき、お茶や酒を振る舞ったり、三味線や踊り、枕をともにしたりと様々なサービスを行う女性である。幕府はたびたび禁令をしたが守られず、ついに明暦3年(1657)に湯女を一切禁止とし、江戸の銭湯のうち200軒を取り潰し、湯女600人を強制的に吉原に送った。その後、湯女のサービスの場だった2階の座敷には休憩所が設けられ、囲碁や将棋をしたりお茶や菓子のサービスもあり、庶民(男性)の社交場となっていた。

 また、繰り返し禁止お達しは出ていたが、男女別の入浴が徹底されていない「入込み湯(混浴)」が多く存在した。
 江戸の町には、男湯と女湯を仕切った湯屋、男湯のみ湯屋、女湯のみ湯屋、日や時間帯で男女替わる湯屋、入込み湯(男女混浴)など様々な営業形態があったそうだ。大阪など上方の湯屋は、ほとんどが入込み湯(混浴)で、禁止令が出た後も浴槽部分を男女別に区切ったのみで、他の部分はほとんど変わらないままだった。

 このように、江戸時代の湯屋は、庶民のいこいの場ではあったが、風紀面・衛生面に課題や問題も多かった。

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左:江戸の湯屋 右:大阪の湯屋  喜田川守貞『守貞漫稿』より

 上記の図から、江戸時代の「湯屋」の構造の特徴が分かる。板間(脱衣所)、流し(洗い場)、柘榴口、浴槽など大枠の配置は江戸と大阪で共通だが、前述した男女の区切りや二階への梯子、入口と土間や高坐(番台)、上がり湯などの位置や設備がかなり違う事が読み取れる。

 江戸時代は、防火上や費用の観点もあり、家に入浴設備があるのはよほど上層の者に限られていた。また、江戸の湯屋は、湯屋株という営業権を持っていないと営業できないなど、軒数や新規営業が制限されていた「湯屋仲間」。

☆江戸の湯屋は、時期によって変化はあるが、江戸時代後期で500~600軒。
☆湯銭(入浴料)は大人12文、小人10文、乳呑児8文。


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ペリーの随行したドイツ人の画家ヴィルヘルム・ハイネが描いた幕末の下田の湯屋「A public bath at Simoda」





明治時代~大正前半の銭湯 『改良風呂』


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『改良風呂』ランプもついて明るく開放的になった浴室、流しをする三助さんの姿も見える。 『東京風俗志』中の巻より


キーワード:改良風呂の登場、板張り木製、湯屋取締規則、銭湯ペンキ絵、浴場組合

 明治時代になると、銭湯の建築・開業ラッシュが起こる。これは武士や武家に使えていた者の多くが庶民生活に入ったことと、武家屋敷の売却や解体によって古い木材が非常に安い値段で大量に入手出来た状況により、銭湯の需要と供給がともに高まったからと考えられる。幕末500~600軒だった江戸の銭湯の数が、明治3年(1870)頃には東京の銭湯は1,300軒にまで一気に増えたそう。ただ、明治初期の銭湯は、まだ柘榴口などほぼ江戸時代の湯屋形式を踏襲したものだった。

 それから10年後、銭湯の歴史における「近代化」と呼ぶべき変化が起こる。明治10年(1877)頃に、東京神田に鶴澤紋左衛門という人が作った「改良風呂」(温泉地の浴室を参考に、肩まで浸かれるたっぷりの湯舟、柘榴口を廃し浴槽と洗い場の仕切り壁がなくなり、天井を高く湯気抜き窓を設置した、明るく開放的な浴室が特徴。)が人気になった。
 
 明治12年(1879)に東京府で「湯屋取締規則」が制定され、再度の混浴禁止の徹底、明治18年(1885)11月までの柘榴口の廃止と改装が命じられ、この時期に早いスピードで改築が進んで、その後改良風呂が主流となっていく。これ以降、他県でも同様の規則が制定されていった。明治30年(1897)~40年(1907)頃には、江戸時代の湯屋の形式の銭湯は、地方でもほぼ姿を消したそうだ。

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五姓田義松『銭湯』 明治期の銭湯(女湯)の様子がよく分かる。

 当時の東京の銭湯は、暁(夜明け)に開き夜半に閉まる、という営業時間で、湯舟のお湯は浸かるのが難しいほど非常に熱かったが、それでもみな我慢して入っていたそう(笑)。体を洗う時や湯上がりには、浴槽のそばに設置されていた「上がり湯」を汲んで使った。明治・大正前半までは、まだ洗い場も板張り、浴槽も長方形の木製だった。また、草津・伊香保、熱海などの温泉地から取り寄せた温泉の湯の花や原湯を入れた「再生温泉」や薬石をいれた「薬湯」なども登場し、銭湯同士の競争も激しくなっていった。
 銭湯でよくイメージする富士山の銭湯ペンキ絵が東京のキカイ湯に初めて登場したのも、この時期である。


 前述の「湯屋取締規則」の変更にともない、従来の湯屋株仲間にかわって、銭湯の同業者団体「浴場組合」が各地で結成され、業界の発展とともに統合拡大し道府県組合となった。東京では明治40年(1907)に東京市15区と南葛飾、北豊島、豊多摩、荏原の4郡の湯屋約1,000軒を統合し「東京浴場組合」が設立された。
 また、明治以降終戦の昭和20年まで、全国の銭湯は警察の管轄下にあり、開業や改装などもその都度、地元の警察に届け出を出していた。警察の銭湯に対する検査や取締は非常に厳しかったと当時を経験している銭湯経営者は語っている。

☆明治41年(1908)東京市の湯屋879軒、郡部338軒、計1,217軒。
☆当時の東京市の湯銭(入浴料)は、大人3銭、中人2銭5厘、小人2銭、流し1銭


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 銭湯の建物は、内部から常に水と熱、湿気にささらされているので、他の建物よりも劣化や老朽化が早い。営業を続けていく為には、数十年に一度大規模な改修工事が必要である。その為、この明治期に建てられた銭湯は現在ほとんど残っていない。数少ない例外として、鳥取県倉吉市にある「大社湯(第三鶴の湯)」は、明治後期創業でその後何度か増築や改修をしているが、明治期の銭湯の構造をいまに留めている。カランのない浴室や浴室レイアウトの違い、全体のサイズの小ささなど、実際に入浴したとき結構戸惑った記憶がある。だが、2022年11月をもって営業終了、うーん残念。

 また、愛知県の明治村に移築された「半田東湯」は、明治後期の銭湯の設備や雰囲気を知る事ができる。



○おまけ
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『風俗画報』明治38年3月号

 これはなんの絵でしょう?明治時代のキャバクラか風俗店でしょうか?
 いえ違います、銭湯です。東京の銭湯の2階は、明治になってもしばらくは江戸時代の名残で、男性客のいこいの場として繁盛していました。2階座敷には、美女が数人常駐していて、湯上がりに体をふいてくれたり、お茶や菓子を出してくれたり、おしゃべりしたり接待してくれます。これは明治14か15年頃の銭湯の2階を描いた絵です。男性客の楽しそうな様子が伝わってきますね。ただ、2階の座敷は、湯銭以外に菓子代や女性へのご祝儀など、多くの追加料金が掛かったそうです。その後、風紀を乱すという理由で取締を受け、明治時代の末頃にはこうした風景もほぼ姿を消したそうです。



ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

それでは、また次回




※江戸から明治・大正時代の銭湯の歴史について、より知りたい方は※

・中野栄三 『銭湯の歴史』  雄山閣 1970年
日本人の入浴の歴史、浴場形態の変遷、江戸の湯屋、明治大正時代までの銭湯の歴史、生活風俗などが取り上げられている。現在は『入浴と銭湯』 (雄山閣アーカイブス) として入手可能、内容は同じ。

・社団法人 日本銭湯文化協会編 『銭湯検定公式テキスト』  草隆社 2009年
江戸時代から現代に至るまで、銭湯の歴史や文化、日本人の銭湯・入浴事情を幅広く解説。2020年に改訂版出てます(1と2) 1では銭湯の「歴史」「建築」「雑学」 2では銭湯入浴医学や健康法が書かれている。


上記の2冊が読みやすくオススメです♨





◎新しい銭湯の歴史

江戸時代 『湯屋』
伊勢の与一、戸棚風呂、柘榴口、入込み湯(混浴)、湯女・2階休憩所。庶民のいこいの場であるが、風紀・衛生面で課題多し。

明治時代~大正前半 『改良風呂』
明るく開放的な改良風呂の登場、板張り木製、湯屋取締規則、銭湯ペンキ絵、浴場組合

大正後半~昭和10年代(1923~1941) 関東大震災からの復興/第1次銭湯黄金期

カラン、タイル張り、現在の銭湯の近い型ができる。外装や内装にこだわった宮造り、洋館風の銭湯の登場。

太平洋戦開戦~終戦(1941~1945) 銭湯苦境の時代
銭湯にも入浴客にも様々な制限がかかり、苦境の時代。東京や大阪など都市部は空襲で焼け野原に。

昭和20年代(1945~1954)  戦後の銭湯復興期
燃料や資材不足、インフレなどの問題はあったが、銭湯の再建・再開が大いに進む。公衆浴場法制定。

昭和30年代(1955~1964)  第2次銭湯黄金期

高度成長期とともに公衆浴場への需要は高くが、全国で浴場数は増加の一途を辿る。

昭和40年代(1965~1974)  銭湯安定期
銭湯の軒数などは最高も記録しつつも、40年代後半から新規開業が止まり銭湯衰退の兆しが。

昭和50年代(1975~1984)  銭湯斜陽期
サウナ、超音波など設備の充実。家庭の内風呂が急速に普及し、入浴客の激減、地方では廃業する銭湯が非常に増える。

昭和60年代・平成初期(1985~1994) 銭湯衰退期
設備の改修や建替えが進む一方、大都市部やその近郊でも廃業する銭湯が増え、銭湯減少が顕著に。

平成(1995~) 銭湯多様化の時代
家に風呂があるのが当たり前になり、スーパー銭湯、スポーツ施設、日帰り温泉など様々な公衆浴場が増える。

令和(2019) ???






○参考文献

『守貞漫稿』 喜田川守貞
『東京風俗志』  平出 鏗二郎  富山房 1901
『裸天国 : 世界浴場物語』  植田敏郎   宮川書房 1967
『銭湯の歴史』  中野栄三  雄山閣 1970
『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972
『物語ものの建築史 風呂のはなし』  山田幸一、大場修  鹿島出版会  1986
『いま、むかし・銭湯』  山田幸一監修  株式会社INAX 1988
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984
『創立五十周年記念誌』 板橋浴場組合 1979
『半世紀の思い出』 池袋浴場組合 1978
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985
『特別展 ゆ ~お風呂の文化史~』  埼玉県立博物館  2000
『銭湯検定公式テキスト』  社団法人 日本銭湯文化協会編 草隆社 2009
『ビジュアル 日本の住まい ④近現代(明治時代~現代)』 家具道具室内史学会  ゆまに書房  2019





◎新しい銭湯の歴史① 江戸から明治・大正時代を振り返る

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