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銭湯・奥の細道 (東北と全国の銭湯巡り)

東北を中心に、全国の銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ・共同浴場を紹介します!

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全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和6年2024年最新版)

 全国の銭湯(一般公衆浴場)の入浴料金は、各都道府県によって違い、県の協議会・審議会で審議され知事によって決定されています。(※スーパー銭湯や日帰り温泉は全く別の入浴料金です。)
各県庁や浴場組合、厚生労働省の情報を独自に調べて、一覧表にまとめたものです。

2022~24年は、燃料など諸経費高騰により、今後の値上げ改定を予定している都道府県が複数あります。
改定予定の都道府県は、改定後の入浴料金が表示してあります。
赤字は、近年改定した都道府県と改定する値上げ幅です。
入浴料金は上限価格であり、その地域やその銭湯によってはこれより安い値段で営業している場合もあります。
また、お得な回数券やサウナ利用で追加料金を設けている銭湯や都道府県もあります。

各県の入浴料金の比較や浴場組合内での会議の資料とかに使えるかなと思い、作りました。
リンクフリーです。もし印刷等して使う場合は、こちらに メールもらえるとうれしいです。
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〇関連記事
・ 全国の銭湯のマップ・一覧→ 全国 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ&全軒一覧
・ なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る


◎全国の銭湯(一般公衆浴場)入浴料金と軒数 一覧表
銭湯・奥の細道・調べ(2024年2月更新)  
都道府県大人料金(値上げ幅)中人(小学生)小人(未就学児)
洗髪料改定日銭湯の軒数(組合員)備考
全 国 3000(1865)
北海道490 (↑10)150 (↑10)80 (↑10)2023年10月 218 (113)
青 森480 (↑30)
170 (↑20)80 (↑20)2023年4月 276 (53)
秋 田460130902019年1月 13 (-)
山 形300120801995年4月  0  (-)
岩 手480170802020年4月 13 (-)
宮 城480 (↑40)160 (↑20)90 (↑10)2023年1月 6  (-)
福 島450150902018年4月 9  (5)
栃 木460 (↑40)200 (↑20)100 (↑10)2023年2月 8  (4)
群 馬450 (↑50)200 (↑20)100 (↑20)2023年8月 18 (11)
茨 城350130701998年3月 1  (-)
千 葉500 (↑20)170 (0)70 (0)2023年12月 38 (38)
埼 玉500 (↑20)200 (↑20)70 (0)2024年4月 35 (34)
東 京520 (↑20)200 (0)100 (0)2023年7月 467 (473)
神奈川530 (↑30)200 (0)100 (0)2024年2月 120 (126)
山 梨430170702019年12月 22 (12)
長 野500 (↑60)170 (↑20)
80 (↑10)24年4月予定 31 (13)
新 潟480 (↑40)150 (0)70 (0)2023年1月 26 (21)
静 岡490 (↑40)200 (↑20)100 (↑10)2023年10月 11 (7)
愛 知500 (↑40)180 (↑30)100 (↑30)2023年4月 71 (69)
岐 阜500 (↑40)180 (↑20)
100↑202023年4月 18 (16)
三 重470 (↑30)150 (0)
70 (0)
2023年4月 24 (19)
石 川490 (↑30)130 (0)50 (0)
2023年4月 67 (37)
富 山470 (↑30)150 (↑10)70 (↑10)2023年4月 73 (51)
福 井490 (↑40)160 (0)70 (0)
2024年1月 15 (16)
滋 賀490 (↑40)150 (0)100 (0)
2023年5月 15 (12)
京 都490 (↑40)150 (0)60 (0)2022年10月 143 (106)
大 阪520 (↑30)
200 (0)100 (0)
2023年8月 400 (308)
兵 庫490 (↑40)180 (↑20)80 (↑20)2023年2月 147 (85)
奈 良480 (↑40)200 (↑40)100 (↑20)2023年10月 20 (14)
和歌山440150802019年10月 26 (11)
岡 山450 (↑20)200 (↑40)100 (↑30)2022年12月 12 (8)
広 島480 (↑30)200 (0)100 (0)2022年11月 42 (26)
山 口450 (↑30)160 (↑10)80 (0)2022年5月 17 (12)
鳥 取450150802021年4月 16 (6)
島 根430 (↑80)160 (↑30)90 (↑20)2023年5月 1 (-)
香 川450 (↑50)
150 (0)60 (0)
2023年10月 16 (11)
愛 媛450 (↑50)150 (0)60 (0)
2023年4月 27 (19)
徳 島450 (↑50)150 (0)70 (0)2023年1月 25 (13)
高 知450 (↑50)
150 (0)60 (0)
2023年10月 7 (-)
福 岡480 (↑30)200 (↑20)100↑302023年4月 32 (24)
佐 賀28013080501996年2月 1 (-)
長 崎400 (↑50)150 (0)80 (0)
2023年4月 14 (8)
大 分430 (↑50)160 (↑10)80 (↑10)2022年12月 128 (6)
熊 本450 (↑50)150802022年11月 64 (11)
宮 崎350130602008年2月 10 (4)
鹿児島460 (↑40)150 (0)80 (0)2023年12月 255 (62)
沖 縄3701701002006年2月 2 (1)


それぞれの都道府県の銭湯(一般公衆浴場)軒数と、(その中の公衆浴場組合員数)は、
一般公衆浴場数は、「厚生労働省の衛生行政報告」の令和4年度(2023年3月)の公営と私営合わせた軒数、
各県の公衆浴場組合員数は、「全国公衆浴場業者 東京都大会」資料の2022年4月現在の組合員数。
組合員数が「ー」になっている県は、すでに県の公衆浴場組合(銭湯の同業者団体)が解散している県です。


ちなみに、入浴料金が極端に低い県は、その県の銭湯の数が減りすぎて、浴場組合が解散したり実質活動停止状態になり、ここ10年以上入浴料金の審議会が開かれていない県です。


◎全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (最新版)


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新しい銭湯の歴史① 江戸から明治・大正時代の銭湯を振り返る


10月10日は1010(セントー)で銭湯の日♨
ということで、銭湯の歴史を振り返る記事を書いていこうと思います。

第1回は、江戸・明治・大正時代。第2回は、大正末から昭和初期
第3、4、5回は、戦時中と終戦、戦後の昭和、平成という感じで書いていく予定です。

 特に、戦後昭和の銭湯の歴史はまだ誰もちゃんとまとめていないので、時間はかかるかも知れませんが、書いていきたいという目標があります。間違いなく銭湯が熱湯のように一番熱かったあの時代が、銭湯の本でもわずか数ページ(酷い場合は数行)なんて!「銭湯が減った」だけの雑な捉え方で書かれるなんて!本当もったいない。

とりあえず、今回は、江戸・明治・大正時代です。

これ読んで、銭湯に興味持ってくれる方が一人でも増えるとうれしいです


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江戸時代の銭湯 『湯屋』


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豊原国周筆「肌競花の勝婦湯」 慶応初年(1865)頃  『日本裸体美術全集 第4巻』より


キーワード:伊勢の与一、戸棚風呂、柘榴口、湯女・2階座敷、入込み湯(男女混浴)

 江戸の銭湯「湯屋」の始まりは、徳川家康入国の翌年天正19年(1591)に銭瓶橋のほとりに伊勢出身の与一という者が建てた「せんとう風呂」とされる。その後、江戸の町に急速に「湯屋」は増えていった。京都や大阪は、新開拓の江戸とは違い、前時代からの銭湯「町湯」が引き続いてあり、変化発展していったと考えられる。

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湯気が充満した「戸棚風呂」 植田敏郎『裸天国 : 世界浴場物語』より

 江戸時代の銭湯「湯屋」は、下半身だけ熱い湯に浸かり上半身を蒸気で蒸す半身浴&蒸気浴の入浴スタイルが一般的で、「戸棚風呂」という戸のついた狭い浴室に入る形や、のちに登場する「柘榴口(ざくろぐち)」という狭く低い入口から入る形だった。浴室内は前が見えないほど暗く、もちろん現在に比べ給湯設備も整っておらず、お湯はかなり汚れていたことが想像できる。なので、湯上がりや体を洗う時には、洗い場の奥で「岡湯(上がり湯)」のきれいなお湯をもらい使った。

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江戸の湯屋:柘榴口や洗い場、岡湯などの様子が分かる。 式亭三馬 著『浮世風呂』より
 
 戸棚風呂に変わる形で登場した『柘榴口(ざくろぐち)』。浴槽内の熱気が外に逃がさない為の工夫で、お客はこの低い入口をかがんで浴槽に入っていった。柘榴口には、その湯屋の自慢の装飾がされていて、豪華な彫りや黒漆、金箔などが施されていてその華やかさを競ったそう。こうした柘榴口の装飾が、形を変えてその後の銭湯のペンキ絵やタイル絵の伝統に受け継がれていったのではないかと考えられる。
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左:江戸の柘榴口。右:大阪の柘榴口 の一例。 喜田川守貞『守貞漫稿』より

 江戸の銭湯「湯屋」の増加とともに「湯女(ゆな)」も増えていった。湯女とは、お客の髪洗いや垢かき、お茶や酒を振る舞ったり、三味線や踊り、枕をともにしたりと様々なサービスを行う女性である。幕府はたびたび禁令をしたが守られず、ついに明暦3年(1657)に湯女を一切禁止とし、江戸の銭湯のうち200軒を取り潰し、湯女600人を強制的に吉原に送った。その後、湯女のサービスの場だった2階の座敷には休憩所が設けられ、囲碁や将棋をしたりお茶や菓子のサービスもあり、庶民(男性)の社交場となっていた。

 また、繰り返し禁止お達しは出ていたが、男女別の入浴が徹底されていない「入込み湯(混浴)」が多く存在した。
 江戸の町には、男湯と女湯を仕切った湯屋、男湯のみ湯屋、女湯のみ湯屋、日や時間帯で男女替わる湯屋、入込み湯(男女混浴)など様々な営業形態があったそうだ。大阪など上方の湯屋は、ほとんどが入込み湯(混浴)で、禁止令が出た後も浴槽部分を男女別に区切ったのみで、他の部分はほとんど変わらないままだった。

 このように、江戸時代の湯屋は、庶民のいこいの場ではあったが、風紀面・衛生面に課題や問題も多かった。

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左:江戸の湯屋 右:大阪の湯屋  喜田川守貞『守貞漫稿』より

 上記の図から、江戸時代の「湯屋」の構造の特徴が分かる。板間(脱衣所)、流し(洗い場)、柘榴口、浴槽など大枠の配置は江戸と大阪で共通だが、前述した男女の区切りや二階への梯子、入口と土間や高坐(番台)、上がり湯などの位置や設備がかなり違う事が読み取れる。

 江戸時代は、防火上や費用の観点もあり、家に入浴設備があるのはよほど上層の者に限られていた。また、江戸の湯屋は、湯屋株という営業権を持っていないと営業できないなど、軒数や新規営業が制限されていた「湯屋仲間」。

☆江戸の湯屋は、時期によって変化はあるが、江戸時代後期で500~600軒。
☆湯銭(入浴料)は大人12文、小人10文、乳呑児8文。


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ペリーの随行したドイツ人の画家ヴィルヘルム・ハイネが描いた幕末の下田の湯屋「A public bath at Simoda」





明治時代~大正前半の銭湯 『改良風呂』


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『改良風呂』ランプもついて明るく開放的になった浴室、流しをする三助さんの姿も見える。 『東京風俗志』中の巻より


キーワード:改良風呂の登場、板張り木製、湯屋取締規則、銭湯ペンキ絵、浴場組合

 明治時代になると、銭湯の建築・開業ラッシュが起こる。これは武士や武家に使えていた者の多くが庶民生活に入ったことと、武家屋敷の売却や解体によって古い木材が非常に安い値段で大量に入手出来た状況により、銭湯の需要と供給がともに高まったからと考えられる。幕末500~600軒だった江戸の銭湯の数が、明治3年(1870)頃には東京の銭湯は1,300軒にまで一気に増えたそう。ただ、明治初期の銭湯は、まだ柘榴口などほぼ江戸時代の湯屋形式を踏襲したものだった。

 それから10年後、銭湯の歴史における「近代化」と呼ぶべき変化が起こる。明治10年(1877)頃に、東京神田に鶴澤紋左衛門という人が作った「改良風呂」(温泉地の浴室を参考に、肩まで浸かれるたっぷりの湯舟、柘榴口を廃し浴槽と洗い場の仕切り壁がなくなり、天井を高く湯気抜き窓を設置した、明るく開放的な浴室が特徴。)が人気になった。
 
 明治12年(1879)に東京府で「湯屋取締規則」が制定され、再度の混浴禁止の徹底、明治18年(1885)11月までの柘榴口の廃止と改装が命じられ、この時期に早いスピードで改築が進んで、その後改良風呂が主流となっていく。これ以降、他県でも同様の規則が制定されていった。明治30年(1897)~40年(1907)頃には、江戸時代の湯屋の形式の銭湯は、地方でもほぼ姿を消したそうだ。

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五姓田義松『銭湯』 明治期の銭湯(女湯)の様子がよく分かる。

 当時の東京の銭湯は、暁(夜明け)に開き夜半に閉まる、という営業時間で、湯舟のお湯は浸かるのが難しいほど非常に熱かったが、それでもみな我慢して入っていたそう(笑)。体を洗う時や湯上がりには、浴槽のそばに設置されていた「上がり湯」を汲んで使った。明治・大正前半までは、まだ洗い場も板張り、浴槽も長方形の木製だった。また、草津・伊香保、熱海などの温泉地から取り寄せた温泉の湯の花や原湯を入れた「再生温泉」や薬石をいれた「薬湯」なども登場し、銭湯同士の競争も激しくなっていった。
 銭湯でよくイメージする富士山の銭湯ペンキ絵が東京のキカイ湯に初めて登場したのも、この時期である。


 前述の「湯屋取締規則」の変更にともない、従来の湯屋株仲間にかわって、銭湯の同業者団体「浴場組合」が各地で結成され、業界の発展とともに統合拡大し道府県組合となった。東京では明治40年(1907)に東京市15区と南葛飾、北豊島、豊多摩、荏原の4郡の湯屋約1,000軒を統合し「東京浴場組合」が設立された。
 また、明治以降終戦の昭和20年まで、全国の銭湯は警察の管轄下にあり、開業や改装などもその都度、地元の警察に届け出を出していた。警察の銭湯に対する検査や取締は非常に厳しかったと当時を経験している銭湯経営者は語っている。

☆明治41年(1908)東京市の湯屋879軒、郡部338軒、計1,217軒。
☆当時の東京市の湯銭(入浴料)は、大人3銭、中人2銭5厘、小人2銭、流し1銭


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 銭湯の建物は、内部から常に水と熱、湿気にささらされているので、他の建物よりも劣化や老朽化が早い。営業を続けていく為には、数十年に一度大規模な改修工事が必要である。その為、この明治期に建てられた銭湯は現在ほとんど残っていない。数少ない例外として、鳥取県倉吉市にある「大社湯(第三鶴の湯)」は、明治後期創業でその後何度か増築や改修をしているが、明治期の銭湯の構造をいまに留めている。カランのない浴室や浴室レイアウトの違い、全体のサイズの小ささなど、実際に入浴したとき結構戸惑った記憶がある。だが、2022年11月をもって営業終了、うーん残念。

 また、愛知県の明治村に移築された「半田東湯」は、明治後期の銭湯の設備や雰囲気を知る事ができる。



○おまけ
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『風俗画報』明治38年3月号

 これはなんの絵でしょう?明治時代のキャバクラか風俗店でしょうか?
 いえ違います、銭湯です。東京の銭湯の2階は、明治になってもしばらくは江戸時代の名残で、男性客のいこいの場として繁盛していました。2階座敷には、美女が数人常駐していて、湯上がりに体をふいてくれたり、お茶や菓子を出してくれたり、おしゃべりしたり接待してくれます。これは明治14か15年頃の銭湯の2階を描いた絵です。男性客の楽しそうな様子が伝わってきますね。ただ、2階の座敷は、湯銭以外に菓子代や女性へのご祝儀など、多くの追加料金が掛かったそうです。その後、風紀を乱すという理由で取締を受け、明治時代の末頃にはこうした風景もほぼ姿を消したそうです。



ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

それでは、また次回




※江戸から明治・大正時代の銭湯の歴史について、より知りたい方は※

・中野栄三 『銭湯の歴史』  雄山閣 1970年
日本人の入浴の歴史、浴場形態の変遷、江戸の湯屋、明治大正時代までの銭湯の歴史、生活風俗などが取り上げられている。現在は『入浴と銭湯』 (雄山閣アーカイブス) として入手可能、内容は同じ。

・社団法人 日本銭湯文化協会編 『銭湯検定公式テキスト』  草隆社 2009年
江戸時代から現代に至るまで、銭湯の歴史や文化、日本人の銭湯・入浴事情を幅広く解説。2020年に改訂版出てます(1と2) 1では銭湯の「歴史」「建築」「雑学」 2では銭湯入浴医学や健康法が書かれている。


上記の2冊が読みやすくオススメです♨





◎新しい銭湯の歴史

江戸時代 『湯屋』
伊勢の与一、戸棚風呂、柘榴口、入込み湯(混浴)、湯女・2階休憩所。庶民のいこいの場であるが、風紀・衛生面で課題多し。

明治時代~大正前半 『改良風呂』
明るく開放的な改良風呂の登場、板張り木製、湯屋取締規則、銭湯ペンキ絵、浴場組合

大正後半~昭和10年代(1923~1941) 関東大震災からの復興/第1次銭湯黄金期

カラン、タイル張り、現在の銭湯の近い型ができる。外装や内装にこだわった宮造り、洋館風の銭湯の登場。

太平洋戦開戦~終戦(1941~1945) 銭湯苦境の時代
銭湯にも入浴客にも様々な制限がかかり、苦境の時代。東京や大阪など都市部は空襲で焼け野原に。

昭和20年代(1945~1954)  戦後の銭湯復興期
燃料や資材不足、インフレなどの問題はあったが、銭湯の再建・再開が大いに進む。公衆浴場法制定。

昭和30年代(1955~1964)  第2次銭湯黄金期

高度成長期とともに公衆浴場への需要は高くが、全国で浴場数は増加の一途を辿る。

昭和40年代(1965~1974)  銭湯安定期
銭湯の軒数などは最高も記録しつつも、40年代後半から新規開業が止まり銭湯衰退の兆しが。

昭和50年代(1975~1984)  銭湯斜陽期
サウナ、超音波など設備の充実。家庭の内風呂が急速に普及し、入浴客の激減、地方では廃業する銭湯が非常に増える。

昭和60年代・平成初期(1985~1994) 銭湯衰退期
設備の改修や建替えが進む一方、大都市部やその近郊でも廃業する銭湯が増え、銭湯減少が顕著に。

平成(1995~) 銭湯多様化の時代
家に風呂があるのが当たり前になり、スーパー銭湯、スポーツ施設、日帰り温泉など様々な公衆浴場が増える。

令和(2019) ???






○参考文献

『守貞漫稿』 喜田川守貞
『東京風俗志』  平出 鏗二郎  富山房 1901
『裸天国 : 世界浴場物語』  植田敏郎   宮川書房 1967
『銭湯の歴史』  中野栄三  雄山閣 1970
『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972
『物語ものの建築史 風呂のはなし』  山田幸一、大場修  鹿島出版会  1986
『いま、むかし・銭湯』  山田幸一監修  株式会社INAX 1988
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984
『創立五十周年記念誌』 板橋浴場組合 1979
『半世紀の思い出』 池袋浴場組合 1978
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985
『特別展 ゆ ~お風呂の文化史~』  埼玉県立博物館  2000
『銭湯検定公式テキスト』  社団法人 日本銭湯文化協会編 草隆社 2009
『ビジュアル 日本の住まい ④近現代(明治時代~現代)』 家具道具室内史学会  ゆまに書房  2019





◎新しい銭湯の歴史① 江戸から明治・大正時代を振り返る

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日本一遠い銭湯はどこか? あなたは北海道の黄金湯に行ったことがあるか

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日常的に行くなら、家から近い銭湯の方が良いのは間違いないが、
逆に遠い銭湯、日本一遠い銭湯(一般公衆浴場)はどこなのか?調べてみました。

もちろん、どこをスタートにするかによっても遠い・近いは変わってくるかと思いますが、今回の記事では東京(東京駅)と大阪(梅田)を起点に考えたいと思います。

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◎日本一遠い銭湯→ 距離?移動時間?

まず、距離が遠い銭湯として
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〇最北端の銭湯 北海道稚内市の「みどり湯」
住所:北海道稚内市緑1丁目10-23  【 地図 】
電話番号:0162-22-4275
営業時間:15:00~25:00   
定休日:月曜日
直線距離で、東京から1,092km 大阪から1,299km

〇最南端の銭湯 沖縄県沖縄市の「中乃湯」 
住所:沖縄県沖縄市安慶田1  【 地図 】  
電話:
営業時間:14:00~19:00(最終受付18:00)   
定休日:木・日曜日
直線距離で、東京から1,539km 大阪から1,185km


北海道稚内市へは、東京から車で21時間以上、大阪からだと26時間以上かかる距離。
沖縄に車のみで行く人はまあいないと思うが、東京からも大阪からもフェリーも使って丸2日近くかかります。

この2軒の銭湯については、結構取り上げられる事も多いので、詳しくはそちらを参照して欲しいんですが、
一つ付け加えるなら、稚内の「みどり湯」は銭湯であると同時にライダーハウスの浴場も兼ねていて、また市街地にある事もあり、「最果ての銭湯」感は意外と薄いです。個人的には、同じ稚内にある「稚内温泉 童夢」(日本最北の温泉)は、地元の方も多く、露天風呂から荒ぶる日本海や利尻島も見え、「最北来た!!」感が強いので、こちらもおすすめです
Fxut3QfaIAA_L9y.jpg  Fxut3QhaIAAnKON.jpg ←稚内温泉童夢とそこから見える景色


『距離が遠い銭湯』というと、上記の「みどり湯」「中乃湯」でほぼ間違いないでしょう。

ですが、距離が遠いといっても飛行機を使えばアクセスのしやすさは格段に向上して、東京や大阪からでも最短4~6時間で最北端・最南端の銭湯にたどり着けます。

むしろ、そこよりも移動時間で必要な銭湯が日本国内にはあります。
今まで行った中で遠いなあと感じた銭湯は、例えば高知県の土佐清水市の「旭湯」や、長崎県の池島という離島にある「池島港浴場」は、飛行機使っても6時間以上はかかったと記憶しています。
blog_import_52862a2a30d97_20230603183730558.jpg  Fsy2ltaaUAE4f05.jpg  



遠い(=移動時間がかかる)銭湯を調べるために登場するのが、
東京駅から日本全国への「到達所要時間マップ」 - Yahoo! JAPANビッグデータレポート



これを見ると、東京駅からの移動時間でいうと、北海道の道北・道北の中で空港や駅から離れているエリアが全国でも特に遠い(行きづらい)という事が分かりました。



その遠いエリアから、上記の『北海道 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ』(赤が銭湯、黄橙が日帰り温泉等)で候補の銭湯を選出。その銭湯一軒ずつを、『乗換案内』を使い、東京駅と大阪駅(梅田)からの所要時間を計算。
※グーグル先生は、飛行機・鉄道・バスなどの乗り継ぎの検索は苦手で、なかなか正確には出ません。


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そうして、計算した『移動時間で遠い銭湯』の全国上位が以下です。

・遠別町(えんべつ) なごーみ(アクティブシニア多世代拠点交流センター)公衆浴場
・豊富町
(とよとみ) 公衆浴場「寿湯」
・幌延町
(ほろのべ)  公衆浴場 憩の湯
・中頓別町
(なかとんべつ) 黄金湯
・浜頓別町
(はまとんべつ) 公衆浴場「滝の湯」
・猿払村
(さるふつ)  さるふつ憩いの湯
・枝幸町
(えさし) 公衆浴場はまなす(←2023年3月廃止)
・興部町
(おこっぺ) 興部町公衆浴場

いずれも北海道の道北、アクセスに難有りの銭湯です。
稚内空港へ羽田空港から直通が出ているので、東京からの方が少しアクセスが良い傾向にありますが
大阪(梅田)からだと飛行機と鉄道やバスを乗り継いで、9時間前後かそれ以上かかる計算です。
※道東のエリアは遠くても意外と東京・大阪から6~8時間でたどり着ける所が多かったです。

この道北エリア、稚内のみどり湯や上記の銭湯の他にも500円前後の温泉施設が各市町村にほぼあり、
あまり注目されていませんが、実は人口比や立地から考えると異常に銭湯、公衆浴場が残っているエリアとも言えます。

ほぼ知られずに残っていた貴重なエリアという意味を込めて、
これから勝手に「道北の銭湯サンクチュアリ」とでも呼びたいと思います。

今回その中でも、「陸の孤島」ともいうべき中頓別町の黄金湯を「日本一遠い」銭湯の一つとして紹介したと思います。




◎北海道中頓別町、黄金湯への行き方。

まず、はじめに北海道中頓別町の場所ですが、この辺です。旭川と稚内の中間辺り。
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一番簡単な行き方は、旭川(空港)から車で約3時間、もしくは稚内(空港)から車で約2時間。
難しいのが、公共交通機関を利用した場合です。

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中頓別の観光サイトに、町へのアクセス方法(乗り継ぎやバス、JRの時刻表のリンクも)が載っているので、そちらを参考にしてください。町内の観光スポットや宿、店の情報も詳しく載っているので、要チェック!
中頓別町行きのバスかなり本数が限られる上に、黄金湯を目的してきた場合、帰りのバスがなくなる可能性も高いです。
ここは割り切って、中頓別町に一泊しちゃいましょう。それがベスト!
中頓別には「旅館石川」という小さな宿もあり、一泊は確か6000円くらいです。


◎実際に中頓別町に行ってみた。

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今回、札幌に用事があったので、札幌→旭川→音威子府(おといねっぷ)までJRの特急。そこから路線バスというルートで行きました。札幌→旭川→音威子府駅までが約3時間30分。
音威子府駅構内の廃線になった天北線の資料館を見たり駅周辺をうろうろしてバス待つ。

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やってきた路線バスに揺られ、緑豊かな一本道を走ること1時間。
目的地の中頓別に到着しました。札幌をお昼に出て、約5時間かかりました・・・遠い。
天北線(1989年に廃線)の中頓別駅が、現在バスターミナルとして利用されています。


北海道中頓別町(なかとんべつちょう)は、面積の8割が森林、産業は酪農と林業が盛んで、観光は砂金と鍾乳洞、登山などがあり、「ピンネシリ温泉」という温泉もあります。

銭湯「黄金湯」は、町の中心部、町の公共施設や商店が集まっているエリアにあります。
 
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中頓別町に来てまず驚いたのは、このエリアの食堂と焼き肉屋の多さ!!
日本の色々の所を旅してきたので、「町の栄え具合・密度」的なものは自然と分かりますが、
中頓別町の食堂や商店の充実度は、人口1600人弱の町のそれではない!!
※ただ20時前後には締め始める店が多いので閉店時間には注意。
 
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スーパーや、みんな大好き便利な北海道のコンビニ、セーコーマートもあります。


・・・旅好きな皆さんなら、もう中頓別町に行きたくなってきたでしょう。


どの店に入っていいか迷ったので、休憩がてら「ヤマフクコーヒー」という喫茶店に入って、黄金湯とめしの情報を集めます。
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店のお姉さん曰く、「どこもいい店だけど、私のおススメは『×××』かな。この町の店の人たち、愛想悪く感じるかもしれないけど、それコロナの影響で外から来た人警戒してるとかではなく、みんな元々そういう人達なの。根はみんないい人だけど、恥ずかしがりや多いのかな?」なんて笑ってた。




◎北海道中頓別町の銭湯「黄金湯」

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黄金湯(こがねゆ)は、元々1989年(平成元年)に建てられた町営の公衆浴場でした。そこが利用者減で年間数百万円の赤字続きになり、委託管理者高齢化のため、2006年(平成18年)に廃止となります。

その後黄金湯売りに出ていたのを、札幌から移住してきた元保健師の渡辺由起子さんが借りて、2011年10月10日に銭湯を復活させました。渡辺さんは当初灯油でお湯を沸かしていましたが、近隣に燃料に使える木材が多くあるのを知り、ボランティアの協力も得て、2012年末に燃料を薪に切り替えました。また、2014年からは併設の地域食堂「トントン」を開業させたり、毎月お便りを発行したり(現在も黄金湯HPで見られます)、イベントを開いたり、黄金湯を地域の方が集まれる場にしようと取り組んできました。渡辺さんが黄金湯のやろうと思ったきっかけは、障がい者の働き場所づくりと「銭湯を核とした健康増進の町づくり」のビジョンがあったからのようです。
それから10年、設備の老朽化などで個人での維持管理が難しくなり、10年の区切りとして2021年10月10日に渡辺さんは黄金湯の2度目の閉店を決めました・・・

この辺の経緯は、ブログや朝日新聞の記事に詳しく書かれています。
朝日新聞デジタル2021/10/28・地域食堂運営 渡辺由起子さん=北海道中頓別町
銭湯探訪人が行く-レトロ銭湯を求めて- 「中頓別 黄金湯」


黄金湯の事は前から知っていたので、いつか行きたいなあと思いながらも、中頓別町の遠さもあり行く機会がなく、閉店のニュースを聞き残念だなあと思っていました。そうした所、翌月驚くべき知らせが飛び込んできました!

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2021年の11月に新体制となって休業状態から黄金湯2度目の復活を遂げました!!
新体制「中頓別をあっためる会」を地元の方を中心に立ち上げ、今まで以上により多くの人が関わって黄金湯の運営していくそうです。(地元の森林組合長や、学生時代に黄金湯についての卒論を書いた縁で地域おこし協力隊として中頓別町に移り住んだ若者もメンバーにいるそうです。)


これは行くしかないと思い、今回北海道中頓別町に向かった訳です。

 
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黄金湯に入る。

フロントで入浴料を払い、脱衣所へ。非常にコンパクトな銭湯。
浴室はやや老朽化は感じるが、掃除はしっかりされてる印象。
特徴といえば、浴室が多角形で少し不思議な形をしていることと、大きな時計がある事。
本当に「フツーの銭湯」。
それこそ、銭湯マニアが喜ぶような建物の装飾やレトロ感は皆無。
シンプルな浴室、熱めのお湯が入った長方形の湯船、ただそれだけ。

・・・だが、それがいい!!!!!



よく温まってから宿に帰る前に、昼間喫茶店のお姉さんがおすすめしてくれた「三日月(みかづき)」に寄る。
ホルモンとラーメンが売りの居酒屋だ。

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乾いた喉にしみるビールとホルモン、白飯。この世にこれ以上旨いものがあるだろうか・・・いや、ない!!
旨い!!お値段もとてもリーズナブル!!
うおォン 俺はまるで人間発電所だ。


ふとカウンターを見ると、若者がボトルキープした焼酎を一人で飲んでいる。料理は一切頼まず、ずっとスマホをいじっている。しばらく経って、誰からか連絡が来たのか、足早に店を出ていく。女将さんに「・・・ん、来週また来る・・・」と言って。
ここの息子か?!

しばらくして、奥の席から食事が終わった別の男女の客が出てくる。女将さんと軽く談笑したあと「・・・あれ、財布持ってなかった。また来るね」といって店を出て行った。この人も息子か?!
ここの店、息子だらけだ!!笑

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「三日月」とても良い店を教えてもらった。また来よう。
だが、他の食堂や居酒屋、焼き肉屋も気になる・・・
非常に悩ましい問題だ。




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『銭湯と地域コミュニティ。』
銭湯の魅力としてよく語られる文脈です。

「銭湯があるから人々が集う。」
中頓別町・黄金湯の場合、
「銭湯を存続させるために人々が集う。」という不思議な現象が起きています。

一度、閉店した銭湯が一度復活すると「奇跡」と呼ばれることもあります。
ならば、2度復活した黄金湯で起きてる現象はなんと呼ぶのだろうか?

黄金湯のフロントの方の話を聞きながら、壁に飾られた黄金湯の前で撮られた渡辺さんを囲んでの集合写真を見て、そんなことを考えていました。

この黄金湯は、中頓別町にとって特別な意味のある場所である事は間違いないです。

ここで「銭湯とコミュニティとは~」みたいな文章を分かった感じで書こうかとも思ったが、無粋なので止めておきます。正直、よく分からないからです。その意味や理由を理解するには、今回一回の訪問では足りな過ぎる。

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きっと、この集合写真に写っている数十人の方達の一人ひとりにとって、この「黄金湯」の持っている意味や役割はそれぞれ違うだろうから。


また行こう、北海道中頓別町。
また行こう、黄金湯



銭湯LOVE



※最後の集合写真は解像度を意図的に落としてあります。


〇北海道中頓別町 「黄金湯」
住所:北海道枝幸郡中頓別町中頓別60  【 地図 】
電話番号:01634-6-2300
営業時間:16:00〜21:00   
定休日:火曜・木曜・土曜
<HP>


○北海道 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ &全軒一覧
○沖縄県 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ &全軒一覧
○高知県 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ &全軒一覧
○長崎県 銭湯 マップ &全軒一覧
○全国 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ&全軒一覧

 ↑文中で触れた、道北の銭湯、稚内市のみどり湯、沖縄市の中乃湯、高知土佐清水の旭湯、長崎池島の「池島港浴場」の営業情報はこちらにまとめてあります。参考にしてください。




◎日本一遠い銭湯はどこか? あなたは北海道の黄金湯に行ったことがあるか

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♨『銭湯大学』開校します♨ 銭湯の自由研究から卒業論文まで

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※画像は本文とは直接関係ありません。

《重要なお知らせ》

・銭湯で卒論書こうとしてる学生の為に、入門となる知識や参考文献の紹介記事を新たに書きました。
こちらの記事も、銭湯や公衆浴場を研究する上での参考になると思います。
→ 【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門/参考文献紹介

令和5年度(2023年度)の受け付け開始します。詳しい内容や連絡先は下記の文章お読みください。




♨『銭湯大学』♨
「銭湯(公衆浴場)の研究、論文を書きたい方のお手伝いします。」



銭湯に関する研究、調査や大学生の卒業論文のお手伝いや
学生に限らず、一般の方の相談を、原則無償でお受けします。
銭湯(公衆浴場)に関するものであれば、どんなテーマでもOKです。
銭湯の方、浴場組合、自治体、博物館の方もOKです。

もちろん、本当の大学でもないですし、金をもらうわけでもないので
大学の授業としてある「卒論指導」のような
きめ細かいサポートはしませんし、出来ません!
当たり前ですが、研究・調べる・書くのは本人です。



今年でこの取組も8年目ですが、過去関わった学生の論文のテーマとしては
「災害の中での銭湯」 「若い担い手による銭湯運営」
「公衆浴場での災害時の水利用」 「銭湯の存続の可能性や社会的な役割」 「地域コミュニティとしての銭湯」
「明治~昭和期の大阪の銭湯について」 「銭湯の継続的な経営について」
「親族外承継による銭湯事業に見る 銭湯資産保全とレクリエーション利用促進の関係」
「銭湯利用行動の時空間的展開 」 「東京 23 区の銭湯における 災害時利⽤の現状と課題に関する研究」

熊本大学、同志社大学、立命館大学、東京都立大(首都大学東京)、神戸大学、九州大学、京都大学
工学院大学、法政大学、兵庫県立大、愛媛大、信州大 等があります。

銭湯をテーマに卒論書いている学生が集まって
研究の進歩状況や情報交換をする「特別講座」を行いました。
今後も、そうした取組や、卒業生との情報交換などを行いたいと考えています。



近年、テレビや新聞、雑誌、WEBメディアに
『銭湯』が取り上げられる機会がとても増えました。
その結果、卒論やレポート等の論文に取り上げられる機会も増えていると思います。

ですが、現状として
「銭湯(公衆浴場)」をメインテーマに研究している教授や研究者をあまりおらず
そうした方の指導やアドバイスを直接受けるのは、なかなか難しいです。
大学の教授や准教授とはいえ、同じ分野の中でも一つ専門が違えば
ほぼ一般人と同レベルの知識しか持ってない事が普通です。
それに日本で出版されている銭湯関連の書籍の多くが
銭湯愛好家が書いた「お気に入りの銭湯紹介本」で、建物や入浴紀行文メインな物です。
先行研究や論文に必要なデータや資料は圧倒的に不足しているのが現状です。

この「銭湯・奥の細道」 (→過去の活動) を立ち上げて5年以上が経ち、
全国の銭湯の情報を調べ実際に訪ねたり、
銭湯に関する資料や書籍を読んだり、
そこで働く方、入りに来ているお客さん、浴場組合の方と話したりする機会も多くありました。
その結果、たぶん普通の人よりは、「銭湯」の現状や情報に詳しくなったと思います。
その知識や経験を生かし、若い方の為に、こういう活動をしてみようと考えました。
たぶん、他では一切やっていない活動だと思います。


銭湯について、人より詳しいとはいえ、
銭湯に関する事何でも知ってる訳ではありません。知らないことの方が多いです。
スーパー銭湯、温泉、サウナ等についてもまだまだ勉強中です。

出来るのは、そのテーマだったら、こういう本や資料があるよ。
それ調べたいなら、ここかこの人に聞くといいよ。
その程度の“あくまでアドバイス”です。

役に立つまともな意見が返ってきたら、ラッキー!くらいの期待度でメールしてください。
もし返信来なくても決して怒らないで。
また、話を聞いた上で、「そのテーマで調べるの難しいと思う」
「それなら銭湯とは別のをテーマにした方が良いと思う」と、アドバイスした事もあります。

本業の仕事もあるので、すぐには返事できません。基本、メール等の返信は遅いです。
だから、「来週提出のレポートを銭湯をテーマに書きたいで、今すぐ教えてください」なんて
メールは絶対してこないでください!


メールをする際は
・件名「銭湯大学」
・自分の氏名と所属(何年生)。
・どういうテーマで研究・調査したいのか?(銭湯+ 分野、どういう切り口、地域等々・・・)
・なぜそのテーマを選んだか?
・現時点でどれくらい調べて、書いているか?(集めた本、資料、何字程度書けているか等・・・)
くらいは最低限書いてください。

送信先 
1010meguri@gmail.com




なぜこんな活動を始めるかというと
ある大学生の銭湯(公衆浴場)というテーマの卒論の手伝いしたり
大学の銭湯サークルに合宿先の銭湯を紹介したり
銭湯のミライとは?」の記事を読んだある会社の方や博物館学芸員の方から相談受けたりしました。
その事で、自分自身の勉強にもなったり、知識や人の繋がりを広げるきっかけにもなりました。
どうしても、完全に一人でサイトの運営やってると、興味や見方が偏るっていくことを感じるので
そういう点を補完する意味でも自分にとってプラスになると思ったので。
自分自身がさらに学ぶきっかけが欲しいのもあります。

どれくらい反応があるかは未知数ですが
本気で銭湯の事を考えている若い人の力にはなりたい。と思うので
よろしくお願いします。


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なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る

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東京都の銭湯の入浴料金改定(2022年)のお知らせ ※2023年7月より大人520円に再度改定されます

ここ最近、まちの銭湯の入浴料金が上がる。というニュースがよく流れますね。

多くのニュース解説では、以下のような説明がされます。

〇〇県では、銭湯の入浴料金が×月から大人500円に値上げされることになりました。

まちの銭湯(一般公衆浴場または普通公衆浴場)は、地域住民の日常生活において必要な施設として、“物価統制令”によって都道府県ごとに入浴料の上限価格が決まっています。なので、入浴料金を自由に上げられません。一方、スーパー銭湯や日帰り温泉、サウナなどの「その他の公衆浴場」は、自由に入浴料金を決められます。
銭湯の入浴料金は、県の審議会などで上限価格改定について審議され、知事が決定します。
戦後直後にできた物価統制令の対象は、現在この銭湯の入浴料金だけです。



ここまで聞いて、おや?と思った方多いのではないでしょうか。
なぜ戦後の混乱期に制定された法律が、令和の現代にまだに残っているのか?
しかもその対象は、銭湯だけ??
日常生活に必要なものは、お米とかパンとか水とか他にもあるんじゃない???
生活に必要というが、私は家に風呂あるんで、銭湯ほぼ行かないです・・・
そもそも、私が住んでいる町、銭湯ないんですけど・・・


それらの意見はごもっともです!
ですが、その疑問にマスコミのニュースの中では答えてくれません。
ニュースに出てくる当の銭湯の方も、「経営苦しいです」「銭湯どんどん廃業しています」は必ず言うけど、上記の疑問にはなぜか答えてくれません。

では、なぜ銭湯の入浴料金は決まっているのか?
なるべく分かりやすく解説します。かなり長い記事になってしまいますが、お付き合いください。

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目次
1.物価統制令とは? 物価統制令廃止問題
2.なぜ、物価統制令廃止に、銭湯業界は反対したのか?
3.公衆浴場確保法の成立
4.物価統制令は、銭湯の「手首を縛る縄」であり「命綱」でもある
5.むすびにかえて



※関連記事 
→ 全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和5年2023年最新版)
→ 銭湯とはなにか? 銭湯・公衆浴場研究入門





なぜ、銭湯の入浴料金はいまだに「物価統制令」により決まっているのか?

それは、多くの銭湯にとって、物価統制令が
「手首を縛る縄」であると同時に、自分達の「命綱」でもあるからです。


簡単に言ってしまうと、「物価統制令」は銭湯の入浴料金を制限すると同時に、
銭湯の営業を守る制度や法律、行政からの補助金や助成、水道料金や税の軽減とも大きく関係しています。
だから、変わらない、変えたくないのです。


その理由や銭湯と物価統制令の歴史、法律の問題などを、これから見ていきましょう。


1.物価統制令とは? 物価統制令廃止問題

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銭湯の入浴料金表(埼玉県)

「物価統制令」とは、昭和21年(1946年)3月太平洋戦争が終わった直後に公布施行された法律です。
終戦直後の混乱と物資不足で、物の値段は跳ね上がり、世の中は超インフレ状態でした。そうした中、食料や様々な物の値段(物価)の高騰や暴利、不正取引を抑える、取り締まるために物価統制令は作られました。
その後、日本が戦後の経済発展を遂げていく中で、物価統制令対象だった物のほとんどが適用から外されていきました。代表的な例として昭和47年(1972年)の米価、お米の小売価格自由化などがあります。
そして、令和5年(2023年)現在、唯一対象として残っているのが銭湯(公衆浴場)の入浴料金です。

銭湯の入浴料金は、都道府県の審議会などで上限価格改定について審議され、知事が決定します。
審議会は、県内の銭湯事業者(公衆浴場組合)の要望によって開かれ、銭湯の収支状況、軒数、利用者数、燃料価格などのデータを基に、学識経験者、利用者代表、銭湯事業者代表、行政で行われます。「公衆浴場入浴料金審議会」などの名称で行われている事が多いです。入浴料金の他に、様々な銭湯に対する行政の施策などについて話し合われる場合もあります。


実は、あまり知られていませんが
物価統制令自体、昭和40年代(1965年~)の時点でもう法律としてはその役目が薄れ、主管する当時の経済企画庁では、物価統制令そのものを廃法にすることが検討されていました。

ですが、当時の銭湯業界はこれに反対。(正確には一部賛成なのですが、詳しい説明は次の章で)
昭和40年代はまだ風呂のない家庭も多かったので、日々の入浴料金が上がるのを不安視した消費者代表なども反対したようで、この時の物価統制令の廃止はなくなり、銭湯料金など一部の品目を対象に残して存続されることになりました。




2.なぜ、物価統制令廃止に、銭湯業界は反対したのか?

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「全国浴場新聞 昭和44年9月号」より

ここ最近の銭湯の燃料高騰のニュースでも、「入浴料金を決まっていて上げられない」と嘆く銭湯の方がよく登場しますし、自由価格の方がいいじゃない?と思いますが、ここには難しい問題がありました。

昭和42年(1967年)、物価統制令が廃止の方向性が具体的になり始めた頃、銭湯や公衆浴場組合(銭湯の同業者団体)の中でも、この問題はかなり議論され、賛成・反対含め様々な意見が出ました。

昭和30年代(1955~1964)は、銭湯業界も戦後復興から隆盛を極めた「銭湯黄金期」でした。当然景気も非常に良く、銭湯経営者の中でも、入浴料金を自由化すべきという気運が高まっていました。ですが、昭和40年代(1965~)に入ると、廃業する銭湯も増え始め、業界全体が安定・斜陽期に入り始めます。その時期に物価統制令廃止の問題がでたのです。

もし物価統制令が廃止になり、入浴料金の自由化・距離制限の撤廃になると、
同時に、既存の銭湯を守っている多くの制度 → 銭湯の乱立防ぐ為の「銭湯間の距離制限」、銭湯の経営安定の為の「行政からの補助」なども一緒になくなるのではないか・・・
終戦後に自分達が苦労して作った銭湯業界の基盤や、ルール、秩序が崩れるのではないか・・・
新規参入してきた銭湯がすぐ近くに出来て、自分達の銭湯のお客や利益を奪われるのではないか・・・
結果、自分達の銭湯の営業や立場が危うくなるのではないか・・・

物価統制令廃止によるメリットよりも、上記のような様々な強い危惧や不安が銭湯業界に広がったようです。

入浴料金自由化については認めるという形で銭湯業界の意見が一応まとまった時期もありましたが、合わせて撤廃が検討されていた「銭湯間の距離制限」
(今ある銭湯の近くには新しい銭湯は作れない・営業出来ないという適正配置規制。※現在も残っている)がなくなる事への銭湯業界の反発が非常に大きかった事が、当時の資料から読み取れます。

銭湯業界内、国などの議論は継続して行われ、昭和46年(1971年)頃に現状の制度を変えず維持する方向で一応決着(?)しますが、時代や公衆浴場の役割の変化により、その後も物価統制令廃止、制度の見直しは度々国や都道府県などから出ていますが、その度に銭湯業界の強い反対もあり、変わらず現在に至っているわけです。


余談ですが、
今でこそ、「銭湯のご主人」といえば番台フロントにいる温和なイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、
当時の銭湯経営者は、戦後の混乱期に、北陸・新潟などの地方から、文字通り裸一貫で都会に出てきて、下足番や燃料集めなどの下働きから始め10年以上寝る間もなく朝から晩まで働き、やっと自分の銭湯を持って一国一城の主になった方達が多くいました。当然自分の力で成功したというプライドがあるし、血の気も多い。
当時、公衆浴場に関する様々な問題、入浴料金、銭湯の未来について、銭湯同士や公衆浴場組合内で意見を言い合い活発に議論がされていました。現在では考えられないが、銭湯が行政や警察とやり合ったり、自分達の主張を伝えるためにデモや決起大会、ストライキ(銭湯の一斉休業)も行っていました。
現在もその気質は少し残っていますが、子分と親分、同郷や同族でのつながりも強い業界です。当時の銭湯経営者の一代記を読むと、ドンパチこそしませんが、『仁義なき戦い』を連想させる部分もあり、非常に興味深く面白いです!
そうした銭湯経営者の一致団結した運動や交渉の結果、行政からの様々な施策、予算、融資などを勝ち取って来たのが、あまり語られない昭和の「銭湯の歴史」です。




3.公衆浴場確保法の成立

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「全国浴場新聞 昭和56年6月号」より

昭和57年(1982年)4月に、銭湯と物価統制令の関係を語る上で大きな法律が施行されました。
「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」(以下:公衆浴場確保法)です。

公衆浴場確保法を抜粋要約すると
「公衆浴場が住民の日常生活において欠くことのできない施設であるとともに、住民の健康の増進等に関し重要な役割を担つているにも、かかわらず著しく減少しつつある状況にある。国及び地方公共団体は、公衆浴場の経営の安定を図る等必要な措置を講ずることにより、住民の公衆浴場の利用の機会の確保に努めなければならない。」

と書かれています。

昭和から現在に至るまで、行政(国や都道府県、市区町村)は、銭湯の数と住民の入浴機会の確保の為に、まちの銭湯(一般公衆浴場)に対して、様々な補助・助成、税金面での優遇をしています。その法的根拠となっているのが、この「公衆浴場確保法」なのです。


行政からの銭湯(一般公衆浴場)に対する施策としては、
銭湯に関わる費用の補助金(釜ボイラーの更新、設備・施設の修繕・改修、燃料費など)、銭湯の様々な事業への助成金、割安な上下水道料金、固定資産税の減免、国民生活金融公庫・銀行などからお金を借りた場合の利子補給などがあります。

ここで注意しないといけないのは、行政からの銭湯に対する施策は、都道府県またその市町村によって、その額や対象事業が大きく違います。上記に上げた内容についても、銭湯の減少や自治体の財政悪化などの理由で、行われていなかったり、以前に比べて対象事業や金額が減っている自治体も多いです。
そうした中で、全国で一番行政からの補助が手厚いのは東京都(特に23区)の銭湯です。
東京都からとそれぞれ区市から出ている補助金があり、合わせると毎年約40~35億円前後の予算(税金)が都内約450軒の銭湯に対して使われています。なぜここ最近都内の銭湯のリニューアルが多いのか?それは銭湯に対する補助金が大きく関係しています。
銭湯に対する行政の補助は、上記のように地域差が大きくあるためか、業界内でタブー視されているのか、銭湯の方はこの件についてほとんど話さない、話したがらないで、マスコミも触れないし、あまり一般には知られていません。


公衆浴場確保法に話を戻すと、第二条 定義として重要な文章が書かれています。
この法律で「公衆浴場」とは、公衆浴場法第一条第一項に規定する公衆浴場であつて、物価統制令第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。

まちの銭湯「一般公衆浴場」は、入浴料金の上限価格が決められている代わりに、様々な行政の補助が出ています。一方、スーパー銭湯やサウナなどの「その他の公衆浴場」には、自由に価格が設定できる代わりに、行政補助や税制優遇はほぼありません。
その両者を分けているのが、『物価統制令』なのです。
なので、物価統制令がなくなれば、同時に公衆浴場確保法などの銭湯に関連する法律や制度の根幹が大きく揺らぐ事になります。


2023年現在、全国的な燃料費高騰を受け、多くの自治体で公衆浴場に対する緊急の補助金が出ています。
ですがその条文には「一般公衆浴場(普通公衆浴場)」「物価統制令に基づき入浴料金の上限額が定められている公衆浴場」という一文が必ず入っています。なので、燃料費高騰の緊急補助金は、銭湯(一般公衆浴場)にのみ出て、スーパー銭湯やサウナなど(その他の公衆浴場)には出ていません。


今回は記事があまりに長くなるので、深くは触れられませんが、重要な点をいくつか。

公衆浴場確保法の昭和57年(1982年)施行と平成16年(2004年)の一部改正によって、
公衆浴場に、日常生活に保健衛生上必要な「入浴」の他に、『健康増進』と『地域コミュニティーの拠点』としての役割が追加されたのもポイントです。

銭湯の同業者団体である「公衆浴場業生活衛生同業組合(縮めて、浴場組合と呼ばれる事が多い)」と、また銭湯以外の理容、美容、クリーニング、旅館、飲食店、喫茶店、食肉、興行場などの10の生活衛生同業組合の存在にも触れなければなりません。この組合は、中小企業の多い業界で、過当競争が起きないように、正常な経営が行われ、業界の振興、利用者の利益などを目的とした団体です。
一般から見ると、自由競争を阻害している、独占禁止法違反ではないかと思うような、業界のルールや規制、動きが容認されていたり、また行政の施策がされていたりするのは、この生活衛生同業組合の存在とそれに関する法律があるからです。
公衆浴場組合は、銭湯同士の情報交換・繋がり、同業者間のルールや規制、行政からの補助金、銭湯のイベント、入浴料金の審議会などに大きく関わっています。


この銭湯と物価統制令の問題について考える場合、銭湯と政治(特に自民党)との関係も興味深い点です。
昭和25年(1950年)の銭湯間の距離制限を盛り込んだ公衆浴場法の一部改正や、昭和57年(1982年)公衆浴場確保法には、自由民主党(旧民主自民党)の国会議員が大きく関わっており、ともに議員立法によって成立しています。

また、全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)の政治団体として「全国公衆浴場業政治連盟」(所在地も代表も全浴連と同じ)が存在し、前述の公衆浴場確保法が改正された2004年と前年の2003年の2年間に、赤坂の高級料亭で法審議にかかわった国会議員らを計16回も接待していた(計約682万円)ことが東京新聞で報道された(東京新聞2005年9月30日夕刊)。この全国公衆浴場業政治連盟は現在も活動しており、毎年自由民主党議員のパーティー券購入などをしている。

銭湯業界は、戦後一貫して自由民主党との関係が深く、銭湯業者の大会などでは自民党の厚生労働族の大物議員が挨拶に来ることも珍しくないです。(もちろん、個々の銭湯で働く人全てが、自民党支持者というわけではありません)




4.物価統制令は、銭湯の「手首を縛る縄」であり「命綱」でもある。

新・公衆浴場数グラフ2

昭和45年(1970年)頃から、銭湯は新規開業より廃業の方が多くなり、斜陽期に入り始めます。
家風呂の普及率はどんどん上がり、2023年現在は全国的にほぼ100%に近づきました。
銭湯「一般公衆浴場」は減り続ける一方で、スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設など「その他の公衆浴場」は増え、現在ではその数は完全に逆転しています。
そうした中で、銭湯業界は自分達の銭湯を守るため、新規開業や参入しにくい制度を維持し、規制や制限の代わりに行政からの補助を受けるという方針を取りました。その結果、新規参入しにくく規制と制限が多い経営の自由度が低い銭湯(一般公衆浴場)は半世紀以上減り続けました。既存の銭湯は、民間企業でありながら、行政の補助に頼る体質の経営、業界になってしまったように見えます。
1982年の公衆浴場確保法の成立は、その流れが確立した大きなポイントだったと思います。

1982年以後の銭湯の状況はどうなったかというと
確保法の効果がなかったとは言いませんが、前述の通り銭湯が増えない(減り続ける)制度の根本は変わらないままなので、全国的に銭湯(一般公衆浴場)の廃業と減少は止まらず、人口が多く行政補助も手厚い東京都23区などに代表される都市部や温泉地以外の地方では、まちの銭湯は大半が消えたもしくは消えかかっていると言っていい状況です。人口10万人20万人越えている市でも、まちの銭湯(一般公衆浴場)は1軒もないという所が珍しくないです。

戦後から長年続く行政の銭湯に対する施策や補助も、効果のある適切なものだったのかは疑問が残る部分です。


この記事の最初で述べた一文、覚えていますか?

物価統制令は、多くの銭湯にとって、
「手首を縛る縄」であると同時に、自分たちの「命綱」でもある。


自分の店の商品(入浴料金)を、自由に価格を決められないというのは店舗運営、経営では手を縛られているようなものです。ですが、その手首を縛る縄は、自分の体を支える命綱(行政からの補助や距離制限など)とつながっているために、多くの銭湯に物価統制令、行政による統制価格は現在も必要なのです。

また、現在全国の多くの銭湯が施設設備の老朽化、経営者の高齢化の問題を抱えています。
昭和30・40年代頃の銭湯にまだ体力があった時期ならまだしも、いま物価統制令という綱を切るような大きな変革すれば、入浴価格を上げるなど経営の自由度は上がっても、自分の体すら支えられない多くの銭湯が崖を転がり落ちていく可能性が高いです。
なので、今ある銭湯また公衆浴場組合は、どんなに経営が厳しくても(当たり前ですが儲かっている銭湯も一定数はあります)、ここ数十年間同業者が減り続けていても、物価統制令を廃止しよう自由価格への移行しようという制度改革の動きや本格的な議論にすらならないのは、そういう銭湯業界の事情があると思われます。

先日、あるニュース番組で「銭湯と物価統制令の関係」について取材したら、都内の銭湯50軒以上が取材NGだったらしい。
どの銭湯も、大なり小なり、制度、銭湯業界の問題点は認識していると思います。なにしろ、銭湯本体はもちろん、関連業者も減り続け、銭湯の営業を続けるのが困難な地域が出始めたり、すでに公衆浴場組合が解散した県もあったりします。銭湯業界全体の衰退がここ数十年間続いていることは誰の目にも明らかです。現状の制度が続く限り、全国の銭湯(一般公衆浴場)は今後も間違いなく減り続けるでしょう。
ただ、行政の補助や水道料金減免など、今ある銭湯が優遇されている制度なので、議論や制度見直しが始まれば、そうした行政からの優遇政策や特別扱いがなくなる・減る可能性があります。数年後の自分の銭湯の事を考えれば、未知の海原へこぎ出すよりは、問題はいろいろあっても現状の制度を維持する方がベターと考える銭湯が多いのも理解出来ます。取材NGの銭湯からすれば「寝た子を起こすな」という心境なのかもしれないです。


物価統制令と銭湯・公衆浴場に関する法律や制度は、間違いなく時代遅れで、
現代の入浴事情、全国の公衆浴場の状況や地域住民のニーズにも合っていない部分があるのは明らかです。


あまり知られていませんが、前述した銭湯間の距離制限や公衆浴場確保法については、その成立当時から、憲法違反ではないか、一部の業種だけ保護する法津は問題だ、とする意見が法律学者や政府内、内閣府法制局でありました。その為、国会議員提案の議員立法という形で成立しました。今より風呂のない家庭が多く、銭湯の社会的重要度がはるかに高かった昭和の時代ですら、法律としての問題点が指摘されてたのです。

日本中どの分野にも規制緩和が進み、市場競争を促進しようとする現代の流れの中で、数ある入浴・温浴施設(公衆浴場)の中で、銭湯という一部の公衆浴場業者だけ、行政の施策を受ける制度への違和感。また、行政の補助や税制優遇も、銭湯の数の維持・確保の問題の根本的な解決には機能していないという現実。銭湯に対する施策が「公共の福祉」や「住民の利益」に本当の意味で繋がっているのかという部分には議論の余地があると思います。





5.むすびにかえて。

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厚生労働省 『今日から実践!収益力向上にむけた取組みのヒント 公衆浴場業編』 より

ここからは、個人的な意見を中心に書いていきたいと思います。

上記のグラフは、厚生労働省が作った資料に入っていた20代~60代の一般消費者4万2千人に対する調査での結果です。生活に必要とされている「銭湯」より、「スーパー銭湯やスパ」の方が一般消費者の利用率が高いというか、驚きというか納得というか、個人的には結構考えさせられるデータでした。

銭湯関係ではよく、「銭湯」と「スーパー銭湯」を分けて語りたがる人いますが、実際は、料金的にも、施設的にも、利用者も、求められる役割も、その差は年々少なくなっていると思います。明確に両者は分けるのは実は困難です。

昭和・平成・令和にかけての人々の生活や住環境、時代の変化により
『入浴のみに特化した:まちの銭湯(一般公衆浴場)』から、『様々な温浴を楽しむ:スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設など(その他の公衆浴場)』へ。人々が求めるニーズも、銭湯・公衆浴場の役割も変わったと思います。
どちらが上とか下とかではなく、両者ともそれぞれ良い部分や魅力的な部分があります。

2020年2021年の緊急事態宣言の際、まちの銭湯(一般公衆浴場)は生活に必要な施設として営業が許されました。一方、スーパー銭湯や日帰り温泉、サウナ(その他の公衆浴場)は娯楽余暇を楽しむ施設の扱いで、休業を余儀なくされました。あの時、日常的にスーパー銭湯などを利用していた地域住民はどうしたのでしょうか?全国にはすでに銭湯(一般公衆浴場)がない地域が多いです。
住民にとっては一般公衆浴場、その他の公衆浴場なんて区分は関係ありません。両方ととも地域の大事な風呂・入浴施設です。地域住民の日々の生活を支える施設になっています。

個人的には、銭湯を含め公衆浴場関係の法律や制度、区分などの見直しが、
10年後20年後50年後の銭湯・公衆浴場の未来を見た場合、必要ではないかと思います。


公衆浴場組合による、銭湯業界内の横並びのルールや規制が現在も数多く存在し、結果として個々の銭湯の自由な営業が阻害されているのではないか、という事は以前から言われてきました。全ての都道府県ではないですが、入浴料金(上限価格なのに値下げも許さない)や営業時間の縛りなどがその一例です。
最近、東京都内で新規参入した会社運営の銭湯(一般公衆浴場)が公衆浴場組合に入れてもらえなかった件や、関西のある市でまちの銭湯と地元議員が共同で銭湯の新規参入を安易に認めないように市に要望書出した件を見ると、大きな矛盾と違和感を感じずにはいられません。

「銭湯が減った」「銭湯業界がピンチ」と盛んに言われますけど、その制度や状況を作っているのは今ある銭湯や公衆浴場組合にも一因があるのではないでしょうか?
はたして銭湯の歴史や文化、地域住民の入浴機会、ライフラインを、公衆浴場組合に入っている銭湯のみが継承し守っているのでしょうか?

今ある銭湯や公衆浴場組合は、銭湯の料金や営業時間などの「多様性」を認め、また企業も含め新規参入を積極的に受け入れる業界に変わって欲しいと願います。時代は変わりました。


個人的にはまちの銭湯が大好きです。好きな銭湯のある街、お世話になった方もたくさんいます。
自分の払った税金が銭湯の為に使われている事に大きな不満はありせん。
同時にスーパー銭湯や日帰り温泉も大好きです。広い露天風呂や湯上がりのめしやビール最高でしょ!
利用者からすれば両者の分け隔てはなく、両者ともに発展し、10年後20年後50年後も残ってくれているのが、僕の考えであり願いです。




最後に、2016年熊本地震の際に取材した、地震直後毎日2000人以上の入浴支援した熊本市のあるスーパー銭湯(温泉施設)の支配人の言葉が印象に残っているので紹介します。

「この会社は、元々製糸会社だったので近隣に迷惑をたくさんかけた。地域貢献できる喜ばれる事業として風呂屋を選んだ。今回それが実現出来て、風呂屋やっていて良かったと思う。今回のような災害時も通常時も、同じ入浴という健康や生活を向上させる事業をしているのに、スーパー銭湯と一般公衆浴場で、下水道の料金の差が数十倍なのはおかしいと思う。」



非常に長文でしたが、最後まで読んでいただいて感謝です。

勘違いしないで欲しいんですが、
別に、銭湯業界批判や補助金カットを訴えたいのではありません。
特に最後の章に書かれた個人的な考えが全て正しいとは思いません。

銭湯については問題点と同時にまだ改善の余地や可能性もたくさんあると思います。
この記事が、銭湯について、より良い方向へ、みなで考え議論するきっかけや材料になればいいと思っています。

銭湯LOVE♨





○参考文献

厚生労働省  『衛生行政報告例』「公衆浴場数」 
東京都生活文化スポーツ局  『区市における公衆浴場関連施策の概要』 
『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972年
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990年
『全国浴場新聞』  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 
『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合  1980年
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984年
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985年
星野剛 『湯屋番五十年 銭湯その世界』  草隆社 2006年
木藤 伸一朗 「公衆浴場と法」  『立命館法学』 2008 年 5・6 号(321・322号)
厚生労働省  『今日から実践!収益力向上にむけた取組みのヒント 公衆浴場業編』 2019年





◎なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る

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