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銭湯・奥の細道 (東北と全国の銭湯巡り)

東北を中心に、全国の銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ・共同浴場を紹介します!

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♨『銭湯大学』開校します♨ 銭湯の自由研究から卒業論文まで

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※画像は本文とは直接関係ありません。

《重要なお知らせ》

・銭湯で卒論書こうとしてる学生の為に、入門となる知識や参考文献の紹介記事を新たに書きました。
こちらの記事も、銭湯や公衆浴場を研究する上での参考になると思います。
→ 【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門/参考文献紹介

令和5年度(2023年度)の受け付け開始します。詳しい内容や連絡先は下記の文章お読みください。




♨『銭湯大学』♨
「銭湯(公衆浴場)の研究、論文を書きたい方のお手伝いします。」



銭湯に関する研究、調査や大学生の卒業論文のお手伝いや
学生に限らず、一般の方の相談を、原則無償でお受けします。
銭湯(公衆浴場)に関するものであれば、どんなテーマでもOKです。
銭湯の方、浴場組合、自治体、博物館の方もOKです。

もちろん、本当の大学でもないですし、金をもらうわけでもないので
大学の授業としてある「卒論指導」のような
きめ細かいサポートはしませんし、出来ません!
当たり前ですが、研究・調べる・書くのは本人です。



今年でこの取組も8年目ですが、過去関わった学生の論文のテーマとしては
「災害の中での銭湯」 「若い担い手による銭湯運営」
「公衆浴場での災害時の水利用」 「銭湯の存続の可能性や社会的な役割」 「地域コミュニティとしての銭湯」
「明治~昭和期の大阪の銭湯について」 「銭湯の継続的な経営について」
「親族外承継による銭湯事業に見る 銭湯資産保全とレクリエーション利用促進の関係」
「銭湯利用行動の時空間的展開 」 「東京 23 区の銭湯における 災害時利⽤の現状と課題に関する研究」

熊本大学、同志社大学、立命館大学、東京都立大(首都大学東京)、神戸大学、九州大学、京都大学
工学院大学、法政大学、兵庫県立大、愛媛大、信州大 等があります。

銭湯をテーマに卒論書いている学生が集まって
研究の進歩状況や情報交換をする「特別講座」を行いました。
今後も、そうした取組や、卒業生との情報交換などを行いたいと考えています。



近年、テレビや新聞、雑誌、WEBメディアに
『銭湯』が取り上げられる機会がとても増えました。
その結果、卒論やレポート等の論文に取り上げられる機会も増えていると思います。

ですが、現状として
「銭湯(公衆浴場)」をメインテーマに研究している教授や研究者をあまりおらず
そうした方の指導やアドバイスを直接受けるのは、なかなか難しいです。
大学の教授や准教授とはいえ、同じ分野の中でも一つ専門が違えば
ほぼ一般人と同レベルの知識しか持ってない事が普通です。
それに日本で出版されている銭湯関連の書籍の多くが
銭湯愛好家が書いた「お気に入りの銭湯紹介本」で、建物や入浴紀行文メインな物です。
先行研究や論文に必要なデータや資料は圧倒的に不足しているのが現状です。

この「銭湯・奥の細道」 (→過去の活動) を立ち上げて5年以上が経ち、
全国の銭湯の情報を調べ実際に訪ねたり、
銭湯に関する資料や書籍を読んだり、
そこで働く方、入りに来ているお客さん、浴場組合の方と話したりする機会も多くありました。
その結果、たぶん普通の人よりは、「銭湯」の現状や情報に詳しくなったと思います。
その知識や経験を生かし、若い方の為に、こういう活動をしてみようと考えました。
たぶん、他では一切やっていない活動だと思います。


銭湯について、人より詳しいとはいえ、
銭湯に関する事何でも知ってる訳ではありません。知らないことの方が多いです。
スーパー銭湯、温泉、サウナ等についてもまだまだ勉強中です。

出来るのは、そのテーマだったら、こういう本や資料があるよ。
それ調べたいなら、ここかこの人に聞くといいよ。
その程度の“あくまでアドバイス”です。

役に立つまともな意見が返ってきたら、ラッキー!くらいの期待度でメールしてください。
もし返信来なくても決して怒らないで。
また、話を聞いた上で、「そのテーマで調べるの難しいと思う」
「それなら銭湯とは別のをテーマにした方が良いと思う」と、アドバイスした事もあります。

本業の仕事もあるので、すぐには返事できません。基本、メール等の返信は遅いです。
だから、「来週提出のレポートを銭湯をテーマに書きたいで、今すぐ教えてください」なんて
メールは絶対してこないでください!


メールをする際は
・件名「銭湯大学」
・自分の氏名と所属。
・どういうテーマで研究・調査したいのか?(銭湯+ 分野、どういう切り口、地域等々・・・)
・なぜそのテーマを選んだか?
・現時点でどれくらい調べてるか?(集めた本、資料等・・・)
くらいは最低限書いてください。

送信先 
1010meguri@gmail.com




なぜこんな活動を始めるかというと
ある大学生の銭湯(公衆浴場)というテーマの卒論の手伝いしたり
大学の銭湯サークルに合宿先の銭湯を紹介したり
銭湯のミライとは?」の記事を読んだある会社の方や博物館学芸員の方から相談受けたりしました。
その事で、自分自身の勉強にもなったり、知識や人の繋がりを広げるきっかけにもなりました。
どうしても、完全に一人でサイトの運営やってると、興味や見方が偏るっていくことを感じるので
そういう点を補完する意味でも自分にとってプラスになると思ったので。
自分自身がさらに学ぶきっかけが欲しいのもあります。

どれくらい反応があるかは未知数ですが
本気で銭湯の事を考えている若い人の力にはなりたい。と思うので
よろしくお願いします。


| コラム的なもの | 10:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る

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東京都の銭湯の入浴料金改定のお知らせ

ここ最近、まちの銭湯の入浴料金が上がる。というニュースがよく流れますね。

多くのニュース解説では、以下のような説明がされます。

〇〇県では、銭湯の入浴料金が×月から大人500円に値上げされることになりました。

まちの銭湯(一般公衆浴場または普通公衆浴場)は、地域住民の日常生活において必要な施設として、“物価統制令”によって都道府県ごとに入浴料の上限価格が決まっています。なので、入浴料金を自由に上げられません。一方、スーパー銭湯や日帰り温泉、サウナなどの「その他の公衆浴場」は、自由に入浴料金を決められます。
銭湯の入浴料金は、県の審議会などで上限価格改定について審議され、知事が決定します。
戦後直後にできた物価統制令の対象は、現在この銭湯の入浴料金だけです。



ここまで聞いて、おや?と思った方多いのではないでしょうか。
なぜ戦後の混乱期に制定された法律が、令和の現代にまだに残っているのか?
しかもその対象は、銭湯だけ??
日常生活に必要なものは、お米とかパンとか水とか他にもあるんじゃない???
生活に必要というが、私は家に風呂あるんで、銭湯ほぼ行かないです・・・
そもそも、私が住んでいる町、銭湯ないんですけど・・・


それらの意見はごもっともです!
ですが、その疑問にマスコミのニュースの中では答えてくれません。
ニュースに出てくる当の銭湯の方も、「経営苦しいです」「銭湯どんどん廃業しています」は必ず言うけど、上記の疑問にはなぜか答えてくれません。

では、なぜ銭湯の入浴料金は決まっているのか?
なるべく分かりやすく解説します。かなり長い記事になってしまいますが、お付き合いください。

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目次
1.物価統制令とは? 物価統制令廃止問題
2.なぜ、物価統制令廃止に、銭湯業界は反対したのか?
3.公衆浴場確保法の成立
4.物価統制令は、銭湯の「手首を縛る縄」であり「命綱」でもある
5.むすびにかえて



※関連記事 
→ 全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和5年2023年最新版)
→ 銭湯とはなにか? 銭湯・公衆浴場研究入門





なぜ、銭湯の入浴料金はいまだに「物価統制令」により決まっているのか?

それは、多くの銭湯にとって、物価統制令が
「手首を縛る縄」であると同時に、自分達の「命綱」でもあるからです。


簡単に言ってしまうと、「物価統制令」は銭湯の入浴料金を制限すると同時に、
銭湯の営業を守る制度や法律、行政からの補助や助成金、水道料金や税の減免とも大きく関係しています。

その理由や銭湯と物価統制令の歴史、法律の問題などを、これから見ていきましょう。


1.物価統制令とは? 物価統制令廃止問題

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銭湯の入浴料金表(埼玉県)

「物価統制令」とは、昭和21年(1946年)3月太平洋戦争が終わった直後に公布施行された法律です。
終戦直後の混乱と物資不足で、物の値段は跳ね上がり、世の中は超インフレ状態でした。そうした中、食料や様々な物の値段(物価)の高騰や暴利、不正取引を抑える、取り締まるために物価統制令は作られました。
その後、日本が戦後の経済発展を遂げていく中で、物価統制令対象だった物のほとんどが適用から外されていきました。代表的な例として昭和47年(1972年)の米価、お米の小売価格自由化などがあります。
そして、令和5年(2023年)現在、唯一対象として残っているのが銭湯(公衆浴場)の入浴料金です。

銭湯の入浴料金は、都道府県の審議会などで上限価格改定について審議され、知事が決定します。
審議会は、県内の銭湯事業者(公衆浴場組合)の要望によって開かれ、銭湯の収支状況、軒数、利用者数、燃料価格などのデータを基に、学識経験者、利用者代表、銭湯事業者代表、行政で行われます。「公衆浴場入浴料金審議会」などの名称で行われている事が多いです。入浴料金の他に、様々な銭湯に対する行政の施策などについて話し合われる場合もあります。


実は、あまり知られていませんが
物価統制令自体、昭和40年代(1965年~)の時点でもう法律としてはその役目が薄れ、主管する当時の経済企画庁では、物価統制令そのものを廃法にすることが検討されていました。

ですが、当時の銭湯業界はこれに反対。(正確には一部賛成なのですが、詳しい説明は次の章で)
昭和40年代はまだ風呂のない家庭も多かったので、日々の入浴料金が上がるのを不安視した消費者代表なども反対したようで、この時の物価統制令の廃止はなくなり、銭湯料金など一部の品目を対象に残して存続されることになりました。




2.なぜ、物価統制令廃止に、銭湯業界は反対したのか?

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「全国浴場新聞 昭和44年9月号」より

ここ最近の銭湯の燃料高騰のニュースでも、「入浴料金を決まっていて上げられない」と嘆く銭湯の方がよく登場しますし、自由価格の方がいいじゃない?と思いますが、ここには難しい問題がありました。

昭和42年(1967年)、物価統制令が廃止の方向性が具体的になり始めた頃、銭湯や公衆浴場組合(銭湯の同業者団体)の中でも、この問題はかなり議論され、賛成・反対含め様々な意見が出ました。

昭和30年代(1955~1964)は、銭湯業界も戦後復興から隆盛を極めた「銭湯黄金期」でした。当然景気も非常に良く、銭湯経営者の中でも、入浴料金を自由化すべきという気運が高まっていました。ですが、昭和40年代(1965~)に入ると、廃業する銭湯も増え始め、業界全体が安定・斜陽期に入り始めます。その時期に物価統制令廃止の問題がでたのです。

もし物価統制令が廃止になり、入浴料金の自由化・距離制限の撤廃になると、
同時に、既存の銭湯を守っている多くの制度 → 銭湯の乱立防ぐ為の「銭湯間の距離制限」、銭湯の経営安定の為の「行政からの補助」なども一緒になくなるのではないか・・・
終戦後に自分達が苦労して作った銭湯業界の基盤や、ルール、秩序が崩れるのではないか・・・
新規参入してきた銭湯がすぐ近くに出来て、自分達の銭湯のお客や利益を奪われるのではないか・・・
結果、自分達の銭湯の営業や立場が危うくなるのではないか・・・

物価統制令廃止によるメリットよりも、上記のような様々な強い危惧や不安が銭湯業界に広がったようです。

入浴料金自由化については認めるという形で銭湯業界の意見が一応まとまった時期もありましたが、合わせて撤廃が検討されていた「銭湯間の距離制限」
(今ある銭湯の近くには新しい銭湯は作れない・営業出来ないという適正配置規制。※現在も残っている)がなくなる事への銭湯業界の反発が非常に大きかった事が、当時の資料から読み取れます。

銭湯業界内、国などの議論は継続して行われ、昭和46年(1971年)頃に現状の制度を変えず維持する方向で一応決着(?)しますが、時代や公衆浴場の役割の変化により、その後も物価統制令廃止、制度の見直しは度々国や都道府県などから出ていますが、その度に銭湯業界の強い反対もあり、変わらず現在に至っているわけです。


余談ですが、
今でこそ、「銭湯のご主人」といえば番台フロントにいる温和なイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、
当時の銭湯経営者は、戦後の混乱期に、北陸・新潟などの地方から、文字通り裸一貫で都会に出てきて、下足番や燃料集めなどの下働きから始め10年以上寝る間もなく朝から晩まで働き、やっと自分の銭湯を持って一国一城の主になった方達が多くいました。当然自分の力で成功したというプライドがあるし、血の気も多い。
当時、公衆浴場に関する様々な問題、入浴料金、銭湯の未来について、銭湯同士や公衆浴場組合内で意見を言い合い活発に議論がされていました。現在では考えられないが、銭湯が行政や警察とやり合ったり、自分達の主張を伝えるためにデモや決起大会、ストライキ(銭湯の一斉休業)も行っていました。
現在もその気質は少し残っていますが、子分と親分、同郷や同族でのつながりも強い業界です。当時の銭湯経営者の一代記を読むと、ドンパチこそしませんが、『仁義なき戦い』を連想させる部分もあり、非常に興味深く面白いです!
そうした銭湯経営者の一致団結した運動や交渉の結果、行政からの様々な施策、予算、融資などを勝ち取って来たのが、あまり語られない昭和の「銭湯の歴史」です。




3.公衆浴場確保法の成立

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「全国浴場新聞 昭和56年6月号」より

昭和57年(1982年)4月に、銭湯と物価統制令の関係を語る上で大きな法律が施行されました。
「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」(以下:公衆浴場確保法)です。

公衆浴場確保法を抜粋要約すると
「公衆浴場が住民の日常生活において欠くことのできない施設であるとともに、住民の健康の増進等に関し重要な役割を担つているにも、かかわらず著しく減少しつつある状況にある。国及び地方公共団体は、公衆浴場の経営の安定を図る等必要な措置を講ずることにより、住民の公衆浴場の利用の機会の確保に努めなければならない。」

と書かれています。

昭和から現在に至るまで、行政(国や都道府県、市区町村)は、銭湯の数と住民の入浴機会の確保の為に、まちの銭湯(一般公衆浴場)に対して、様々な補助・助成、税金面での優遇をしています。その法的根拠となっているのが、この「公衆浴場確保法」なのです。


行政からの銭湯(一般公衆浴場)に対する施策としては、
銭湯に関わる費用の補助金(釜ボイラーの更新、設備・施設の修繕・改修、燃料費など)、銭湯の様々な事業への助成金、割安な上下水道料金、固定資産税の減免、国民生活金融公庫・銀行などからお金を借りた場合の利子補給などがあります。

ここで注意しないといけないのは、行政からの銭湯に対する施策は、都道府県またその市町村によって、その額や対象事業が大きく違います。上記に上げた内容についても、銭湯の減少や自治体の財政悪化などの理由で、行われていなかったり、以前に比べて対象事業や金額が減っている自治体も多いです。
そうした中で、全国で一番行政からの補助が手厚いのは東京都、特に23区内の銭湯です。
なぜここ最近都内の銭湯のリニューアルが多いのか?それは銭湯に対する補助金が大きく関係しています。
銭湯に対する行政の補助は、上記のように地域差が大きくあるためか、業界内でタブー視されているのか、銭湯の方はこの件についてほとんど話さない、話したがらないで、マスコミも触れないし、あまり一般には知られていません。


公衆浴場確保法に話を戻すと、第二条 定義として重要な文章が書かれています。
この法律で「公衆浴場」とは、公衆浴場法第一条第一項に規定する公衆浴場であつて、物価統制令第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。

まちの銭湯「一般公衆浴場」は、入浴料金の上限価格が決められている代わりに、様々な行政の補助が出ています。一方、スーパー銭湯やサウナなどの「その他の公衆浴場」には、自由に価格が設定できる代わりに、行政補助や税制優遇はほぼありません。
その両者を分けているのが、『物価統制令』なのです。
なので、物価統制令がなくなれば、同時に公衆浴場確保法などの銭湯に関連する法律や制度の根幹が大きく揺らぐ事になります。


2023年現在、全国的な燃料費高騰を受け、多くの自治体で公衆浴場に対する緊急の補助金が出ています。
ですがその条文には「一般公衆浴場(普通公衆浴場)」「物価統制令に基づき入浴料金の上限額が定められている公衆浴場」という一文が必ず入っています。なので、燃料費高騰の緊急補助金は、銭湯(一般公衆浴場)にのみ出て、スーパー銭湯やサウナなど(その他の公衆浴場)には出ていません。


今回は記事があまりに長くなるので、深くは触れられませんが、重要な点をいくつか。

公衆浴場確保法の昭和57年(1982年)施行と平成16年(2004年)の一部改正によって、
公衆浴場に、日常生活に保健衛生上必要な「入浴」の他に、『健康増進』と『地域コミュニティーの拠点』としての役割が追加されたのもポイントです。

銭湯の同業者団体である「公衆浴場業生活衛生同業組合(縮めて、浴場組合と呼ばれる事が多い)」と、また銭湯以外の理容、美容、クリーニング、旅館、飲食店、喫茶店、食肉、興行場などの10の生活衛生同業組合の存在にも触れなければなりません。この組合は、中小企業の多い業界で、過当競争が起きないように、正常な経営が行われ、業界の振興、利用者の利益などを目的とした団体です。
一般から見ると、自由競争を阻害している、独占禁止法違反ではないかと思うような、業界のルールや規制、動きが容認されていたり、また行政の施策がされていたりするのは、この生活衛生同業組合の存在とそれに関する法律があるからです。
公衆浴場組合は、銭湯同士の情報交換・繋がり、同業者間のルールや規制、行政からの補助金、銭湯のイベント、入浴料金の審議会などに大きく関わっています。

この銭湯と物価統制令の問題について考える場合、銭湯と政治(特に自民党)との関係も興味深い点です。
昭和25年(1950年)の銭湯間の距離制限を盛り込んだ公衆浴場法の一部改正や、昭和57年(1982年)公衆浴場確保法には、自由民主党(旧民主自民党)の国会議員が大きく関わっており、ともに議員立法によって成立しています。
銭湯業界は、戦後一貫して自由民主党との関係が深く、銭湯業者の大会などでは自民党の厚生労働族の大物議員が挨拶に来ることも珍しくないです。(もちろん、個々の銭湯で働く人全てが、自民党支持者というわけではありません)




4.物価統制令は、銭湯の「手首を縛る縄」であり「命綱」でもある。

新・公衆浴場数グラフ2

昭和45年(1970年)頃から、銭湯は新規開業より廃業の方が多くなり、斜陽期に入り始めます。
家風呂の普及率はどんどん上がり、2023年現在は全国的にほぼ100%に近づきました。
銭湯「一般公衆浴場」は減り続ける一方で、スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設など「その他の公衆浴場」は増え、現在ではその数は完全に逆転しています。
そうした中で、銭湯業界は自分達の銭湯を守るため、新規開業や参入しにくい制度を維持し、規制や制限の代わりに行政からの補助を受けるという方針を取りました。その結果、新規参入しにくく規制と制限が多い経営の自由度が低い銭湯(一般公衆浴場)は半世紀以上減り続けました。既存の銭湯は、民間企業でありながら、行政の補助に頼る体質の経営、業界になってしまったように見えます。
1982年の公衆浴場確保法の成立は、その流れが確立した大きなポイントだったと思います。

1982年以後の銭湯の状況はどうなったかというと
確保法の効果がなかったとは言いませんが、前述の通り銭湯が増えない(減り続ける)制度の根本は変わらないままなので、全国的に銭湯(一般公衆浴場)の廃業と減少は止まらず、人口が多く行政補助も手厚い東京都23区などに代表される都市部や温泉地以外の地方では、まちの銭湯は大半が消えたもしくは消えかかっていると言っていい状況です。人口10万人20万人越えている市でも、まちの銭湯(一般公衆浴場)は1軒もないという所が珍しくないです。

戦後から長年続く行政の銭湯に対する施策や補助も、効果のある適切なものだったのかは疑問が残る部分です。


この記事の最初で述べた一文、覚えていますか?

物価統制令は、多くの銭湯にとって、
「手首を縛る縄」であると同時に、自分たちの「命綱」でもある。


自分の店の商品(入浴料金)を、自由に価格を決められないというのは店舗運営、経営では手を縛られているようなものです。ですが、その手首を縛る縄は、自分の体を支える命綱(行政からの補助や距離制限など)とつながっているために、多くの銭湯に物価統制令、行政による統制価格は現在も必要なのです。

また、現在全国の多くの銭湯が施設設備の老朽化、経営者の高齢化の問題を抱えています。
昭和30・40年代頃の銭湯にまだ体力があった時期ならまだしも、いま物価統制令という綱を切るような大きな変革すれば、入浴価格を上げるなど経営の自由度は上がっても、自分の体すら支えられない多くの銭湯が崖を転がり落ちていく可能性が高いです。
なので、今ある銭湯また公衆浴場組合は、どんなに経営が厳しくても(当たり前ですが儲かっている銭湯も一定数はあります)、ここ数十年間同業者が減り続けていても、物価統制令を廃止しよう自由価格への移行しようという制度改革の動きや本格的な議論にすらならないのは、そういう銭湯業界の事情があると思われます。

先日、あるニュース番組で「銭湯と物価統制令の関係」について取材したら、都内の銭湯50軒以上が取材NGだったらしい。
どの銭湯も、大なり小なり、制度、銭湯業界の問題点は認識していると思います。なにしろ、銭湯本体はもちろん、関連業者も減り続け、銭湯の営業を続けるのが困難な地域が出始めたり、すでに公衆浴場組合が解散した県もあったりします。銭湯業界全体の衰退がここ数十年間続いていることは誰の目にも明らかです。現状の制度が続く限り、全国の銭湯(一般公衆浴場)は今後も間違いなく減り続けるでしょう。
ただ、行政の補助や水道料金減免など、今ある銭湯が優遇されている制度なので、議論や制度見直しが始まれば、そうした行政からの優遇政策や特別扱いがなくなる・減る可能性があります。数年後の自分の銭湯の事を考えれば、未知の海原へこぎ出すよりは、問題はいろいろあっても現状の制度を維持する方がベターと考える銭湯が多いのも理解出来ます。取材NGの銭湯からすれば「寝た子を起こすな」という心境なのかもしれないです。


物価統制令と銭湯・公衆浴場に関する法律や制度は、間違いなく時代遅れで、
現代の入浴事情、全国の公衆浴場の状況や地域住民のニーズにも合っていない部分があるのは明らかです。


あまり知られていませんが、前述した銭湯間の距離制限や公衆浴場確保法については、その成立当時から、憲法違反ではないか、一部の業種だけ保護する法津は問題だ、とする意見が法律学者や政府内、内閣府法制局でありました。その為、国会議員提案の議員立法という形で成立しました。今より風呂のない家庭が多く、銭湯の社会的重要度がはるかに高かった昭和の時代ですら、法律としての問題点が指摘されてたのです。

日本中どの分野にも規制緩和が進み、市場競争を促進しようとする現代の流れの中で、数ある入浴・温浴施設(公衆浴場)の中で、銭湯という一部の公衆浴場業者だけ、行政の施策を受ける制度への違和感。また、行政の補助や税制優遇も、銭湯の数の維持・確保の問題の根本的な解決には機能していないという現実。銭湯に対する施策が「公共の福祉」や「住民の利益」に本当の意味で繋がっているのかという部分には議論の余地があると思います。





5.むすびにかえて。

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厚生労働省 『今日から実践!収益力向上にむけた取組みのヒント 公衆浴場業編』 より

ここからは、個人的な意見を中心に書いていきたいと思います。

上記のグラフは、厚生労働省が作った資料に入っていた20代~60代の一般消費者4万2千人に対する調査での結果です。生活に必要とされている「銭湯」より、「スーパー銭湯やスパ」の方が一般消費者の利用率が高いというか、驚きというか納得というか、個人的には結構考えさせられるデータでした。

銭湯関係ではよく、「銭湯」と「スーパー銭湯」を分けて語りたがる人いますが、実際は、料金的にも、施設的にも、利用者も、求められる役割も、その差は年々少なくなっていると思います。明確に両者は分けるのは実は困難です。

昭和・平成・令和にかけての人々の生活や住環境、時代の変化により
『入浴のみに特化した:まちの銭湯(一般公衆浴場)』から、『様々な温浴を楽しむ:スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設など(その他の公衆浴場)』へ。人々が求めるニーズも、銭湯・公衆浴場の役割も変わったと思います。
どちらが上とか下とかではなく、両者ともそれぞれ良い部分や魅力的な部分があります。

2020年2021年の緊急事態宣言の際、まちの銭湯(一般公衆浴場)は生活に必要な施設として営業が許されました。一方、スーパー銭湯や日帰り温泉、サウナ(その他の公衆浴場)は娯楽余暇を楽しむ施設の扱いで、休業を余儀なくされました。あの時、日常的にスーパー銭湯などを利用していた地域住民はどうしたのでしょうか?全国にはすでに銭湯(一般公衆浴場)がない地域が多いです。
住民にとっては一般公衆浴場、その他の公衆浴場なんて区分は関係ありません。両方ととも地域の大事な風呂・入浴施設です。地域住民の日々の生活を支える施設になっています。

個人的には、銭湯を含め公衆浴場関係の法律や制度、区分などの見直しが、
10年後20年後50年後の銭湯・公衆浴場の未来を見た場合、必要ではないかと思います。


公衆浴場組合による、銭湯業界内の横並びのルールや規制が現在も数多く存在し、結果として個々の銭湯の自由な営業が阻害されているのではないか、という事は以前から言われてきました。全ての都道府県ではないですが、入浴料金(上限価格なのに値下げも許さない)や営業時間の縛りなどがその一例です。
最近、東京都内で新規参入した会社運営の銭湯(一般公衆浴場)が公衆浴場組合に入れてもらえなかった件や、関西のある市でまちの銭湯と地元議員が共同で銭湯の新規参入を安易に認めないように市に要望書出した件を見ると、大きな矛盾と違和感を感じずにはいられません。

「銭湯が減った」「銭湯業界がピンチ」と盛んに言われますけど、その制度や状況を作っているのは今ある銭湯や公衆浴場組合にも一因があるのではないでしょうか?
はたして銭湯の歴史や文化、地域住民の入浴機会、ライフラインを、公衆浴場組合に入っている銭湯のみが継承し守っているのでしょうか?

今ある銭湯や公衆浴場組合は、銭湯の料金や営業時間などの「多様性」を認め、また企業も含め新規参入を積極的に受け入れる業界に変わって欲しいと願います。時代は変わりました。


個人的にはまちの銭湯が大好きです。好きな銭湯のある街、お世話になった方もたくさんいます。
自分の払った税金が銭湯の為に使われている事に大きな不満はありせん。
同時にスーパー銭湯や日帰り温泉も大好きです。広い露天風呂や湯上がりのめしやビール最高でしょ!
利用者からすれば両者の分け隔てはなく、両者ともに発展し、10年後20年後50年後も残ってくれているのが、僕の考えであり願いです。




最後に、2016年熊本地震の際に取材した、地震直後毎日2000人以上の入浴支援した熊本市のあるスーパー銭湯(温泉施設)の支配人の言葉が印象に残っているので紹介します。

「この会社は、元々製糸会社だったので近隣に迷惑をたくさんかけた。地域貢献できる喜ばれる事業として風呂屋を選んだ。今回それが実現出来て、風呂屋やっていて良かったと思う。今回のような災害時も通常時も、同じ入浴という健康や生活を向上させる事業をしているのに、スーパー銭湯と一般公衆浴場で、下水道の料金の差が数十倍なのはおかしいと思う。」



非常に長文でしたが、最後まで読んでいただいて感謝です。

勘違いしないで欲しいんですが、
別に、銭湯業界批判や補助金カットを訴えたいのではありません。
特に最後の章に書かれた個人的な考えが全て正しいとは思いません。

銭湯については問題点と同時にまだ改善の余地や可能性もたくさんあると思います。
この記事が、銭湯について、より良い方向へ、みなで考え議論するきっかけや材料になればいいと思っています。

銭湯LOVE♨





○参考文献

厚生労働省  『衛生行政報告例』「公衆浴場数」  
『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972年
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990年
『全国浴場新聞』  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 
『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合  1980年
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984年
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985年
星野剛 『湯屋番五十年 銭湯その世界』  草隆社 2006年
木藤 伸一朗 「公衆浴場と法」  『立命館法学』 2008 年 5・6 号(321・322号)
厚生労働省  『今日から実践!収益力向上にむけた取組みのヒント 公衆浴場業編』 2019年





◎なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る

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全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和5年2023年最新版)

 全国の銭湯(一般公衆浴場)の入浴料金は、各都道府県によって違い、県の協議会・審議会で審議され知事によって決定されています。(※スーパー銭湯や日帰り温泉は全く別の入浴料金です。)
各県庁や浴場組合、厚生労働省の情報を独自に調べて、一覧表にまとめたものです。

2022、23年は、燃料など諸経費高騰により、今後の値上げ改定を予定している都道府県が複数あります。
改定予定の都道府県は、改定後の入浴料金が表示してあります。
赤字は、近年改定した都道府県と改定する値上げ幅です。
入浴料金は上限価格であり、その地域やその銭湯によってはこれより安い値段で営業している場合もあります。
また、お得な回数券やサウナ利用で追加料金を設けている銭湯や都道府県もあります。

各県の入浴料金の比較や浴場組合内での会議の資料とかに使えるかなと思い、作りました。
リンクフリーです。もし印刷等して使う場合は、こちらに メールもらえるとうれしいです。
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〇関連記事
・ 全国の銭湯のマップ・一覧→ 全国 銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ マップ&全軒一覧
・ なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る


◎全国の銭湯(一般公衆浴場)入浴料金と軒数 一覧表
銭湯・奥の細道・調べ(2023年4月更新)  
都道府県大人料金(値上げ幅)中人(小学生)小人(未就学児)
洗髪料改定日 軒数(組合員数)備考
全 国 3120(1865)
北海道480 (↑30)140 (0)70 (0)2022年10月 233 (113)
青 森480 (↑30)
170 (↑20)80 (↑20)2023年4月 281 (53)
秋 田460130902019年1月 14 (-)
山 形300120801995年4月  0  (-)
岩 手480170802020年4月 16 (-)
宮 城480 (↑40)160 (↑20)90 (↑10)2023年1月 6  (-)
福 島450150902018年4月 10 (5)
栃 木460 (↑40)200 (↑20)100 (↑10)2023年2月 8  (4)
群 馬400180802014年9月 18 (11)
茨 城350130701998年3月 2  (-)
千 葉480 (↑30)170 (0)70 (0)2022年9月 41 (38)
埼 玉480 (↑30)180 (0)70 (0)2022年10月 39 (34)
東 京500 (↑20)200 (↑20)100 (↑20)2022年7月 482 (473)
神奈川500 (↑10)200 (0)100 (0)2022年9月 125 (126)
山 梨430170702019年12月 22 (12)
長 野440 (↑40)150 (0)
70 (0)2023年4月 31 (13)
新 潟480 (↑40)150 (0)70 (0)2023年1月 26 (21)
静 岡450180902019年10月 11 (7)
愛 知500 (↑40)180 (↑30)100 (↑30)2023年4月 77 (69)
岐 阜500 (↑40)180 (↑20)
100↑202023年4月 20 (16)
三 重470 (↑30)150 (0)
70 (0)
2023年4月 27 (19)
石 川490 (↑30)130 (0)50 (0)
2023年4月 66 (37)
富 山470 (↑30)150 (↑10)70 (↑10)2023年4月 78 (51)
福 井450160702020年4月 17 (16)
滋 賀490 (↑40)150 (0)100 (0)
2023年5月 15 (12)
京 都490 (↑40)150 (0)60 (0)2022年10月 151 (106)
大 阪4902001002021年8月 428 (308)
兵 庫490 (↑40)180 (↑20)80 (↑20)2023年2月 150 (85)
奈 良440160802019年10月 19 (14)
和歌山440150802019年10月 27 (11)
岡 山450 (↑20)200 (↑40)100 (↑30)2022年12月 13 (8)
広 島480 (↑30)200 (0)100 (0)2022年11月 46 (26)
山 口450 (↑30)160 (↑10)80 (0)2022年5月 17 (12)
鳥 取450150802021年4月 15 (6)
島 根350130702005年9月 2 (-)
香 川400150602015年12月 18 (11)
愛 媛450 (↑50)150 (0)60 (0)
2023年4月 29 (19)
徳 島450 (↑50)150 (0)70 (0)2023年1月 24 (13)
高 知400150602014年12月 9 (-)
福 岡480 (↑30)200 (↑20)100↑302023年4月 36 (24)
佐 賀28013080501996年2月 1 (-)
長 崎400 (↑50)150 (0)80 (0)
2023年4月 15 (8)
大 分430 (↑50)160 (↑10)80 (↑10)2022年12月 131 (6)
熊 本450 (↑50)150802022年11月 49 (11)
宮 崎350130602008年2月 11 (4)
鹿児島420150802019年10月 261 (62)
沖 縄3701701002006年2月 3 (1)


それぞれの都道府県の銭湯(一般公衆浴場)軒数と、(その中の公衆浴場組合員数)は、
一般公衆浴場数は、「厚生労働省の衛生行政報告」の令和3年度(2022年3月)の軒数、
各県の公衆浴場組合員数は、「全国公衆浴場業者 東京都大会」資料の2022年4月現在の組合員数。
組合員数が「ー」になっている県は、すでに県の公衆浴場組合(銭湯の同業者団体)が解散している県です。


ちなみに、入浴料金が極端に低い県は、その県の銭湯の数が減りすぎて、浴場組合が解散したり実質活動停止状態になり、ここ10年以上入浴料金の審議会が開かれていない県です。


◎全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (最新版)


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【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門/参考文献紹介

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 銭湯のサイトを運営しながら、『銭湯大学』という銭湯をテーマに論文書いている学生をサポートする活動を7年ほど前からやっています。

 その問い合わせの中で多いのが、「銭湯をこういうテーマで卒論書きたいのですが、文献・資料はありますか?」というものです。ですが、銭湯(公衆浴場)は学問としてはあまり研究が進んでいない分野で、専門の研究者も少ないのが現状です。

 なので、銭湯(公衆浴場)を研究する、論文を書くにあたっての入門、基本的な文献や知識について、まとめました。

この記事が、学生の研究や卒業論文作成やの一助になることを、また銭湯に興味があったり好きで調べたりしている方達の役に立つことを、願っています。
2023年1月


第1章 「銭湯」とはなにか?
第2章 銭湯は本当は減っていない?!多様化する公衆浴場
第3章 銭湯・公衆浴場の参考文献紹介

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第1章 「銭湯」とはなにか?

 まず参考文献の紹介する前に、『銭湯』について解説したいと思います。
銭湯は銭湯だろう。と思うかもしれませんが、実は『銭湯』は定義があいまいな言葉で、
人や場合によって、文献や記事によって、その指す対象が変わります。


 銭湯、お風呂屋さん、公衆浴場、△△の湯、湯屋・・・様々な呼び方がありますね。
「銭湯」という言葉は日常的に使いますし、なんとなく下記の絵のようなイメージでしょうか?
レトロな建物の銭湯をイメージする人もいれば、大きなスーパー銭湯を想像する人もいるでしょう。
人によって「銭湯」の指す対象は様々です。住んでいる場所によっても違うと思います。
「ここまでが銭湯で、ここからが銭湯ではない。」というような全国統一の厳密な定義、基準がないのが実状です。
実際、銭湯についての本や銭湯で働いている人の中でも、このへんの線引きが微妙に違います。

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Q.銭湯とはなにか?

 銭湯とは何か?我が地元の市のHPの文章が、分かりやすくまとまっているので引用しますね。

簡単にいうと、身近な街のお風呂屋さん、普通は「銭湯」と呼ばれています。この銭湯を正式にいうと「公衆浴場」となります。
 公衆浴場の定義については、公衆浴場法という法律の第1条により「温湯、潮湯または温泉その他を使用して、公衆を入浴させる施設をいう。」と規定されています。
 さらに、この「公衆浴場」は、都道府県に届け出る営業の許可により、大きく分けて、「一般公衆浴場」と「その他の公衆浴場」に区分されており、「銭湯」は「一般公衆浴場」に属しています。
 さらに、さらに詳しくいうと、「一般公衆浴場」とは、「地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設で、物価統制令によって入浴料が決められる施設・・・」となっており、一般的な銭湯や公営の共同浴場などが該当します。
 これをわかり易く言い換えると、「地域の皆さんに健康で快適な生活を送っていただくための施設で、その料金は法律によって定められている施設・・・」が街中で見かける銭湯ということになります。
 ちなみに、「その他の公衆浴場」とは、物価統制令の適用がない施設で、サウナ風呂や健康ランド、最近はやりのスーパー銭湯などが該当します。

引用 朝霞市「公衆浴場(市内の銭湯)」



A.銭湯とは、「一般公衆浴場」である。
 というのが答えであり、現在は最も一般的で全国的に通用する定義です。
「一般公衆浴場」は「普通公衆浴場」とも言います。
最新の数字では、全国に 3,120軒 の銭湯があります。(国の衛生行政報告例より。2022年3月現在)

 銭湯(一般公衆浴場)は、物価統制令によって入浴料金が決まっています。これは都道府県ごとに金額が違い、現在全国で一番高いのは、東京都と神奈川県の大人500円、一番安いのが佐賀県の大人280円となっています。ちなみに、これは「上限価格」であって、「一律価格」でありません。要するに、これ以上上げるのはダメだけど、下げるのは実はOKなのです。これ勘違いしている人が結構多いです。また、サウナ料金等を別に取っている銭湯もあります。

 さらに詳しい事を書くと、この「一般公衆浴場」は、県によって対象施設の範囲が微妙に違って、鹿児島県のように町の小さい銭湯から大型浴場・日帰り入浴やってるホテルまで含む範囲が非常に広い都道府県もあれば、東京のように対象範囲が狭い都道府県もあります。また、現在は一般公衆浴場の新規開業が実質的に不可能な県もあります。
 銭湯の施設設備についての基準やルールは、各都道府県で条例で決まっており、それを読むと共通の部分もあれば、県によって違う部分もあり、全国一律ではありません。ここが少しややこしい。
 銭湯(一般公衆浴場)はその都道府県ごとに、対象施設の範囲や数、取り巻く状況も、実はかなり違うのです。


もう一個の『銭湯』の定義は
A.銭湯とは、「公衆浴場組合に入っている浴場」である。
 一昔前はこの考えがスタンダードで、この捉え方をしてる文章や人も多いです。
 各都道府県には、公衆浴場業生活衛生同業組合(以下浴場組合)という銭湯の同業者団体があり、多くの銭湯はそこに加入して営業しています。ただ、加入は任意なので、加入せずに営業している銭湯も結構な数あります。また、ここ数十年で数が減少し、すでに浴場組合が解散している県も出てきているので、現在ではこの定義だと、漏れてしまう銭湯が多く存在します。
 
 この浴場組合に入ってる銭湯の数は 1,865軒 になります。(全国浴場組合調べ。2022年4月現在) 
 前述した全国の一般公衆浴場の約2/3弱が、この浴場組合に加入してることになります。
東京都は、一般公衆浴場の浴場組合への加入率が全国でもトップクラスに高く、その約99%が加入しています。なので、東京都などの都市部では、「銭湯」=「一般公衆浴場」=「公衆浴場組合に入っている浴場」という定義も成立します。





銭湯は本当は減っていない?!多様化する公衆浴場

 大正、昭和、平成、令和と時代は進み、人々の生活や住環境も変わり、
どの家に風呂があるのが当たり前になった現代、当然のことながら銭湯の役割や立ち位置も大きく変わりました。
銭湯も、入浴という住民の日常生活において保健衛生上必要な施設から、
日々の生活のリフレッシュ、肉体的精神的な疲れを癒す、余暇を楽しむ施設へと、変わってきたと思います。
前述の「一般公衆浴場」と「その他の公衆浴場」の境界線や役割の差は、年々なくなってきていると感じます。


「銭湯が減った」「銭湯文化がピンチ」と書かれた本や記事、文章をよく見ますが
これは半分正解で半分間違いです。


銭湯(一般公衆浴場)の数のピークは、太平洋戦争前後に大きく2度ありました。
1度目は、昭和2年(1927)頃~昭和15年(1940)頃までの十数年間
2度目は、昭和31年(1956)頃~昭和46年(1971)頃までの十数年間
ともに、全国に20,000軒以上の銭湯が存在していました。

よく銭湯の本や記事に「銭湯のピークは、昭和43年(1968年)で全国18,000軒前後あった。」と書かれていますが、あれはあくまで前述した“浴場組合に入ってる浴場”の数のピークです。


 一般公衆浴場(組合加入している浴場も)は、昭和40年代後半(1970年頃)から全国的に減り続けてきましたが、実は「一般公衆浴場」や「その他の公衆浴場」などを足した『公衆浴場の全体数』は、減っていませんでした。
 昭和30年代までは、公衆浴場のそのほとんどが一般公衆浴場でした。それが時代が進むにつれ、健康ランド、サウナ、スーパー銭湯、岩盤浴など様々な温浴施設(その他の公衆浴場)が登場し増えます。同時に、一般公衆浴場の数や公衆浴場全体にしめる割合も年々減少していったのです。
 公衆浴場の全体数は平成に入っても増え続け、平成18年(2006)頃には全国28,000軒を越えピークを迎えます。
 
 この流れを単に銭湯の減少や銭湯文化の衰退と言ってしまう事には、違和感を感じます。
(ただ、近年は公衆浴場全体としてもやや減少傾向にある。)


新・公衆浴場数グラフ2

大正・昭和・平成・令和にかけての全国的な公衆浴場の変化をみると、
入浴のみに特化した:まちの銭湯(一般公衆浴場)=「狭義の銭湯」から、
様々な温浴を楽しむ:スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設なども含む「広義の銭湯」へ。

人々の生活や住環境、ニーズ、時代の変化により、『銭湯(公衆浴場)は多様化した。』と見るべきではないかと思います。
銭湯や公衆浴場の長い歴史の中で、「銭湯」は時代と技術の進歩、人々の入浴や衛生意識の移り変わりによって、常に進化と変化を繰り返してきました。ここ数十年で起きている変化も、銭湯の歴史の一つではないかと思います。

この「銭湯・公衆浴場は多様化した」、また「銭湯は都道府県ごとに施設も状況も大きく違う」という事実。この2点が銭湯に関する本や記事の中では欠けている事が多いです。今後は、こうした視点を持って、銭湯・公衆浴場を捉える必要が出てくると個人的には考えます。





第3章 銭湯・公衆浴場の文献紹介


 それでは本題の銭湯・公衆浴場の研究において参考になる文献を紹介していきたいと思います。

 買える値段であれば、書店や古書店、アマゾン、日本の古本屋などのサイトを使って買っても良いし、地元や大学の図書館、大きい県立図書館・資料館や国会図書館で探してみるのも良いと思います。とりあえず1冊読んでみて、その本に書いてある引用・参考文献の中で、自分の研究テーマに関係ありそうな文献、先行研究をさらに調べてみるという方法が有効だと思います。

 内容や入手が難しい物もあるので、比較的読みやすいものにがつけました。がついている文献から読み始めてみるのもいいかもしれません。


まずは、銭湯研究において基本となる重要な文献を5つを紹介する。

〇基礎文献

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 中野栄三 『銭湯の歴史』  雄山閣 1970年
「入浴史」「浴場史」「銭湯史」「入浴雑考」の各章。日本人の入浴の歴史、浴場形態の変遷、江戸の湯屋、明治大正時代までの銭湯の歴史、生活風俗などが取り上げられている。重要な一冊。
現在は『入浴と銭湯』 (雄山閣アーカイブス) として入手可能、内容は同じ。


 公衆浴場史編纂委員会編 『公衆浴場史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 1972年
浴場組合の記念事業として監修者武田勝蔵氏を中心にまとめられた本。銭湯や公衆浴場研究の基礎となる史料。
銭湯関連の書籍などに載っている銭湯の歴史や知識はこの本に由来するものが多い。
付録として、図書目緑と672年以来の公衆浴場史略年表がついている。


 全国公衆浴場業環境衛生同業組合 『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 1990年
発行された部数が少ないせいか、収蔵している図書館が少ないが、史料的価値は非常に高い。
内容は大きく分けて公衆浴場の歴史を江戸時代から昭和63年まで年表でたどる「全浴連のあゆみ」と、
北海道から沖縄まで各県の動きや入浴料金、軒数などの変遷が書かれている「各都道府県の浴場組合のあゆみ」。
昭和期の浴場組合の動き、公衆浴場法や入浴料金など、銭湯と行政との交渉の過程などが非常に詳しい。
ちなみに、この20年後に出た『全浴連五十年』は、史料的価値はやや薄い。


 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 『全国浴場新聞』  1949~?年、1969~2023年現在
銭湯の業界紙。現在も毎月発行され全国の銭湯に配布されている。
浴場組合の会議の内容や人事や入浴料金、コラム、歴史、広告など銭湯関連の記事が多数掲載。
それらをまとめた『全国浴場新聞縮小版』も刊行されている。
現在、『全国浴場新聞 電子版』がネットで公開されていて、1969年から2019年までの全ての新聞、記事が誰でも読めて、なおかつ記事の単語検索機能もついているので、超便利!
※ちなみに、1969年以前の全国浴場新聞(全日本浴場新聞)はほぼ残っていないので、持っている方見つけた方は当方まで連絡ください~


 山田幸一監修 『いま、むかし・銭湯』  株式会社INAX 1988年 
INAXギャラリーにおける企画展「いま、むかし・銭湯」に合わせて刊行された本。
内容は、「わが国における入浴文化の変遷と浴場建築」「銭湯の建築史」「江戸の銭湯と風俗史」「銭湯経営者と新潟・北陸との関係」「銭湯の名建築」「唐破風」「ペンキ絵」など、その後の銭湯関連の本でよく取り上げられているトピックスがほとんどがここで書かれている。
健康ランドの元祖「船橋ヘルスセンター」についての記述や写真も貴重。写真豊富なので読みやすい。






〇ほかに、銭湯・公衆浴場に関する参考になる文献をいくつか

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銭湯や公衆浴場について書かれた本や文献は、様々なジャンルで数百冊以上はありますが、
その中でも、特に卒業論文や研究の参考になるものをいくつか挙げてみます。


・京都市社会課 『京都市社会課叢書第13編 京都の湯屋』 1924年
大正13年に京都市が行った市内の湯屋(銭湯)への大規模な実態調査の結果をまとめ分析したもの。
当時の湯屋の建物、設備、経営状態、従業員などかなり詳しい情報が載っている。また、京都の銭湯の歴史や浴場の衛生調査、寺院の古浴室設備、京都市公設浴場の概要なども書かれている。
この時代の銭湯に関する一次史料はとても貴重である。
【『日本近代都市社会調査資料集成4 京都市・府社会調査報告書Ⅰ 11 大正13年(1)』 近現代資料刊行会 2001年】にそのまま収録されているので、こちらで見ると良い。


・公衆浴場史編纂委員会 『公衆浴場史略年表稿本』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 1969年
「明治以前」「自明治元年 至昭和四十三年」の2冊がある。
全国の浴場組合よりの提供資料、東京の本部所蔵のものを「史料カード」を数千枚を採集、整理してまとめたもの。
前述の『公衆浴場史』にもこの年表の抜粋したものが収録されているが、本書の方が内容や記述がより詳しい。


・神保五弥 『浮世風呂 江戸の銭湯』   毎日新聞社 1977年
江戸時代に書かれた文学作品の記述を中心に江戸の銭湯を考察した一冊。
伊勢与一から始まる江戸時代の銭湯の発達、当時の銭湯の構造や経営、客と銭湯で働く人、銭湯の一日、銭湯の四季などについて、書かれている。当時の銭湯を描いた絵も多く載っていて、興味深い。


・東京都公衆浴場商業協同組合 『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合 1980年
公衆浴場組合の資料は、外部に公開されている事は少ないが貴重な史料が多い。
まとまった年史・記録は、東京のほかにも、北海道、札幌、旭川、埼玉、板橋、墨田、池袋、新宿、大阪、京都などのものが存在する。その他にも、一般利用者向けの銭湯マップや組合員向けに名簿を作っている事もある。
地元の図書館や国会図書館を探してみると良い。


・宮崎良美 「石川県南加賀地方出身者の業種特化と同郷団体の変容 -大阪府の公衆浴場業者を事例として-」 『人文地理 50巻 4号』  人文地理学会  1998年 
「東京や関西の銭湯経営者には北陸出身者が多い」といわれるが、この論文では特に大阪の銭湯と石川県南加賀地方出身との関係にスポットを当てている。なぜ、特定の地域の出身者が公衆浴場業に進出していったのか?銭湯の歴史や県人会・同郷団体、親族や友人などの「つて」、資金や物件、就職先の紹介の繋がりなどの多方面から考察していて、非常に読み応えある。


・東京都公衆浴場業環境衛生同業組合 『東京銭湯物語』  草隆社  2000年 
「東京の公衆浴場の歴史」「風呂屋の主人が語るあのころ」「銭湯写真館」「銭湯で元気になる」
コンパクトながら、非常によくまとまっていて読みやすい。
貴重な写真や銭湯に関する記述も多くある。 


・白石太良 「生活文化の舞台としての公衆浴場の現状-神戸と明石における調査から-」 
『御影史学研究会民俗学叢書16 民俗宗教の生成と変容』 岩田書院 2004年

2002年にゼミの学生とともに神戸市と明石市の全ての銭湯に実際に入浴して調査を行い、まとめた論文。
公衆浴場の実態(概況、施設と設備、清掃の状況など)、入浴客の動向(利用頻度、家庭風呂の有無、入浴時間や方法など)、公衆浴場の問題点などが書かれている。


星野剛 『湯屋番五十年 銭湯その世界』  草隆社 2006年 
墨田区のさくら湯のご主人が自らの修業時代を当時の銭湯模様、時代背景とともに描いた、昭和銭湯回顧録。
終戦直後の銭湯の状況とその仕事の内容や従業員の構成、他の銭湯の関係など非常に分かりやすく書かれている。
かつ一冊の本としてもとても面白い!
銭湯経営者が書いた本としては、新宿松の湯の笠原五夫氏の書籍もある。


・佐藤せり佳 「銭湯の行動学」
菅原和孝編 
『フィールドワークへの挑戦-<実践>人類学入門』  世界思想社 2006年 
銭湯の女湯で起こる客同士のつながりコミュニティーを徹底した現地調査で調べあげた読み応えのある論文。
心温まるエピソードから、なぜ常連客による場所取りやトラブルが起こるのかもこれを読むと納得。


・柴田恵介 「銭湯にみる地域外出身者と地域社会の変遷」
『龍谷大学社会科学研究所叢書第76巻  京都の門前町と地域の自立』  晃洋書房 2007年  

行政や浴場組合に残っている記録や京都市下京区の銭湯へのインタビューをもとに、過去、最盛期、現在に至る京都の銭湯の歴史を見ていく。その中で、北陸を中心とした他地域出身者が、銭湯という場所を通して地域に受け入れられていく過程や銭湯での働き方や運営状況の変化、同業者間の繋がりなども丁寧に調べられている。また、比較対象として、京都タワー大浴場の記述もあり。
良くまとまっていて、いわゆる「銭湯の定説やイメージ」とは違う実態も書かれててとても興味深い。


・中山満美、辻原万規彦、細井昭憲、安浪夕佳 「地方都市における一般公衆浴場の変容に関する研究」  
『日本建築学会技術報告集13巻26号』 2007年 

熊本市の銭湯(一般公衆浴場)の建物、経営、設備、客数など多方面からその変遷を考察している。
表や銭湯の実測図、写真なども入っていて分かりやすい。力作!


・木藤 伸一朗 「公衆浴場と法」  『立命館法学』 2008 年 5・6 号(321・322号)
現在も残っている公衆浴場に対する「距離制限をともなう許可制」と「物価統制令に基づく料金規制」という問題について、法と行政、過去の裁判の判例、法的視点をもとに考察している。また、強力な規制が残っているのが公衆浴場について、現代の実情と合わなくなっている事、公衆浴場確保という観点から今後の課題が多い点などを指摘している。


・社団法人 日本銭湯文化協会編 『銭湯検定公式テキスト』  草隆社 2009年 
江戸時代から現代に至るまで、銭湯の歴史や文化、日本人の銭湯・入浴事情を幅広く解説。
銭湯の建築や雑学、データについても書かれている。浴場組合がやっている銭湯検定の公式テキストである。
2020年に改訂版出てます(1と2) 1では銭湯の「歴史」「建築」「雑学」 2では銭湯入浴医学や健康法が書かれている。


・川端美季 『近代日本の公衆浴場運動』  法政大学出版局 2016年
江戸・明治・大正期の都市の公衆浴場、特に「公設浴場」に関する研究。
湯屋の法規則の変遷や欧米の公衆浴場運動、行政の社会事業としての公衆浴場、大阪、京都、東京での「公設浴場」が紹介され、労働者の生活環境改善、部落改善事業、大火や関東大震災との関連について書かれている。


横浜開港資料館・横浜歴史博物館 『銭湯と横浜』  横浜市ふるさと歴史財団 2018年 
2018年に横浜で行われた「銭湯と横浜」展に合わせて作られた本。
横浜を中心に銭湯について多方面からの研究がされ、内容も非常に充実、写真も多く見やすく資料価値が高い。
後半の浴場史研究や参考文献の数々はとても参考になる。
銭湯経営者と北陸の関係についての研究は、今後も注目したい。


・石井萌美、川原晋 「生活文化資源としての銭湯継承とレクリエーションを含む新規需要獲得の取り組み – 親族以外が事業継承した銭湯に着目して -」  『日本観光研究学会機関誌 Vol.33』  2021年
親族以外が事業承継した全国の銭湯の十数軒を1軒ずつ聞き取りや現地調査した力作。いま注目されている銭湯の事業継承の現状と課題について、詳しく分析されている。
銭湯大学で論文作成をお手伝いした学生の論文です。


・厚生労働省 『今日から実践! 収益力の向上に向けた取組みのヒント 公衆浴場業編』  厚生労働省  2019年
・新倉貴士監修 『消費者行動論で読み解く 銭湯の常連を増やす方法』  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会  2023年

ともに、銭湯経営者向けに作られたものだが、銭湯経営や利用者の実態・動向を知る資料としては有益。
また、ともにPDF版がネットから容易に入手できる(上記のタイトルをクリック)
前者は、業界動向、消費者動向、経営改善のヒント、取り組み事例などが紹介されている。
後者は、老若男女へのネットアンケートから、銭湯の利用状況、銭湯に求めること・設備、利用(または止めた)のきっかけなどが載っている。


・「東京都公衆浴場対策協議会
各都道府県の行政と公衆浴場事業者、学識経験者で行われている入浴料金などを決める会議。
他府県では「公衆浴場入浴料金審議会」などの名称で行われている事が多いです。入浴料金の他に、様々な銭湯に対する施策などが話し合われる。銭湯の軒数や経営状況などの資料が会議に使われて、議事録や会議資料がWEB公開されている県もある。その県の銭湯の実情の一部が知ることができる。


厚生労働省『衛生行政報告例』「公衆浴場数」   
全国や各都道府県、都市の銭湯の数やその変遷を知りたい時に役立ちます。
厚生労働省が毎年取りまとめ公表している「衛生行政報告例(厚生労働省) 」により、公営及び私営別の公衆浴場数を種類別に調べることができます。昭和24年から現在までの各都道府県と全国の軒数のデータが閲覧可能。
公衆浴場:一般公衆浴場、個室付浴場、ヘルスセンター、サウナ風呂、スポーツ施設、その他
戦前は、「警察統計報告」に全国の公衆浴場数のデータが残っている。


厚生労働省 「浴場業の振興指針」    
「浴場業の振興指針」とは、国(厚生労働省)が定めた法律に準ずる銭湯(公衆浴場)業界のガイドライン的なもの。中身については、5年に1回改定され、厚生労働省の会議で銭湯経営者代表も参加し内容を決めています。最新は2020年3月。
これを決める厚生労働省の厚生科学審議会 (生活衛生適正化分科会)の資料や議事録も重要。
銭湯業界の現状や、抱えている課題や問題点にもしっかり触れているので、読むと勉強になる。


※国や県、各市区町村、行政の銭湯や公衆浴場に対する施策や補助、法律、条例、データなどを調べる場合、
その多くが「銭湯」ではなく「公衆浴場」という名称で書かれている事が多いです。
一般市民向けのホームページでは「銭湯」という名称が使われている事もありますが。





〇一般向けの銭湯に関する書籍

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 一般向けの銭湯本は、銭湯の建物や装飾、タイルなどに注目したものが多く、写真が豊富なのが特徴。
あくまで銭湯の紹介や魅力、面白さ、ノスタルジーなどを伝える本なので、正確な実態を捉えているとは言い難い記述もあったりしますが、銭湯に興味を持つきっかけとしては良い1冊といえます。
多数出版されている中で、おすすめのものを何冊かピックアップしました。


・町田忍 編著 『銭湯へ行こう』  TOTO出版 1992年
・町田忍 『銭湯へ行こう・旅情編 10年1089軒行脚の記録 カラー版』  TOTO出版  1993年
町田忍氏に関しては、現在にいたるまで多数の銭湯本を出版しているが、
最近は目新しい発見や追加の研究も乏しく、出版年が古い本の方が内容が充実してるように感じる。
なので、ここでは最初に出した上記の2冊がおすすめとしておきます。
この2冊がその後の銭湯本のある種のひな型ともいえる。


・塚田敏信 『いらっしゃい北の銭湯』  北海道新聞社 1998年
著者は当時高校教諭で学生と銭湯の自主製作本なども作っていた方。
カラー写真豊富に、約40軒以上の北の銭湯をそれぞれ魅力的に紹介している。銭湯の建物や煙突、看板、のれん、番台、タイルなどの解説や写真も多数あり。巻末に当時の北海道の銭湯リストも収録されている。


・松本 康治 『関西のレトロ銭湯』  戎光祥出版 2009年
関西のレトロ(激渋)銭湯を、建物や入浴風景を写真豊富に40軒ほど紹介している。
近年は、銭湯一軒ごとの紹介とともに、「銭湯と旅」というテーマで紀行文的なものも多く、文章もおもしろい。『レトロ銭湯へようこそ』『旅先銭湯』など、関西・西日本の銭湯の本を多数出版しているので、気になったものを手に取ってみると良い。


・林 宏樹 『京都極楽銭湯読本』  淡交社 2011年
前作の『京都極楽銭湯』は京都の銭湯を一軒ずつ紹介した銭湯ガイドブック的物だったが、本書は京都の銭湯を、建物、設備、タイル、ドリンク、屋号、祭り、イベント、データなど多方面から読み解く一冊になっている。
写真やレイアウト等もきれいなのでとても読みやすい。


・大武千明 『ひつじの京都銭湯図鑑』  創元社 2016年
京都のおススメ銭湯の17軒を外観、内観、間取り図や建物設備の特徴とともに紹介した一冊。
写真ではなく手書きカラーの間取り図やイラストがかわいく、コラムやミニ漫画も面白い。
著者の銭湯への愛情や思いが感じられる。


・今井 健太郎 『銭湯空間』  KADOKAWA  2020年
現在、全国で多数の銭湯や温浴施設のリニューアルを手掛けている銭湯建築士・今井健太郎氏の本。
著者が手掛けた銭湯の写真や解説が多数。本の後半に載っている銭湯の歴史の年表がコンパクトで理解しやすい。
WEB上に、本に入らなかったタイルの話や2000年以降の銭湯について書かれた記事も上がっている。


・おしどり浴場組合 『銭湯 文化的大解剖! まちのお風呂屋さん探訪』  神戸新聞総合出版センター 2021年
関西の銭湯紹介や、お風呂屋さんの一日に密着、インタビュー、銭湯の見方解説などがある。
複数の執筆者が書いた関係か、それぞれの記事にクオリティの差を感じる時もあるが、それまであまり注目されなかった電気風呂にスポットをあてた「電気風呂の世界」は必読!





まだまだ、発見されてない歴史や魅力、面白さ、可能性がたくさんある「銭湯」。
自分自身も「銭湯」のことについて、まだまだ知らない事、分からない事だらけです。
だからこそ、新しい切り口や視点での「銭湯」の論文や研究が出てくる事またそれを読む事を楽しみにしています。
この記事がそうした『新たな銭湯』の発見に繋がるとよいと思います



もし、この記事や紹介している文献について質問のある方は、『銭湯大学』の記事の方から、問い合わせてください。



【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門・参考文献紹介

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【終戦の日特集】 戦時中の銭湯は、どんなだったの?

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1945年3月の東京大空襲で焼け野原になった東京・九段付近の焼跡銭湯風景。
撮影:別所弥太郎氏 花王石鹸ホームページより



はじめまして。銭湯(公衆浴場)について、調べています。

先日、銭湯に関する古い資料を読んでいる時に、ある記述を見つけました。
「1943年(昭和18)12月 全国浴場数19,924軒」と書いてあります。

おや?と思いました。
いま一般に出回っている銭湯に関する本や記事のほぼすべてで、
「銭湯が一番多かったは1968年(昭和43)の18,000軒前後」というのが、定説となっています。
※本などによって多少の数字の違いはあるものが、一番多かったのは1968年というのは共通です。

1968年よりその25年前の戦時中の方が銭湯の軒数は多くないか?
別の浴場組合(銭湯の同業者団体)の資料にも、「1943年 19,924軒」という数字が載っていました。
もしかして、よくいわれる銭湯の定説は、少し違っていて
「全国で銭湯の数が多かったピークの時期は2度あり、
戦中1943年(昭和18)頃と、戦後1968年(昭和43)頃である」
というのがより正しいではないか?

戦時中といえばイメージするのは、空襲、赤紙、配給制、様々な統制・・・。
一方、銭湯といえば戦後日本の復興とともに最盛期を迎えたと聞いていたので、
相反する事実にいささか混乱しました。
でも、数年前に映画「この世界の片隅で」を見て、戦時中の人々の生活が現代の私たちのイメージが違う部分があるのを知り、違う事実が出てくるかもと思い、調べ始めました。


なにしろ戦時中は、記録や写真が少なかったり、空襲で資料が焼けたり、
戦前と戦後で大きく組織や行政も変わった事で詳しい記録が残っていなかったり。
そもそも、銭湯や入浴という日常の事は記録に残りづらいという宿命もあります。

可能な限り、昭和時代に書かれた銭湯(公衆浴場)に関する資料やデータを調べて、いくつかのテーマに分けて見ていきたいと思いますが、まだまだ自分自身も全体像が見えていない部分や謎残る部分が多くあるので、その辺は今後の調査研究が進む事を望みます。


1.非常に大変だった銭湯経営!
2.風呂に入るのも一苦労。
3.終戦、そして、銭湯の復興、再建へ。





○非常に大変だった銭湯経営!

銭湯は今でこそ、浴場設備や機械の近代化が進み、
燃料に都市ガスを使ってる銭湯なんかは、スイッチ押せば適温のお湯が沸くようになっていますが、
(現在でも重油や薪を燃料を使ってる銭湯も多くあります)
昭和初期の銭湯の、お湯を温める主な燃料は、石炭と薪でした。
その頃は銭湯の業務の中で、燃料を集める仕事こそ最も労力をつかい非常に苦労したそうです。
特に戦時中は、物資不足、燃料不足が酷く、銭湯もその例外ではありませんでした。


1931年の満州事変からの日中戦争、1941年のアメリカとの太平洋戦争に突入すると
全国の銭湯の中には、軍隊への召集により主人や従業員をとられて、
銭湯の労働力が手薄になり、営業継続に支障をきたす浴場が出始めました。
昔の銭湯は今よりもはるかに力のいる仕事も多く、また働く人数も多く必要でした。
その為、地域の銭湯同士が協力して、燃料の運搬をしたりする事もあったそうです。

戦時中は、金属器具の供出や、営業時間の短縮、入浴時間の制限、お湯が出るカラン(蛇口)の減数、髪洗いの禁止、空襲警報による中止など、様々な営業上の制限や困難があったそうです。
また、戦前までは、銭湯は警察の管轄下にあり、上記のような厳しい統制や検査、また地元警察との交渉に非常に苦労した話は、当時の銭湯の方が度々語っています。

特に戦時中の燃料不足は深刻で、銭湯経営者の頭を大きく悩ませました。
最近もウクライナ戦争による銭湯の燃料費高騰のニュースが時々やっていますが、
戦時中は燃料自体が全く手に入らない状況だったので、問題のレベルが違います。

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薪切りの勤労奉仕に従事する埼玉の銭湯の方達 『埼浴 六十年のあゆみ』より

埼玉の銭湯では、
県内の東松山や秩父方面の山に銭湯経営者や従業員が泊まり込みで薪切りの勤労奉仕し、1943年~1945年までのべ200人が従事しました。
その自分達が切った薪もそのままもらえる訳ではなく、一旦納めて、それ相当の量を還元配給してもらえる訳です。その為、銭湯の燃料に向かない木材が配給されるなんて事もあったそうです。

東京の銭湯では
1943年(昭和18)、岩手県で大規模な山火事があり、それを聞いた東京の銭湯の方達が、現地まで燃えた木を薪として買い付けに行き、約1万束を東京に送る。
1944年(昭和19)、陸軍補給廠に納入される石炭や建築資材の横流しを東京の銭湯が購入していた事が発覚し、多くの銭湯経営者が取り調べを受け、警察所に留置される者や巣鴨刑務所に収監される者もあった。
・・・という今ではありえないような記録も見られます。


また、出征する銭湯同業者の武運長久を祈って社寺に参拝したり、出征者に慰問袋を発送、遺家族の家庭を慰問、無料入浴券の公布、一般より安い「軍人入浴料金」を設定している銭湯もありました。
さらに1944年12月には、全国浴場組合連合会が、全国の銭湯からお金を集め、当時の金額で4万525円74銭を「愛国機全国浴場記念号」の制作に国防献納しました。
※地域や業界や会社でお金を集めて、「愛国機」(戦闘機)制作に献納するという事は当時の多く行われていました。愛国機全国浴場記念号は戦争末期であった事もあり、完成したという記録が出てこないので、実際の制作まではいかなかったと推測されます。





○風呂に入るのも一苦労。

当時の一般の家庭では、まだ風呂がない家も多くありました。
昭和前半は、農村部より特に都市部の方が家庭の風呂所有率は低かったです。
都市部の風呂のない家庭は、近くの銭湯へ。
農村部は、風呂のある家へ「もらい湯」をしにいったり、近所数軒で順番に風呂を沸かし持ち回りで「もらい湯」をしていたようです。

戦時中、庶民の暮しも、様々な制限が課せられ
石鹸や風呂用の燃料の石炭も配給制になり、水の節約のため、一度使った水を繰り返し使ったり、風呂の回数を減らしたりするように回覧がまわっていました。
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1940年(昭和15)の東京市の回覧板。  埼玉県立博物館『ゆ ~お風呂の文化史~』より


前述のように、慢性的な燃料不足や警察の統制によって、銭湯の営業は制限され、営業日の減少や営業時間の短縮が行われてた為、営業している銭湯自体が少ない状況が続きました。

当時東京麻布に住んでいた永井荷風の日記(1945年3月7日)には、「午後3時、町の湯のあくをおそしと行列する群衆・・・」という記述があります。

また、1944年頃、近所の銭湯が燃料不足でなかなかやっていなくて、何日もお風呂入れず。近くの川の土手に上がって、煙が出ている銭湯の煙突を探して、そこへ向かって歩いていった。もう既にすごい行列が出来ていたので、並んで入浴した。 という当時の市民の方の思い出も見つけました。

終戦1945年前後の銭湯の中の状況について、『公衆浴場史』に書いてある部分を引用します。
「なお、当時としては石鹸の入手が容易ではなく、浴客はみな金ダライなどを手にして浴場の開戸前に行列となり、かろうじて入浴するも、ところによっては男女混浴であり、浴槽は常に満員で、洗浴して上がれば、衣服類は盗難にあうなど、まことに今日では想像以上の状況であった。この混乱を体験した浴客たちが、その後幸いに家を新築するに当たって、小なりとも浴室を設ける一因ともなり、生来、団地の居室には必ずというほど浴室を付設することとなったのである。」


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1934年(昭和9)の札幌の銭湯の入浴料金表  『札浴百周年のあゆみ』より

ちなみに当時の東京の銭湯入浴料金は
1928年(昭和3)  大人(14歳以上)5銭  小人(14歳未満)4銭  幼児(4歳未満)3銭  洗髪料15銭
1944年(昭和19) 大人(7歳以上)12銭  小人(7歳未満)6銭  洗髪料15銭
※現在2022年東京の銭湯入浴料金は 大人500円 中人200円 小人100円が上限額

※洗髪料とは、当時、髪の洗う時に取られる追加料金です。
今でこそ、毎日髪を洗う人も多いと思いますが、家庭の風呂が広く普及する昭和中期までは、髪の毛を洗うのは多くても月に1~2回が一般的でした。





○終戦、そして、銭湯の復興、再建へ。

1945年(昭和20)に入ると、
東京や大阪、広島、長崎、甲府など多くの都市で、度重なるB29の空襲や爆撃が激しくなり、
そこに住む市民や市街地にあった銭湯も大きな被害も受けました。
京都のように空襲被害がわりと少なかった都市もありました。

燃料不足、空襲で焼けたり、建物疎開で取り壊されたりで、1943年頃から廃業や休業する銭湯が徐々に増えてきます。
終戦間際の頃は、燃料・人手不足のため東京の銭湯は営業している所ですら、3日~5日に1日の営業という状態だったようです。
太平洋戦争が始まった1941年には2,796軒あった東京の銭湯は、1945年8月15日の終戦の日に残ったのは、わずか400軒ほどでした。

川崎で銭湯を営んでいる星野さんが祖父の話として
「昭和20年(1945年)4月15日の”川崎大空襲”で店は焼失してしまったものの、幸いにも釜と煙突が焼け残った為、周りを囲って、暫くの間、露天風呂ならぬ全てが野天の”野天風呂屋”を営んでいたそうです。」

終戦直後は、営業再開したくても修理業者も資材も燃料もない状態でした。
幸いにも建物が残った銭湯、焼け残った資材をなんとか集め上記の川崎や冒頭の東京九段の写真のように野天風呂で営業する銭湯、仮設浴場を作って営業再開する銭湯もありました。
それらの銭湯は、終戦直後の混乱期に住民の保健衛生に大きく貢献しました。

終戦後の数年間は引き続きお湯を沸かす燃料不足は深刻で、
電気でお湯を沸かした「電化浴場」が全国で多く出現した。(終戦直後は電力の余剰があった。)ただしすぐに国内の電力需要が回復したので、この電化浴場すぐに姿を消しました。

終戦後しばらくは営業している銭湯も少なくどこも大混雑で
東京足立のタカラ湯さんの当時の日記には、「毎日1500人~2000人、大晦日には3000人ほどの客が入っており場内は歩けないほどの混雑だった」そうです。
現在の東京の銭湯の平均入浴者数が1日140人前後といわれているので、その10倍以上ですね。


こちらは1949年(昭和24)~56年(昭和31)頃の東京の小平で地元の写真家・飯山達雄氏撮った写真。
終戦後まもなくの営業中の銭湯の写真は貴重ですし、当時の生活の雰囲気が分かる良い写真です。
こだいらデジタルアーカイブより
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昭和20年の終戦から昭和40年前半までが、銭湯の第2の興隆期であり、復興・黄金期であります。
この時期の銭湯も、とても興味深い時期なのですが、それはまたの機会に

長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

冒頭に書いた通り、まだまだ調べたりない部分や未知の部分は多くありますが、
少しでも戦争中の銭湯や人々の暮しに興味をもってもらうきっかけになれば幸いです。





○参考文献

『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990
『全国浴場新聞』2012年6月号  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 
『日本清浄文化史』 花王石鹸資料室 編  花王石鹸  1971
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984
『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合  1980
『創立五十周年記念誌』 板橋浴場組合 1979
『半世紀の思い出』 池袋浴場組合 1978
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985
『札浴百周年のあゆみ』 札幌公衆浴場商業協同組合 2004
『21世紀を生きる公衆浴場』 京都府公衆浴場業環境衛生同業組合 1983
『特別展 ゆ ~お風呂の文化史~』  埼玉県立博物館  2000
『お風呂の富士見誌 ~うちで湯ったり・でかけていい湯~』  富士見市立難波田城資料館   2020

足立北千住・タカラ湯
花王石鹸ホームページ
お風呂アドバイザー 洗いの殿堂
小平市立図書館/こだいらデジタルアーカイブ

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