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銭湯・奥の細道 (東北と全国の銭湯巡り)

東北を中心に、全国の銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ・共同浴場を紹介します!

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【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門/参考文献紹介

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 銭湯のサイトを運営しながら、『銭湯大学』という銭湯をテーマに論文書いている学生をサポートする活動を7年ほど前からやっています。

 その問い合わせの中で多いのが、「銭湯をこういうテーマで卒論書きたいのですが、文献・資料はありますか?」というものです。ですが、銭湯(公衆浴場)は学問としてはあまり研究が進んでいない分野で、専門の研究者も少ないのが現状です。

 なので、銭湯(公衆浴場)を研究する、論文を書くにあたっての入門、基本的な文献や知識について、まとめました。

この記事が、学生の研究や卒業論文作成やの一助になることを、また銭湯に興味があったり好きで調べたりしている方達の役に立つことを、願っています。
2023年1月


第1章 「銭湯」とはなにか?
第2章 銭湯は本当は減っていない?!多様化する公衆浴場
第3章 銭湯・公衆浴場の参考文献紹介

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第1章 「銭湯」とはなにか?

 まず参考文献の紹介する前に、『銭湯』について解説したいと思います。
銭湯は銭湯だろう。と思うかもしれませんが、実は『銭湯』は定義があいまいな言葉で、
人や場合によって、文献や記事によって、その指す対象が変わります。


 銭湯、お風呂屋さん、公衆浴場、△△の湯、湯屋・・・様々な呼び方がありますね。
「銭湯」という言葉は日常的に使いますし、なんとなく下記の絵のようなイメージでしょうか?
レトロな建物の銭湯をイメージする人もいれば、大きなスーパー銭湯を想像する人もいるでしょう。
人によって「銭湯」の指す対象は様々です。住んでいる場所によっても違うと思います。
「ここまでが銭湯で、ここからが銭湯ではない。」というような全国統一の厳密な定義、基準がないのが実状です。
実際、銭湯についての本や銭湯で働いている人の中でも、このへんの線引きが微妙に違います。

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Q.銭湯とはなにか?

 銭湯とは何か?我が地元の市のHPの文章が、分かりやすくまとまっているので引用しますね。

簡単にいうと、身近な街のお風呂屋さん、普通は「銭湯」と呼ばれています。この銭湯を正式にいうと「公衆浴場」となります。
 公衆浴場の定義については、公衆浴場法という法律の第1条により「温湯、潮湯または温泉その他を使用して、公衆を入浴させる施設をいう。」と規定されています。
 さらに、この「公衆浴場」は、都道府県に届け出る営業の許可により、大きく分けて、「一般公衆浴場」と「その他の公衆浴場」に区分されており、「銭湯」は「一般公衆浴場」に属しています。
 さらに、さらに詳しくいうと、「一般公衆浴場」とは、「地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設で、物価統制令によって入浴料が決められる施設・・・」となっており、一般的な銭湯や公営の共同浴場などが該当します。
 これをわかり易く言い換えると、「地域の皆さんに健康で快適な生活を送っていただくための施設で、その料金は法律によって定められている施設・・・」が街中で見かける銭湯ということになります。
 ちなみに、「その他の公衆浴場」とは、物価統制令の適用がない施設で、サウナ風呂や健康ランド、最近はやりのスーパー銭湯などが該当します。

引用 朝霞市「公衆浴場(市内の銭湯)」



A.銭湯とは、「一般公衆浴場」である。
 というのが答えであり、現在は最も一般的で全国的に通用する定義です。
「一般公衆浴場」は「普通公衆浴場」とも言います。
最新の数字では、全国にちょうど 3,000軒 の銭湯があります。(国の衛生行政報告例より。2023年3月現在)

 銭湯(一般公衆浴場)は、物価統制令によって入浴料金が決まっています。これは都道府県ごとに金額が違い、現在全国で一番高いのは、東京都と大阪府の大人520円、一番安いのが佐賀県の大人280円となっています。ちなみに、これは「上限価格」であって、「一律価格」でありません。要するに、これ以上上げるのはダメだけど、下げるのは実はOKなのです。これ勘違いしている人が結構多いです。また、サウナ料金等を別に取っている銭湯もあります。

 さらに詳しい事を書くと、この「一般公衆浴場」は、県によって対象施設の範囲が微妙に違って、鹿児島県のように町の小さい銭湯から大型浴場・日帰り入浴やってるホテルまで含む範囲が非常に広い都道府県もあれば、東京のように対象範囲が狭い都道府県もあります。また、現在は一般公衆浴場の新規開業が実質的に不可能な県もあります。
 銭湯の施設設備についての基準やルールは、各都道府県で条例で決まっており、それを読むと共通の部分もあれば、県によって違う部分もあり、全国一律ではありません。ここが少しややこしい。
 銭湯(一般公衆浴場)はその都道府県ごとに、対象施設の範囲や数、取り巻く状況も、実はかなり違うのです。


もう一個の『銭湯』の定義は
A.銭湯とは、「公衆浴場組合に入っている浴場」である。
 一昔前はこの考えがスタンダードで、この捉え方をしてる文章や人も多いです。
 各都道府県には、公衆浴場業生活衛生同業組合(以下浴場組合)という銭湯の同業者団体があり、多くの銭湯はそこに加入して営業しています。ただ、加入は任意なので、加入せずに営業している銭湯も結構な数あります。また、ここ数十年で数が減少し、すでに浴場組合が解散している県も出てきているので、現在ではこの定義だと、漏れてしまう銭湯が多く存在します。
 
 この浴場組合に入ってる銭湯の数は 1,755軒 になります。(全国浴場組合調べ。2023年4月現在) 
 前述した全国の一般公衆浴場の約2/3弱が、この浴場組合に加入してることになります。
東京都は、一般公衆浴場の浴場組合への加入率が全国でもトップクラスに高く、その約99%が加入しています。なので、東京都などの都市部では、「銭湯」=「一般公衆浴場」=「公衆浴場組合に入っている浴場」という定義も成立します。





銭湯は本当は減っていない?!多様化する公衆浴場

 大正、昭和、平成、令和と時代は進み、人々の生活や住環境も変わり、
どの家に風呂があるのが当たり前になった現代、当然のことながら銭湯の役割や立ち位置も大きく変わりました。
銭湯も、入浴という住民の日常生活において保健衛生上必要な施設から、
日々の生活のリフレッシュ、肉体的精神的な疲れを癒す、余暇を楽しむ施設へと、変わってきたと思います。
前述の「一般公衆浴場」と「その他の公衆浴場」の境界線や役割の差は、年々なくなってきていると感じます。


「銭湯が減った」「銭湯文化がピンチ」と書かれた本や記事、文章をよく見ますが
これは半分正解で半分間違いです。


銭湯(一般公衆浴場)の数のピークは、太平洋戦争前後に大きく2度ありました。
1度目は、昭和2年(1927)頃~昭和15年(1940)頃までの十数年間
2度目は、昭和31年(1956)頃~昭和46年(1971)頃までの十数年間
ともに、全国に20,000軒以上の銭湯が存在していました。

よく銭湯の本や記事に「銭湯のピークは、昭和43年(1968年)で全国18,000軒前後あった。」と書かれていますが、あれはあくまで前述した“浴場組合に入ってる浴場”の数のピークです。


 一般公衆浴場(組合加入している浴場も)は、昭和40年代後半(1970年頃)から全国的に減り続けてきましたが、実は「一般公衆浴場」や「その他の公衆浴場」などを足した『公衆浴場の全体数』は、減っていませんでした。
 昭和30年代までは、公衆浴場のそのほとんどが一般公衆浴場でした。それが時代が進むにつれ、健康ランド、サウナ、スーパー銭湯、岩盤浴など様々な温浴施設(その他の公衆浴場)が登場し増えます。同時に、一般公衆浴場の数や公衆浴場全体にしめる割合も年々減少していったのです。
 公衆浴場の全体数は平成に入っても増え続け、平成18年(2006)頃には全国28,000軒を越えピークを迎えます。
 
 この流れを単に銭湯の減少や銭湯文化の衰退と言ってしまう事には、違和感を感じます。
(ただ、近年は公衆浴場全体としてもやや減少傾向にある。)


新・公衆浴場数グラフ2

大正・昭和・平成・令和にかけての全国的な公衆浴場の変化をみると、
入浴のみに特化した:まちの銭湯(一般公衆浴場)=「狭義の銭湯」から、
様々な温浴を楽しむ:スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設なども含む「広義の銭湯」へ。

人々の生活や住環境、ニーズ、時代の変化により、『銭湯(公衆浴場)は多様化した。』と見るべきではないかと思います。
銭湯や公衆浴場の長い歴史の中で、「銭湯」は時代と技術の進歩、人々の入浴や衛生意識の移り変わりによって、常に進化と変化を繰り返してきました。ここ数十年で起きている変化も、銭湯の歴史の一つではないかと思います。

この「銭湯・公衆浴場は多様化した」、また「銭湯は都道府県ごとに施設も状況も大きく違う」という事実。この2点が銭湯に関する本や記事の中では欠けている事が多いです。今後は、こうした視点を持って、銭湯・公衆浴場を捉える必要が出てくると個人的には考えます。





第3章 銭湯・公衆浴場の文献紹介


 それでは本題の銭湯・公衆浴場の研究において参考になる文献を紹介していきたいと思います。

 買える値段であれば、書店や古書店、アマゾン、日本の古本屋などのサイトを使って買っても良いし、地元や大学の図書館、大きい県立図書館・資料館や国会図書館で探してみるのも良いと思います。とりあえず1冊読んでみて、その本に書いてある引用・参考文献の中で、自分の研究テーマに関係ありそうな文献、先行研究をさらに調べてみるという方法が有効だと思います。

 内容や入手が難しい物もあるので、比較的読みやすいものにがつけました。がついている文献から読み始めてみるのもいいかもしれません。


まずは、銭湯研究において基本となる重要な文献を5つを紹介する。

〇基礎文献

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 中野栄三 『銭湯の歴史』  雄山閣 1970年
「入浴史」「浴場史」「銭湯史」「入浴雑考」の各章。日本人の入浴の歴史、浴場形態の変遷、江戸の湯屋、明治大正時代までの銭湯の歴史、生活風俗などが取り上げられている。重要な一冊。
現在は『入浴と銭湯』 (雄山閣アーカイブス) として入手可能、内容は同じ。


 公衆浴場史編纂委員会編 『公衆浴場史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 1972年
浴場組合の記念事業として監修者武田勝蔵氏を中心にまとめられた本。銭湯や公衆浴場研究の基礎となる史料。
銭湯関連の書籍などに載っている銭湯の歴史や知識はこの本に由来するものが多い。
付録として、図書目緑と672年以来の公衆浴場史略年表がついている。


 全国公衆浴場業環境衛生同業組合 『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 1990年
発行された部数が少ないせいか、収蔵している図書館が少ないが、史料的価値は非常に高い。
内容は大きく分けて公衆浴場の歴史を江戸時代から昭和63年まで年表でたどる「全浴連のあゆみ」と、
北海道から沖縄まで各県の動きや入浴料金、軒数などの変遷が書かれている「各都道府県の浴場組合のあゆみ」。
昭和期の浴場組合の動き、公衆浴場法や入浴料金など、銭湯と行政との交渉の過程などが非常に詳しい。
ちなみに、この20年後に出た『全浴連五十年』は、史料的価値はやや薄い。


 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 『全国浴場新聞』  1949~?年、1969~2023年現在
銭湯の業界紙。現在も毎月発行され全国の銭湯に配布されている。
浴場組合の会議の内容や人事や入浴料金、コラム、歴史、広告など銭湯関連の記事が多数掲載。
それらをまとめた『全国浴場新聞縮小版』も刊行されている。
現在、『全国浴場新聞 電子版』がネットで公開されていて、1969年から2019年までの全ての新聞、記事が誰でも読めて、なおかつ記事の単語検索機能もついているので、超便利!
※ちなみに、1969年以前の全国浴場新聞(全日本浴場新聞)はほぼ残っていないので、持っている方見つけた方は当方まで連絡ください~


 山田幸一監修 『いま、むかし・銭湯』  株式会社INAX 1988年 
INAXギャラリーにおける企画展「いま、むかし・銭湯」に合わせて刊行された本。
内容は、「わが国における入浴文化の変遷と浴場建築」「銭湯の建築史」「江戸の銭湯と風俗史」「銭湯経営者と新潟・北陸との関係」「銭湯の名建築」「唐破風」「ペンキ絵」など、その後の銭湯関連の本でよく取り上げられているトピックスがほとんどがここで書かれている。
健康ランドの元祖「船橋ヘルスセンター」についての記述や写真も貴重。写真豊富なので読みやすい。






〇ほかに、銭湯・公衆浴場に関する参考になる文献をいくつか

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銭湯や公衆浴場について書かれた本や文献は、様々なジャンルで数百冊以上はありますが、
その中でも、特に卒業論文や研究の参考になるものをいくつか挙げてみます。


・京都市社会課 『京都市社会課叢書第13編 京都の湯屋』 1924年
大正13年に京都市が行った市内の湯屋(銭湯)への大規模な実態調査の結果をまとめ分析したもの。
当時の湯屋の建物、設備、経営状態、従業員などかなり詳しい情報が載っている。また、京都の銭湯の歴史や浴場の衛生調査、寺院の古浴室設備、京都市公設浴場の概要なども書かれている。
この時代の銭湯に関する一次史料はとても貴重である。
【『日本近代都市社会調査資料集成4 京都市・府社会調査報告書Ⅰ 11 大正13年(1)』 近現代資料刊行会 2001年】にそのまま収録されているので、こちらで見ると良い。


・公衆浴場史編纂委員会 『公衆浴場史略年表稿本』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 1969年
「明治以前」「自明治元年 至昭和四十三年」の2冊がある。
全国の浴場組合よりの提供資料、東京の本部所蔵のものを「史料カード」を数千枚を採集、整理してまとめたもの。
前述の『公衆浴場史』にもこの年表の抜粋したものが収録されているが、本書の方が内容や記述がより詳しい。


・神保五弥 『浮世風呂 江戸の銭湯』   毎日新聞社 1977年
江戸時代に書かれた文学作品の記述を中心に江戸の銭湯を考察した一冊。
伊勢与一から始まる江戸時代の銭湯の発達、当時の銭湯の構造や経営、客と銭湯で働く人、銭湯の一日、銭湯の四季などについて、書かれている。当時の銭湯を描いた絵も多く載っていて、興味深い。


・東京都公衆浴場商業協同組合 『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合 1980年
公衆浴場組合の資料は、外部に公開されている事は少ないが貴重な史料が多い。
まとまった年史・記録は、東京のほかにも、北海道、札幌、旭川、埼玉、板橋、墨田、池袋、新宿、大阪、京都などのものが存在する。その他にも、一般利用者向けの銭湯マップや組合員向けに名簿を作っている事もある。
地元の図書館や国会図書館を探してみると良い。


・大場修 『物語ものの建築史 風呂のはなし』  鹿島出版会 1986年 
山田幸一監修。日本の湯と入浴の歴史(古代~現代・昭和)を、建物や建築の視点から見ていく一冊。銭湯はもちろん、住宅や寺院の浴室の変遷も取上げていて、写真や図面も多く理解しやすい。銭湯の歴史は建物の変化で追うことも多く、これはその先行研究の一つ。


・宮崎良美 「石川県南加賀地方出身者の業種特化と同郷団体の変容 -大阪府の公衆浴場業者を事例として-」 『人文地理 50巻 4号』  人文地理学会  1998年 
「東京や関西の銭湯経営者には北陸出身者が多い」といわれるが、この論文では特に大阪の銭湯と石川県南加賀地方出身との関係にスポットを当てている。なぜ、特定の地域の出身者が公衆浴場業に進出していったのか?銭湯の歴史や県人会・同郷団体、親族や友人などの「つて」、資金や物件、就職先の紹介の繋がりなどの多方面から考察していて、非常に読み応えある。


・東京都公衆浴場業環境衛生同業組合 『東京銭湯物語』  草隆社  2000年 
「東京の公衆浴場の歴史」「風呂屋の主人が語るあのころ」「銭湯写真館」「銭湯で元気になる」
コンパクトながら、非常によくまとまっていて読みやすい。
貴重な写真や銭湯に関する記述も多くある。 


・白石太良 「生活文化の舞台としての公衆浴場の現状-神戸と明石における調査から-」 
『御影史学研究会民俗学叢書16 民俗宗教の生成と変容』 岩田書院 2004年

2002年にゼミの学生とともに神戸市と明石市の全ての銭湯に実際に入浴して調査を行い、まとめた論文。
公衆浴場の実態(概況、施設と設備、清掃の状況など)、入浴客の動向(利用頻度、家庭風呂の有無、入浴時間や方法など)、公衆浴場の問題点などが書かれている。


星野剛 『湯屋番五十年 銭湯その世界』  草隆社 2006年 
墨田区のさくら湯のご主人が自らの修業時代を当時の銭湯模様、時代背景とともに描いた、昭和銭湯回顧録。
終戦直後の銭湯の状況とその仕事の内容や従業員の構成、他の銭湯の関係など非常に分かりやすく書かれている。
かつ一冊の本としてもとても面白い!
銭湯経営者が書いた本としては、新宿松の湯の笠原五夫氏の書籍もある。


・佐藤せり佳 「銭湯の行動学」
菅原和孝編 
『フィールドワークへの挑戦-<実践>人類学入門』  世界思想社 2006年 
銭湯の女湯で起こる客同士のつながりコミュニティーを徹底した現地調査で調べあげた読み応えのある論文。
心温まるエピソードから、なぜ常連客による場所取りやトラブルが起こるのかもこれを読むと納得。


・柴田恵介 「銭湯にみる地域外出身者と地域社会の変遷」
『龍谷大学社会科学研究所叢書第76巻  京都の門前町と地域の自立』  晃洋書房 2007年  

行政や浴場組合に残っている記録や京都市下京区の銭湯へのインタビューをもとに、過去、最盛期、現在に至る京都の銭湯の歴史を見ていく。その中で、北陸を中心とした他地域出身者が、銭湯という場所を通して地域に受け入れられていく過程や銭湯での働き方や運営状況の変化、同業者間の繋がりなども丁寧に調べられている。また、比較対象として、京都タワー大浴場の記述もあり。
良くまとまっていて、いわゆる「銭湯の定説やイメージ」とは違う実態も書かれててとても興味深い。


・中山満美、辻原万規彦、細井昭憲、安浪夕佳 「地方都市における一般公衆浴場の変容に関する研究」  
『日本建築学会技術報告集13巻26号』 2007年 

熊本市の銭湯(一般公衆浴場)の建物、経営、設備、客数など多方面からその変遷を考察している。
表や銭湯の実測図、写真なども入っていて分かりやすい。力作!


・木藤 伸一朗 「公衆浴場と法」  『立命館法学』 2008 年 5・6 号(321・322号)
現在も残っている公衆浴場に対する「距離制限をともなう許可制」と「物価統制令に基づく料金規制」という問題について、法と行政、過去の裁判の判例、法的視点をもとに考察している。また、強力な規制が残っているのが公衆浴場について、現代の実情と合わなくなっている事、公衆浴場確保という観点から今後の課題が多い点などを指摘している。


・社団法人 日本銭湯文化協会編 『銭湯検定公式テキスト』  草隆社 2009年 
江戸時代から現代に至るまで、銭湯の歴史や文化、日本人の銭湯・入浴事情を幅広く解説。
銭湯の建築や雑学、データについても書かれている。浴場組合がやっている銭湯検定の公式テキストである。
2020年に改訂版出てます(1と2) 1では銭湯の「歴史」「建築」「雑学」 2では銭湯入浴医学や健康法が書かれている。


・川端美季 『近代日本の公衆浴場運動』  法政大学出版局 2016年
江戸・明治・大正期の都市の公衆浴場、特に「公設浴場」に関する研究。
湯屋の法規則の変遷や欧米の公衆浴場運動、行政の社会事業としての公衆浴場、大阪、京都、東京での「公設浴場」が紹介され、労働者の生活環境改善、部落改善事業、大火や関東大震災との関連について書かれている。


横浜開港資料館・横浜歴史博物館 『銭湯と横浜』  横浜市ふるさと歴史財団 2018年 
2018年に横浜で行われた「銭湯と横浜」展に合わせて作られた本。
横浜を中心に銭湯について多方面からの研究がされ、内容も非常に充実、写真も多く見やすく資料価値が高い。
後半の浴場史研究や参考文献の数々はとても参考になる。
銭湯経営者と北陸の関係についての研究は、今後も注目したい。


・石井萌美、川原晋 「生活文化資源としての銭湯継承とレクリエーションを含む新規需要獲得の取り組み – 親族以外が事業継承した銭湯に着目して -」  『日本観光研究学会機関誌 Vol.33』  2021年
親族以外が事業承継した全国の銭湯の十数軒を1軒ずつ聞き取りや現地調査した力作。いま注目されている銭湯の事業継承の現状と課題について、詳しく分析されている。
銭湯大学で論文作成をお手伝いした学生の論文です。


・藤島人時 「公衆浴場研究の動向と課題」  『常盤台人間文化論叢』(第9巻第1号) 2023年
銭湯(公衆浴場)に関する幅広い分野にまたがる先行研究を整理し、体系化した力作。これまで銭湯について研究史は、『銭湯と横浜』の中で少し触れられている以外はほぼなかったので、非常に重要な論文である。後半の参考文献リストは銭湯(公衆浴場)の先行研究、論文の多くが載っている。


・厚生労働省 『今日から実践! 収益力の向上に向けた取組みのヒント 公衆浴場業編』  厚生労働省  2019年
・新倉貴士監修 『消費者行動論で読み解く 銭湯の常連を増やす方法』  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会  2023年

ともに、銭湯経営者向けに作られたものだが、銭湯経営や利用者の実態・動向を知る資料としては有益。
また、ともにPDF版がネットから容易に入手できる(上記のタイトルをクリック)
前者は、業界動向、消費者動向、経営改善のヒント、取り組み事例などが紹介されている。
後者は、老若男女へのネットアンケートから、銭湯の利用状況、銭湯に求めること・設備、利用(または止めた)のきっかけなどが載っている。


・「東京都公衆浴場対策協議会
各都道府県の行政と公衆浴場事業者、学識経験者で行われている入浴料金などを決める会議。
他府県では「公衆浴場入浴料金審議会」などの名称で行われている事が多いです。入浴料金の他に、様々な銭湯に対する施策などが話し合われる。銭湯の軒数や経営状況などの資料が会議に使われて、議事録や会議資料がWEB公開されている県もある。その県の銭湯の実情の一部が知ることができる。


厚生労働省『衛生行政報告例』「公衆浴場数」   
全国や各都道府県、都市の銭湯の数やその変遷を知りたい時に役立ちます。
厚生労働省が毎年取りまとめ公表している「衛生行政報告例(厚生労働省) 」により、公営及び私営別の公衆浴場数を種類別に調べることができます。昭和24年から現在までの各都道府県と全国の軒数のデータが閲覧可能。
公衆浴場:一般公衆浴場、個室付浴場、ヘルスセンター、サウナ風呂、スポーツ施設、その他
戦前は、「警察統計報告」に全国の公衆浴場数のデータが残っている。


厚生労働省 「浴場業の振興指針」    
「浴場業の振興指針」とは、国(厚生労働省)が定めた法律に準ずる銭湯(公衆浴場)業界のガイドライン的なもの。中身については、5年に1回改定され、厚生労働省の会議で銭湯経営者代表も参加し内容を決めています。最新は2020年3月。
これを決める厚生労働省の厚生科学審議会 (生活衛生適正化分科会)の資料や議事録も重要。
銭湯業界の現状や、抱えている課題や問題点にもしっかり触れているので、読むと勉強になる。


※国や県、各市区町村、行政の銭湯や公衆浴場に対する施策や補助、法律、条例、データなどを調べる場合、
その多くが「銭湯」ではなく「公衆浴場」という名称で書かれている事が多いです。
一般市民向けのホームページでは「銭湯」という名称が使われている事もありますが。





〇一般向けの銭湯に関する書籍

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 一般向けの銭湯本は、銭湯の建物や装飾、タイルなどに注目したものが多く、写真が豊富なのが特徴。
あくまで銭湯の紹介や魅力、面白さ、ノスタルジーなどを伝える本なので、正確な実態を捉えているとは言い難い記述もあったりしますが、銭湯に興味を持つきっかけとしては良い1冊といえます。
多数出版されている中で、おすすめのものを何冊かピックアップしました。


・町田忍 編著 『銭湯へ行こう』  TOTO出版 1992年
・町田忍 『銭湯へ行こう・旅情編 10年1089軒行脚の記録 カラー版』  TOTO出版  1993年
町田忍氏に関しては、現在にいたるまで多数の銭湯本を出版しているが、
最近は目新しい発見や追加の研究も乏しく、出版年が古い本の方が内容が充実してるように感じる。
なので、ここでは最初に出した上記の2冊がおすすめとしておきます。
この2冊がその後の銭湯本のある種のひな型ともいえる。


・塚田敏信 『いらっしゃい北の銭湯』  北海道新聞社 1998年
著者は当時高校教諭で学生と銭湯の自主製作本なども作っていた方。
カラー写真豊富に、約40軒以上の北の銭湯をそれぞれ魅力的に紹介している。銭湯の建物や煙突、看板、のれん、番台、タイルなどの解説や写真も多数あり。巻末に当時の北海道の銭湯リストも収録されている。


・松本 康治 『関西のレトロ銭湯』  戎光祥出版 2009年
関西のレトロ(激渋)銭湯を、建物や入浴風景を写真豊富に40軒ほど紹介している。
近年は、銭湯一軒ごとの紹介とともに、「銭湯と旅」というテーマで紀行文的なものも多く、文章もおもしろい。『レトロ銭湯へようこそ』『旅先銭湯』など、関西・西日本の銭湯の本を多数出版しているので、気になったものを手に取ってみると良い。


・林 宏樹 『京都極楽銭湯読本』  淡交社 2011年
前作の『京都極楽銭湯』は京都の銭湯を一軒ずつ紹介した銭湯ガイドブック的物だったが、本書は京都の銭湯を、建物、設備、タイル、ドリンク、屋号、祭り、イベント、データなど多方面から読み解く一冊になっている。
写真やレイアウト等もきれいなのでとても読みやすい。


・大武千明 『ひつじの京都銭湯図鑑』  創元社 2016年
京都のおススメ銭湯の17軒を外観、内観、間取り図や建物設備の特徴とともに紹介した一冊。
写真ではなく手書きカラーの間取り図やイラストがかわいく、コラムやミニ漫画も面白い。
著者の銭湯への愛情や思いが感じられる。


・今井 健太郎 『銭湯空間』  KADOKAWA  2020年
現在、全国で多数の銭湯や温浴施設のリニューアルを手掛けている銭湯建築士・今井健太郎氏の本。
著者が手掛けた銭湯の写真や解説が多数。本の後半に載っている銭湯の歴史の年表がコンパクトで理解しやすい。
WEB上に、本に入らなかったタイルの話や2000年以降の銭湯について書かれた記事も上がっている。


・おしどり浴場組合 『銭湯 文化的大解剖! まちのお風呂屋さん探訪』  神戸新聞総合出版センター 2021年
関西の銭湯紹介や、お風呂屋さんの一日に密着、インタビュー、銭湯の見方解説などがある。
複数の執筆者が書いた関係か、それぞれの記事にクオリティの差を感じる時もあるが、それまであまり注目されなかった電気風呂にスポットをあてた「電気風呂の世界」は必読!





まだまだ、発見されてない歴史や魅力、面白さ、可能性がたくさんある「銭湯」。
自分自身も「銭湯」のことについて、まだまだ知らない事、分からない事だらけです。
だからこそ、新しい切り口や視点での「銭湯」の論文や研究が出てくる事またそれを読む事を楽しみにしています。
この記事がそうした『新たな銭湯』の発見に繋がるとよいと思います



もし、この記事や紹介している文献について質問のある方は、『銭湯大学』の記事の方から、問い合わせてください。



【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門・参考文献紹介

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【終戦の日特集】 戦争中の銭湯は、どんなだったの?

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1945年3月の東京大空襲で焼け野原になった東京・九段付近の焼跡銭湯風景。
撮影:別所弥太郎氏 花王石鹸ホームページより


 1945年・昭和20年8月15日、太平洋戦争終戦。
 戦時中といえばイメージするのは、空襲、赤紙、配給制、様々な統制・・・。ですが、数年前に映画「この世界の片隅で」を見て、戦争中の人々の生活が現代の私たちのイメージが異なる部分があるのを知り、違う事実が出てくるかもと思い、調べ始めました。

 戦時中は、記録や写真が少なかったり、空襲で資料が焼けたり、戦前と戦後で大きく組織や行政も変わった事で詳しい記録が残っていなかったり。そもそも、銭湯や入浴という日常の事は記録に残りづらいという宿命もあります。その中で可能な限り、昭和時代に書かれた銭湯(公衆浴場)に関する資料やデータを調べて、いくつかのテーマに分けて見ていきたいと思います。

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【終戦の日特集】 戦争中の銭湯は、どんなだったの?

1.非常に大変だった銭湯経営!
2.風呂に入るのも一苦労。
3.終戦、そして、銭湯の復興、再建へ。






○非常に大変だった銭湯経営!

 銭湯は今でこそ、浴場設備や機械の近代化が進み、燃料に都市ガスを使ってる銭湯なんかは、スイッチ押せば適温のお湯が沸くようになっています。(現在でも重油や薪を燃料を使ってる銭湯も多くあります。)昭和初期の銭湯の、お湯を温める主な燃料は、石炭と薪でした。その頃は銭湯の業務の中で、燃料を集める仕事こそ最も労力をつかい非常に苦労したそうです。特に戦時中は、物資不足、燃料不足が酷く、銭湯もその例外ではありませんでした。

 1931年の満州事変からの日中戦争、1941年のアメリカとの太平洋戦争に突入すると、全国の銭湯の中には、軍隊への召集により主人や従業員をとられて、銭湯の労働力が手薄になり、営業継続に支障をきたす浴場が出始めました。昔の銭湯は今よりもはるかに力のいる仕事も多く、また働く人数も多く必要でした。その為、地域の銭湯同士が協力して、燃料の運搬をしたりする事もあったそうです。

 戦時中は、金属器具の供出や、営業時間の短縮、入浴時間の制限、お湯が出るカラン(蛇口)の減数、髪洗いの禁止、空襲警報による中止など、様々な営業上の制限や困難があったそうです。また、戦前までは、銭湯は警察の管轄下にあり、上記のような厳しい統制や検査、また地元警察との交渉に非常に苦労した話は、当時の銭湯の方が度々語っています。

 特に戦時中の燃料不足は深刻で、銭湯経営者の頭を大きく悩ませました。最近もウクライナ戦争による銭湯の燃料費高騰のニュースが時々やっていますが、戦時中は燃料自体が全く手に入らない状況だったので、問題のレベルが違います。


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薪切りの勤労奉仕に従事する埼玉の銭湯の方達 『埼浴 六十年のあゆみ』より

 埼玉の銭湯では、県内の東松山や秩父方面の山に銭湯経営者や従業員が泊まり込みで薪切りの勤労奉仕し、1943年~1945年までのべ200人が従事しました。その自分達が切った薪もそのままもらえる訳ではなく、一旦納めて、それ相当の量を還元配給してもらえる訳です。その為、銭湯の燃料に向かない木材が配給されるなんて事もあったそうです。

 東京の銭湯では、1943年(昭和18)、岩手県で大規模な山火事があり、それを聞いた東京の銭湯の方達が、現地まで燃えた木を薪として買い付けに行き、約1万束を東京に送る。1944年(昭和19)、陸軍補給廠に納入される石炭や建築資材の横流しを東京の銭湯が購入していた事が発覚し、多くの銭湯経営者が取り調べを受け、警察所に留置される者や巣鴨刑務所に収監される者もあった。
・・・という今ではありえないような記録も見られます。


 また、出征する銭湯同業者の武運長久を祈って社寺に参拝したり、出征者に慰問袋を発送、遺家族の家庭を慰問、無料入浴券の公布、一般より安い「軍人入浴料金」を設定している銭湯もありました。
さらに1944年12月には、全国浴場組合連合会が、全国の銭湯からお金を集め、当時の金額で4万525円74銭を「愛国機全国浴場記念号」の制作に国防献納しました。 ※地域や業界や会社でお金を集めて、「愛国機」(戦闘機)制作に献納するという事は当時の多く行われていました。愛国機全国浴場記念号は戦争末期であった事もあり、完成したという記録が出てこないので、実際の制作まではいかなかったと推測されます。


 もう一点重要な点が、先日、銭湯に関する古い資料を読んでいる時に、「1943年(昭和18)12月 全国浴場数19,924軒」とある記述を見つけました。おや?と思いました。いま出回っている銭湯に関する本や記事のほぼすべてで、「銭湯が一番多かったは1968年(昭和43)の18,000軒前後 ※軒数について本によって多少違う」となっています。
 他の戦前の資料も調べて分かったのですが、よくいわれる銭湯の定説は実は違っていて、「全国で銭湯の数が多かったピークの時期は2度あり。戦前・昭和元年~10年代頃と、戦後・昭和30年代~40年代前半頃である。」がより正しいです。戦前・戦争に向かおうとしている時期にも、銭湯は増え続けていたという事実は、非常に興味深い部分です。






○風呂に入るのも一苦労。

 昭和、平成、令和と時代は流れ、どの家にも浴室があるのが当たり前、毎日風呂に入ったり、シャワーするのが当たり前、になった現代。ですが、実はそれが当たり前になったのはここ数十年の事なんです。

 戦時中、当時の一般の家庭では、まだ風呂がない家が多くありました。戦後1963年(昭和38年)のデータになりますが、当時風呂がある家は東京都23区で33.1%、全国を見ると市部で59.1%、郡部で76.1%、全国平均だと59.1%でした。(戦前はこれよりもさらに風呂普及率は低かった事が推測されます。)昭和の時代は、特に都市部や町で家庭の風呂普及率が低かったのです。

 都市部の風呂のない家庭は、近くの銭湯へ。農村部は、風呂のある家へ「もらい湯」をしにいったり、近所数軒で順番に風呂を沸かし持ち回りで「もらい湯」をしていたようです。戦時中、庶民の暮しも、様々な制限が課せられ、石鹸や風呂用の燃料の石炭も配給制になり、水の節約のため、一度使った水を繰り返し使ったり、風呂の回数を減らしたりするように、と回覧がまわっていました。

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1940年(昭和15)の東京市の回覧板。  埼玉県立博物館『ゆ ~お風呂の文化史~』より


 一方、銭湯は、前述のように、慢性的な燃料不足や警察の統制によって、銭湯の営業は制限され、営業日の減少や営業時間の短縮が行われてた為、営業している銭湯自体が少ない状況が続きました。

 当時東京麻布に住んでいた永井荷風の日記(1945年3月7日)には、「午後3時、町の湯のあくをおそしと行列する群衆・・・」という記述があります。また、1944年頃、近所の銭湯が燃料不足でなかなかやっていなくて、何日もお風呂入れず。近くの川の土手に上がって、煙が出ている銭湯の煙突を探して、そこへ向かって歩いていった。もう既にすごい行列が出来ていたので、並んで入浴した。という当時の市民の方の思い出も見つけました。

終戦1945年前後の銭湯の中の状況について、『公衆浴場史』に書いてある部分を引用します。

「なお、当時としては石鹸の入手が容易ではなく、浴客はみな金ダライなどを手にして浴場の開戸前に行列となり、かろうじて入浴するも、ところによっては男女混浴であり、浴槽は常に満員で、洗浴して上がれば、衣服類は盗難にあうなど、まことに今日では想像以上の状況であった。この混乱を体験した浴客たちが、その後幸いに家を新築するに当たって、小なりとも浴室を設ける一因ともなり、生来、団地の居室には必ずというほど浴室を付設することとなったのである。」


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1934年(昭和9)の札幌の銭湯の入浴料金表  『札浴百周年のあゆみ』より

ちなみに当時の東京の銭湯入浴料金は
1928年(昭和3)  大人(14歳以上)5銭 小人(14歳未満)4銭 幼児(4歳未満)3銭 洗髪料15銭
1944年(昭和19) 大人(7歳以上)12銭 小人(7歳未満)6銭 洗髪料15銭
※現在2022年東京の銭湯入浴料金は 大人500円 中人200円 小人100円が上限額

※洗髪料とは、当時、髪の洗う時に取られる追加料金です。今でこそ、毎日髪を洗う人も多いと思いますが、家庭の風呂が広く普及する昭和中期までは、髪の毛を洗うのは多くても月に1~2回が一般的でした。






○終戦、そして、銭湯の復興、再建へ。

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ドラム缶風呂  朝日新聞社 より

 1945年(昭和20)に入ると、東京や大阪、広島、長崎、甲府など多くの都市で、度重なるB29の空襲や爆撃が激しくなり、そこに住む市民や市街地にあった銭湯も大きな被害も受けました。京都のように空襲被害がわりと少なかった都市もありました。

 燃料不足、空襲で焼けたり、建物疎開で取り壊されたりで、1943年頃から廃業や休業する銭湯が徐々に増えてきます。終戦間際の頃は、燃料・人手不足のため東京の銭湯は営業している所ですら、3日~5日に1日の営業という状態だったようです。太平洋戦争が始まった1941年には2,796軒あった東京の銭湯は、1945年8月15日の終戦の日に残っていたのは、わずか400軒ほどでした。

 川崎で銭湯を営んでいる星野さんが祖父の話として、「昭和20年(1945年)4月15日の”川崎大空襲”で店は焼失してしまったものの、幸いにも釜と煙突が焼け残った為、周りを囲って、暫くの間、露天風呂ならぬ全てが野天の”野天風呂屋”を営んでいたそうです。」


 終戦直後は、営業再開したくても修理業者も資材も燃料もない状態でした。幸いにも建物が残った銭湯、焼け残った資材をなんとか集め上記の川崎や冒頭の東京九段の写真のように野天風呂で営業する銭湯、仮設浴場を作って営業再開する銭湯もありました。それらの銭湯は、終戦直後の混乱期に住民の保健衛生に大きく貢献しました。

 終戦後の数年間は引き続きお湯を沸かす燃料不足は深刻で、電気でお湯を沸かした「電化浴場」が全国で多く出現した。(終戦直後は電力の余剰があった。)ただしすぐに国内の電力需要が回復したのと、電気でお湯を沸かす作業が危険だった事もあり、この電化浴場すぐに姿を消しました。

 終戦後しばらくは営業している銭湯も少なくどこも大混雑で、東京足立のタカラ湯さんの当時の日記には、「毎日1500人~2000人、大晦日には3000人ほどの客が入っており場内は歩けないほどの混雑だった」そうです。現在の東京の銭湯の平均入浴者数が1日140人前後といわれているので、その10倍以上ですね。


 こちらは1949年(昭和24)~56年(昭和31)頃の東京の小平で地元の写真家・飯山達雄氏撮った写真。終戦後まもなくの営業中の銭湯の写真は貴重ですし、当時の生活の雰囲気が分かる良い写真です。
こだいらデジタルアーカイブより
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 ここから、昭和20年の終戦から昭和40年前半までが、銭湯の復興・黄金期であります。この時期の銭湯もとても興味深い時期なのですが、それはまたの機会に


 長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 冒頭に書いた通り、まだまだ調べたりない部分や未知の部分は多くありますが、少しでも戦争中の銭湯や人々の暮しに興味をもってもらうきっかけになれば幸いです。





○参考文献

『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990
『全国浴場新聞』2012年6月号  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984
『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合  1980
『創立五十周年記念誌』 板橋浴場組合 1979
『半世紀の思い出』 池袋浴場組合 1978
『21世紀を生きる公衆浴場』 京都府公衆浴場業環境衛生同業組合 1983
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985
『札浴百周年のあゆみ』 札幌公衆浴場商業協同組合 2004
『日本清浄文化史』 花王石鹸資料室 編  花王石鹸  1971
『浴室を考える本』 住いと暮しを考える会 INAX 1989
『特別展 ゆ ~お風呂の文化史~』  埼玉県立博物館  2000
『ビジュアル 日本の住まい ④近現代(明治時代~現代)』 家具道具室内史学会  ゆまに書房  2019
『お風呂の富士見誌 ~うちで湯ったり・でかけていい湯~』  富士見市立難波田城資料館   2020


足立北千住・タカラ湯
花王石鹸ホームページ
お風呂アドバイザー 洗いの殿堂
小平市立図書館/こだいらデジタルアーカイブ



◎【終戦の日特集】 戦争中の銭湯は、どんなだったの?

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【重要】 「銭湯の災害対応マニュアル 第4版」を無料配布します。

この度、
全国の銭湯、スーパー銭湯、温泉、その他温浴施設・入浴施設向けに
『阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、台風被害の事例から見る
銭湯(公衆浴場)の災害対応マニュアル 第4版』
 を作成いたしました。
※以下『銭湯の災害対応マニュアル』

東北や熊本、関西、関東の銭湯の方から地震や台風での対応や実際に起きた事例等を、
多数の銭湯の修理工事を行った工務店から具体的な被害状況を多く教えていただき、
また、防災士として得たの最新の防災に関する情報を加えて
災害時の銭湯、スーパー銭湯、温泉・温浴施設や浴場組合での対応策や予想される事態をまとめました。
このマニュアルによって災害に起きた時の、浴場や被災者の方の苦労や被害が、少しでも軽くできればと思っています。

これを元に、防災や災害対策を考えたい・取り組みたいという
銭湯、スーパー銭湯、温泉、温浴施設・入浴施設、浴場組合の関係の方、行政関係の方、研究者の方に
『銭湯の災害対応マニュアル』を無料で配布しています。

マニュアルは、添付資料も合わせて全体で、A4サイズ30ページほどの資料になります。
(申し訳ありませんが、一般の方への配布は予定しておりません。)

配布希望される方は、以下の文章を読んだ上で後半に書いてあるメールアドレスに連絡ください。

※このページの最後に銭湯の災害対応マニュアルを一部(基本事項・第一章)公開しています。

『銭湯の災害対応マニュアル』 の資料提供先

銭湯の災害対応マニュアル4表紙a

1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年の大阪府北部地震、西日本集中豪雨、関西圏を襲った大型台風、北海道胆振東部地震、そして2019年の東日本に大きな被害をもたらした2つの大型台風、近年、多くの災害が起こりました。被災された方に心よりお見舞い申し上げます。

1995年の阪神・淡路、2011年の東北地方、2016年の熊本での地震では、
銭湯やスーパー銭湯、温泉施設の入浴支援が大きな注目を集めました。
浴場の方自身も被災者でありながら、被害を受けた設備の復旧等に尽力し
お風呂が入れない被災者を可能な限り受け入れてくれた、その尽力には頭が下がります。
当サイト「銭湯・奥の細道」では、2011年の東日本大震災以降、
被災地やそこの銭湯や温浴施設を実際に訪ね入浴しお話を聞いてきました。
また、2016年の熊本地震の際は、本当に微力ながら入浴支援活動の協力(情報発信など)もしました。

被災地の銭湯・温浴施設、工務店の方から、災害時の対応や実際の被害状況等を多く教えていただき、
災害対策や予想される事態を「銭湯の災害対応マニュアル」としてまとめました。

こうした銭湯の災害時のマニュアルは過去には全く存在せず、
また過去の詳細なデータや対応の記録もあまり残っていなかった為、
2016年4月に作成した『銭湯の災害対応マニュアル 第1版』は、多くの銭湯、スーパー銭湯、温泉施設、浴場組合の関係者、行政、報道の方に防災対策の資料として活用していただきました。

その後、2016年~2020年と全国の多くの浴場関係者に実際に会い話し合いをし
銭湯での防災訓練『防災銭湯』を継続して行ってきました。
そこで出て来た災害時の対応についての様々な質問や課題、
また防災士の資格取得でえた防災に関する情報も
可能な限り『銭湯の災害対応マニュアル 第4版』に盛り込みました。
なので、個々の浴場の対応や課題・諸問題にもかなり踏み込んだ、実際に役立つ内容になっていると思います。

銭湯の災害対応マニュアル4表紙a 銭湯の災害対応マニュアル第2版内容 銭湯の災害対応マニュアル第2版フローチャート
saigai2.jpg saigai3.jpg 銭湯の災害対応マニュアル記録2
↑ 上記の画像は意図的に荒く表示してあります。
※ページの最後にマニュアルの一部(基本事項・第一章)のみ公開しています。ごらんください。


この『銭湯の災害対応マニュアル 第4版』は、
大きく分けて「災害への備え」・「もし、災害が発生したら」・「事後の対応、今後の課題」の3章。
と、災害時の対応について理解しやすくする為に「地震と火災想定のフローチャート」
災害が起きた時に迅速でまた正確に記録報告する為の「災害被害状況報告書」
災害での建物被害拡大を防ぐ為の「銭湯の建物簡易チェック表」
「熊本地震後の入浴支援の詳細な記録(銭湯3軒と温泉施設2軒、無料入浴支援について)」 を追加しました。

災害は、地域によって状況も大きく変わります。
このマニュアルを参考にしつつ、それぞれで災害が起きた時の対策を話し合い、臨機応変に対応していく事が大切だと考えます。「日本全国、災害が起きない場所はないです!」


これを元に、防災や災害対策を考えたいという
銭湯、スーパー銭湯、温泉、温浴施設・入浴施設、浴場組合の関係の方、行政関係の方、研究者の方に
『銭湯の災害対応マニュアル』を無料で配布します。
 ※大量の場合、印刷代送料等の実費を頂く場合もあります。
(今後、内容全文をHPで公開したり、一般の方に配布したりする予定はありません)




必要な方は、団体や個人名と住所、連絡先、使用目的等を記載し
下記のアドレスまでメールください。


また、細かい事例への質問、話し合い・研修・勉強会、避難訓練『防災銭湯』への協力もします。
※当方、関東在住なので地理的に難しい場合もありますが。


銭湯・奥の細道 連絡先メールアドレス 
1010meguri@gmail.com






『阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震の事例から見る
 銭湯(公衆浴場)の災害対応マニュアル 第4版』

目 次

◎はじめに  1ページ
◎災害対策の基本事項。入浴施設は災害時危険な場所  2ページ
◎今やるべき「災害への備え」  3~4ページ  ※ページの最後に基本事項とこの章のみ公開しています。
◎もし、災害が発生したら  5~6ページ
◎事後の対応、今後の課題。  7~9ページ
◎最後に   9ページ
◎参考資料、連絡先  10ページ
○災害時の対応フローチャート「地震・火事」  11~12ページ
○災害被害状況報告書  13~14ページ
○銭湯の建物簡易チェック表  15~16ページ
☆熊本地震における銭湯、温泉施設の入浴支援の記録。無料入浴支援について  別添資料 全7ページ
☆防災訓練「防災銭湯」 実施報告書  別添資料

全体で、A4サイズ30ページほどの資料になります。




◎最も大事な、災害対応の基本事項


1. 災害対応について知り、話し合い・避難訓練の機会を持つ。 
 【災害への備え】

2. 自分やお客様の身の安全を最優先に考え、落ち着いて状況を判断し行動する。
 【災害対応】

3. 入浴に徹する。
 【入浴支援】




◎今やるべき「災害への備え」

1.従業員、浴場組合内で災害対応について知り、話し合う機会を持ってください。
↑これが最も大事です。
被災地の銭湯・温浴施設でお話しを聞いた際、「初めて起こる様々な事態をその場で判断決定しながら、通常よりはるかに多いお客さんを受け入れ営業する。この2つの事を同時に行うのは本当に大変だった。」と言われていました。このマニュアルの内容を事前に話し合う事でそうした苦労の何割かは軽減できます。

2. 災害時の対応の大原則を話し合い、決めておく
□「原則、営業可能な浴場は営業する」「災害時は入浴支援に徹する」等
□ 「生命の安全確保」「二次災害の防止」「事業の継続」「地域貢献・地域との共生」等
□ 自分やお客様の身の安全を最優先に考え、落ち着いて状況を判断し行動する。

3.連絡体制を確認する(連絡網の作成)
□ いざという時の従業員への緊急の連絡はできるのか?連絡網はあるか?
□ 普段から浴場(同業者)同士のコミュニケーションを密に取っておく(災害時も連携しやすい)
□ 浴場組合内での連絡網の確認。情報の取りまとめ役や緊急時の外部との窓口を確認。
  ※浴場組合内の軒数が多い場合、各支部や地域ごとでの責任者を決める。
□ 店の固定電話以外にも、経営者責任者の携帯電話、メール、LINE、 FAX等を把握。
□ 災害被害報告書の事前配布と活用 → 「災害被害状況報告書」

4.自分や各浴場の営業状況、設備・備品を知る、日常備蓄
□ 普段の営業状況。(従業員の数や構成、営業時間、定休日、客数、周辺の地域等)
□ 燃料(木材or重油orガス等)、水道or地下水。備蓄している消耗品(塩素、石鹸類、清掃用具等)
□ 使用している消耗品(塩素、シャンプー石鹸等)を普段から多めに購入備蓄しておく『日常備蓄』
□ シャンプー石鹸等を浴室に常備してない銭湯は、それらを緊急用に用意しておくのも良い。
□ 通常営業時も活用出来るので、応急手当の救急箱の常備やAEDの設置を検討する。
□ 客が迅速に避難できるよう、バスタオルや足を守るマットやスリッパ等を多めに用意しておく。
□ 非常用の電灯・ベルや従業員を守るヘルメットや靴をすぐ出せるようにフロントに用意しておく。
□ 電池式ラジオは災害時最強の情報ツール。テレビやネットは停電やアクセス集中で使えない可能性あり。

5.ホームページ(HP)の作成、紙媒体での銭湯マップ等を作成する
□ 通常時もそうですが、災害時に直接すぐに情報発信できるHPの存在はとても重要。
□ HPは緊急時、「重要事項(浴場の営業情報等)」をトップページに追記・編集できる仕様に。
□ 責任者やWEB会社以外にも、浴場側にも情報の更新が出来る人を作っておく。
□ 利用客、浴場の方ともにネットが見られない人が多くいるので、紙媒体でのマップ等も重要。
□ すべての浴場の方にHP・銭湯マップの存在や内容、意義をしっかり伝えておく。

6.常連さんとのコミュニケーション
□ 災害時、じつは頼りになるのが常連のお客さんです。近隣の情報や被害状況を教えてくれたり、色々な面で支えになってくれます。なので、普段からのコミュニケーション・関係作りが大切!

7.自分の地域や災害について知る
□ 浴場から近い、避難所(学校、公民館等)避難場所、病院の場所や経路を知る。→避難誘導の際重要
□ 自分の地域の防災情報を知る。 →市区町村のHPや無料冊子にまとめられている事が多い。
□ 『東京防災』(定価150円)を買う。 →災害時予想される事態や対応策がコンパクトにまとめた一冊。
□ 地域で行われている防災訓練や防災イベントに参加する。

8.自治体の担当課や地元マスコミ等との協力確認をする
□ 市区町村・県の生活衛生担当課、消防署、厚生労働省等
 →災害時の協定を自治体と結ぶ所が増えている。(入浴支援、地下水の提供、情報伝達のルートを協議。)
□ 地元の新聞社・テレビ局は災害時、情報発信面で非常に頼りになる。普段から繋がりを作っておく。
□ 普段からすぐに来てくれる工務店、業者を確保しておく。災害時の急な故障・修理等に対応できる。
□ 近隣の浴場、入浴施設、宿泊施設等とのつながり。普段は商売敵でも、災害時は協力が必要。
□ 県外の同業者や協力者の確保。いざという時の協力や情報収集・発信等を手伝ってもらえます。

9.建物の自己チェック、災害対策の実施、建物の耐震化
□ 建物の自己チェックを行い早期の修理修繕につなげる → 銭湯の建物簡易チェック表
□ 脱衣&下足ロッカー、自動販売機等の転倒・落下・移動を防止する。金具や器具での固定化。
□ 窓や鏡、ガラス戸が多い浴場では、飛散防止フィルムも有効と思われる。
□ 浴室・建物内の照明器具が落下し飛散する可能性あり。割れにくい物に交換や落下防止対策が有効。
□ 建物の耐震化。古い建物が多い銭湯は、大地震の際に破損倒壊の可能性があり。(新しければ必ず安全な訳ではないが)旧耐震基準1981年以前に建てられた建物は特に注意が必要。高い煙突や大きな梁は危険度が高い。区市町村によっては、耐震診断や耐震改修の費用の一部補助がある。

10.避難訓練の実施、話し合い、対策やマニュアル作成を行う
□ 消防署の協力の元、防災訓練『防災銭湯』を実施する。
  費用や準備開催の手間も少なく、効果は大きい。→ 添付資料「防災銭湯 実施報告書」参照
□ 定休日・休館日に、全従業員での火事や地震等の災害を想定した避難訓練を行う。
□ 避難訓練を実施して分かった問題点や改善点を元に従業員で話し合いを行う。
□ 話し合いを元に、施設・設備の改善や安全対策、マニュアルの作成等を行う。
□ 「事業継続計画(BCP)」の作成と運用。事業継続計画とは?→災害や事故などが起きた場合に重要業務の継続や早期復旧を目指し被害影響を小さくする(倒産や閉店を起こさない)為の計画。企業や経営・運営者に策定が求められている。


※『銭湯(公衆浴場)の災害対応マニュアル 第4版』より 一部抜粋

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「銭湯」とはなにか? 第2章/2021年・現在の銭湯の状況

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「銭湯」とはなにか?
今回は、銭湯を取り巻く状況が平成から令和にかけて大きく変わった事にも触れていきたいと思います。
全体に長文になってしまったので、3章に分けました。
1章ずつ読んでもいいし、興味ある章だけ読んでも構いません。

※この記事では、前章で説明したように原則、「銭湯=一般公衆浴場」という定義で話します。

◎第1章/銭湯とはなにか?【狭義の銭湯】  前回

◎第2章/2021年・現在の銭湯の状況  今回

◎第3章/銭湯とはなにか?【新しい銭湯】 次回

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◎第2章/2021年・現在の銭湯の状況

ここ数年、銭湯がテレビや新聞、雑誌などのメディアに取上げられる事が増え、新しい人が銭湯を引き継ぐような事例も出て来て、一部では「銭湯ブーム」といわれるような部分もありますが、
銭湯全体としては、減少の流れがここ数十年ずっと続いています。
全盛期の昭和43年(1968年)頃には全国に22,000軒以上あった銭湯は、それ以降数十年間はずっと減り続け、令和3年(2021年)は約3,200軒ほどに。

銭湯(一般公衆浴場)の減り方や現在の数は、地域によって大きく差があり
東京23区、大阪府、京都市などの都市部や、鹿児島や大分、富山、青森などの温泉地では、現在も銭湯は多くの軒数が残っており、その地域で大きな位置を占めています。
一方、「銭湯が消えた」市町村も多くあります。県内の銭湯の数が一桁の県も、現在では珍しくはないです。※温泉天国の山形県も銭湯(一般公衆浴場)の数は0です。

実際に2021年最新の銭湯マップを見てみると、よく分かります。
代表的な例、東京都、愛知県、茨城県の銭湯の現在の状況を見ていきましょう。

・・・銭湯(一般公衆浴場)。 ・・・スーパー銭湯や日帰り温泉。 
・・・日帰り入浴可能なホテルや宿。 ・・・休業、閉店    に大別しています。

【東京都】
東京23区内は、圧倒的に銭湯多いが、郊外に行くと他の温浴施設の率が上がるのが分かります。





【愛知県】
名古屋を中心とする地域は銭湯率が高いが、他の地域だとスーパー銭湯などの温浴施設とのバランスが逆転しています。





【茨城県】
銭湯の数が非常に少なく、公営浴場や日帰り温泉、スーパー銭湯が充実している特徴があります。





このように全国47都道府県、銭湯の状況や数、他の温浴施設とのバランスは大きく違います。
全国的に見ると、愛知県や茨城県のような状況になってきている県が多いです。
東京都のような銭湯の残り方をしている都道府県の方が、逆に少数です。
興味のある方は、当サイトで「全国の銭湯、スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ 一覧とマップ」で参照してみてください。




東京23区など都市部で、銭湯が多く残っている理由としては
人口(利用者)の多さ、土地の広さの問題で大型浴場が進出しにくい、行政からの補助金、同業者多い事=浴場組合の力などがあります。
 銭湯は都市部に多いのは明らかですが、必ずしも人口比ではない部分もあります。ちなみに、埼玉県では人口の多い川越市(35万人)、草加市(25万人)ではすでに銭湯が0ですし、全国的に見ると人口10万人、20万人ある都市でも銭湯がないという所が珍しくありません。


銭湯が減る・廃業する理由として(経営者へのアンケートで多く上がるもの)
利用客の減少、設備・施設の老朽化、燃料や光熱費の上昇、経営者の高齢化・体調不良、スーパー銭湯等の出現などがあります。
 あと「後継者難」というのもあるが、これメデイアの記事ではよく「後継者不足」と書かれる事多いが、実際に銭湯経営者の方に話聞くと、銭湯経営も思わしくないし大変な仕事なので、現経営者が自分の代で廃業する事を決めていて、子どもに継がせる事や新規運営者募集を考えていない事が多いです。
 通常の建物でも水回りは故障や経年劣化が激しいように、常に湿度と温度が高い銭湯の建物は、施設・設備の修繕や更新が必ず定期的に必要になります。また、その設備修繕にも通常の建物よりはるかに多額の費用がかかります。蛇口(カラン)や設備一つ取ってみても、浴場用の特殊なもので一般用に比べ値段が数倍から10倍近くする事もあります。





ここ数十年間ずっと銭湯が減り続けている。と書きましたが
銭湯が減り続けている大きな根本的理由として2つあると考えます。

1.全国的な住環境の変化による家風呂の普及。
1960年代60%前後だった住宅の家風呂の普及率は、現在は95%を越え、ほぼ100%に近くになっています。
それによる、人々の生活の中での銭湯の役割の変化。


2.銭湯(一般公衆浴場)が増えない[新規開業ができない]、ルールや仕組み、状況があるから。

特に2点目については言及する人や記事がほぼないのが不思議です。ある種タブーになってるのかな?

コンビニやラーメン屋も、毎年全国で大量に閉まっています。
でも、コンビニやラーメン屋が、街からなくならないのはなぜでしょう?
それは、閉店する数と同数か、それ以上新規開店してるからです。そうして、ある種の新陳代謝を繰り返しています。


銭湯はここ数十年、子どもが生まれていない村であり、数が減り続けるのは必然です。

毎年一定数の銭湯が閉店廃業しています。これは上記書いた理由が複数あり、仕方がない部分もあります。
同時に、ここ数十年、ほぼ新規開業がない(増えない)特殊な業界なので、全体としては常に減り続ける訳です。

 その銭湯が減り続ける原因=増えないルール、枠組みが出来たのには、過去や現在の銭湯経営者も関わっています。
 大正、戦後昭和の時代、銭湯がたくさん出来て増えすぎた時期がありました。その中で同業者間での過度な競争が起きないように、それによる閉店廃業が起きないように、同業者の団体(浴場組合)や銭湯間や新規開業などのルールを作ったりしてきました。また、浴場組合で団結して、数の力を使い行政などと交渉して補助や有利な条件を勝ち取って、既存の自分達の銭湯の営業を守ろうとしました。
 その結果、銭湯への物価統制令が維持され続けた事もあり、多くの都道府県で、「銭湯の新規開業が難しい」、入浴温浴施設を新たにオープンする場合「銭湯(一般公衆浴場)で開業しても経営メリットが少ない」状況ができてしまいました。

※銭湯(一般公衆浴場)に対する物価統制令の見直し・廃止の議論は、1970年前後と1999年前後に大きく2回あり、特に1970年の方は銭湯経営者内でも存続と廃止で意見が二分したようです。結果として、現在も制度として継続されています。

自分達が経営する銭湯を守ろうとした結果、銭湯全体が減り続ける状況が出来てしまったのは、皮肉な結果です。


不思議に思いませんか?
近年のサウナブームで、全国各地に新しいサウナがどんどん出来ている一方、
都内中心にメディアで「銭湯」を取上げられ、ある種の銭湯ブームなのに、新規開業する銭湯がほぼない事を。
一時期のタピオカブームまでは行かなくても、都内に何軒か新しい銭湯が開業してもおかしくないのに、聞くは既存の銭湯のリニューアルオープンのニュースばかりです(これはこれで良い事ですが)





全盛期の昭和43年頃22,000軒以上あった銭湯も、それ以降数十年間はずっと減り続け、現在は約3,200軒ほどに。
昭和40年頃は公衆浴場業の94.8%を、銭湯(一般公衆浴場)が占めていましたが、その割合は年々低下し、令和元年では全体比13.9%ほどです。この50年間で入浴施設・温浴施設もそれだけ多様化したという事です。

全国的に見ると、昭和後期から平成・令和にかけてのこの50年間で、一部の地域(大都市部と温泉地)を除いて
銭湯(一般公衆浴場)は、入浴施設の中の主流ではなくなった。というのが今の現実です。



ですが、全国の街から入浴施設や外湯文化が消えたかというと、そうではありません!
平成からの30年ほどで、減り続ける銭湯(一般公衆浴場)に代わり、全国で数を増やしてきたのが、日帰り温泉やスーパー銭湯、公設温泉などの大型浴場、スポーツジムに併設した浴場など「その他の公衆浴場」といわれる温浴施設です。

平成・令和の時代を経て、
銭湯を見る語る上でも、「多様化」「地域性」という広い視点を入れていくべきだと考えます。
次回は、この「その他の公衆浴場」『新しい銭湯』について。


長文読んでいただいてありがとうございます。
次回更新も良かったら、読んでください


◎第1章/銭湯とはなにか?【狭義の銭湯】  前回

◎第2章/2021年・現在の銭湯の状況  今回

◎第3章/銭湯とはなにか?【新しい銭湯】 次回




参考文献

・「全浴連三十年史」 全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会 
・「生活衛生関係営業ハンドブック」 全国生活衛生営業指導センター
・「銭湯空間」 今井健太郎
全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)
衛生行政報告
・各都道府県の公衆浴場関係の条例


銭湯とはなにか? 第2章/2021年・現在の銭湯の状況

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「銭湯」とはなにか? 銭湯を再定義する♨ 第1章

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「銭湯って、定義あいまいですよね?」

現在、『銭湯大学』という銭湯をテーマに論文書いてる学生をサポートする活動しているんですが、
その学生との会話の中で出て来た言葉です。


そう!そうなんです!
実は「銭湯」は定義があいまいで、人と場合によって、記事や文章によって、けっこう対象が変わる事があります。
「ここまでが銭湯で、ここからが銭湯以外。」というような全国統一の確固たる定義がないのが実状です。
銭湯経営者の方や銭湯大好きな銭湯マニアさんの中でも、この線引きが人によって微妙に違います。

では、「銭湯」とはなにか?
また、銭湯を取り巻く状況が平成から令和にかけて大きく変わった事にも触れていきたいと思います。
全体に長文になってしまったので、3章に分けました。
1章ずつ読んでもいいし、興味ある章だけ読んでも構いません。


◎第1章/銭湯とはなにか?【狭義の銭湯】 今回

◎第2章/2021年・現在の銭湯の状況  次回

◎第3章/銭湯とはなにか?【広義の銭湯】 次々回

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◎第1章/銭湯とはなにか?【狭義の銭湯】

 銭湯、お風呂屋さん、△△の湯、湯屋、公衆浴場・・・様々な呼び方がありますね。
「銭湯」という言葉は日常的に使いますし、なんとなくのイメージとして
建物は大きくて煙突があって、番台もしくはフロントでお金を払って、男女別の脱衣所へ、その先の浴室には富士山の絵があり、大きな湯船に、洗い場、露天やサウナはあったりなかったり。入浴後は定番のコーヒー牛乳ですか。レトロな建物でノスタルジーを感じる人もいれば、大きなスーパー銭湯をイメージする人もいると思います。最近ではデザイナーズ銭湯が話題です。きっと、人によって銭湯のイメージは様々ですよね。

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銭湯とはなにか?
我が地元の市のHPが、分かりやすくコンパクトにまとまっているので
これ読んでもらえば、もう終わりでもいいんですが、部分引用しますね。

Q.銭湯とはなにか?

簡単にいうと、身近な街のお風呂屋さん、普通は「銭湯」と呼ばれています。この銭湯を正式にいうと「公衆浴場」となります。
 公衆浴場の定義については、公衆浴場法という法律の第1条により「温湯、潮湯または温泉その他を使用して、公衆を入浴させる施設をいう。」と規定されています。
 さらに、この「公衆浴場」は、都道府県に届け出る営業の許可により、大きく分けて、「一般公衆浴場」と「その他の公衆浴場」に区分されており、「銭湯」は「一般公衆浴場」に属しています。
 さらに、さらに詳しくいうと、「一般公衆浴場」とは、「地域住民の日常生活において保健衛生上必要なものとして利用される施設で、物価統制令によって入浴料が決められる施設・・・」となっており、一般的な銭湯や公営の共同浴場などが該当します。
 これをわかり易く言い換えると、「地域の皆さんに健康で快適な生活を送っていただくための施設で、その料金は法律によって定められている施設・・・」が街中で見かける銭湯ということになります。
 ちなみに、「その他の公衆浴場」とは、物価統制令の適用がない施設で、サウナ風呂や健康ランド、最近はやりのスーパー銭湯などが該当します。

料金は、物価統制令に基づき埼玉県が定めた入浴料で、12歳以上430円、6歳以上180円、6歳未満70円です。※ただし、サウナなどの附属設備の利用は除く。

引用 朝霞市「公衆浴場(市内の銭湯)」



A.銭湯とは、「一般公衆浴場」である。
というのが答えであり、現在は最も一般的で全国で通用する定義です。
一般公衆浴場=普通公衆浴場とも言います。
最新の数字では、全国に 3,231軒 の銭湯があります。(国の衛生行政報告例より。2021年3月現在)

 銭湯(一般公衆浴場)は、物価統制令によって入浴料金が決まっています。これは都道府県ごとに金額が違い、現在全国で一番高いのは、神奈川県と大阪府の大人490円、一番安いのが佐賀県の大人280円となっています。ちなみに、これは「上限価格」であって、「一律価格」でありません。要するに、これ以上上げるのはダメだけど、下げるのは実はOKなのです。これ勘違いしている人や間違って書いてる記事が結構多いです。
 さらに詳しい事を書くと、この「一般公衆浴場」という区分は、県によって対象施設の範囲が微妙に違って、鹿児島県のように小さい町の銭湯から大型浴場・日帰り入浴やってるホテルまで含む対象範囲が非常に広い都道府県もあれば、東京のように対象範囲が狭い都道府県もあります。
 銭湯の施設や配置についての基準は、各都道府県で条例で決まっており、それを読むと共通の部分もあれば、県によって違う部分もあり、全国一律の施設基準ではありません。
ここが少しややこしい。


もう一個の銭湯の定義は
A.銭湯とは、「公衆浴場組合に入っている浴場」である。
これ、一昔前はこの定義がスタンダードで、現在もこの捉え方をしてる人は多いです。
各都道府県には、公衆浴場業生活衛生同業組合(以下浴場組合)という銭湯の同業者団体があり、多くの銭湯はそこに加入して営業しています。ただ、加入は任意なので、加入せずに営業している銭湯も結構な数あります。

また、第2章で書きますが、ここ数十年で銭湯は激減し、県によってはすでに浴場組合が解散している県も増えてきているので、現在ではこの定義だと、漏れてしまう銭湯が多く存在するので、やや古い定義だと思います。
この浴場組合に入ってる銭湯の数は 1,964軒 になります。(全国浴場組合調べ。2021年4月1日現在) 
前述の一般公衆浴場の約2/3弱が、この浴場組合に加入しています。


東京都は、一般公衆浴場の浴場組合への加入率が全国でもトップクラスに高く、その約99%が加入しています。なので、東京都などの都市部では、「銭湯」=「一般公衆浴場」=「公衆浴場組合に入っている浴場」という定義も成立します。

ちなみに、この記事の最初に写真が載っていた東京都文京区大塚の「君の湯」は
東京でも数少ない組合に加入していない一般公衆浴場です。
なので、君の湯は1個目の定義では銭湯だけど、2個目の定義では銭湯ではないという事になります。不思議ですね~
興味のある方は、実際に君の湯入浴してみるといいと思います。まあ、多くの人がこれは間違いなく銭湯だ!と感じるでしょう。料金が他の都内の銭湯より少し安かったり、違う所も少しあるので面白いですよ。良い銭湯です♨

さらに知りたい方は・・・
◎全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (新料金・2021年最新版)
各都道府県の入浴料の比較と軒数が一覧で見られます。


ここまでが第一章の狭義の銭湯の話。広義の銭湯について話す前に
それと大いに関係ある現在の全国の銭湯の状況について話をしようと思います。


次回更新も良かったら、読んでください

◎第1章/銭湯とはなにか?【狭義の銭湯】 今回

◎第2章/2021年・現在の銭湯の状況  次回

◎第3章/銭湯とはなにか?【広義の銭湯】 次々回



参考文献

・生活衛生関係営業ハンドブック
全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)
衛生行政報告
・各都道府県の公衆浴場関係の条例


「銭湯」とはなにか? 銭湯を再定義する♨ 第1章

| コラム的なもの | 08:17 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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