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銭湯・奥の細道 (東北と全国の銭湯巡り)

東北を中心に、全国の銭湯・スーパー銭湯・日帰り温泉・サウナ・共同浴場を紹介します!

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【新説】 沖縄県の銭湯・風呂屋(ゆーふるやー)の歴史♨

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写真左:1963年。北谷村の銭湯「謝苅湯」 出典:沖縄県公文書館  右:2023年。沖縄市の銭湯「中乃湯」 撮影:銭湯・奥の細道

沖縄の銭湯・お風呂屋さん、沖縄方言では「ゆーふるーやー」♨
銭湯の記事でも時々取上げられる事はありますが、「沖縄県は銭湯1軒しかない。」「建物が独特で」「昔はいっぱいあったらしい」ということは繰り返し書かれますが、実はよく分かっていない部分も多く、ずっと疑問を感じていました。
そこで、先日沖縄に行って、実際に銭湯に入り、史料と現地調査してきました!!

中乃湯さま、沖縄県公文書館さま、沖縄B級ポータルDEEokinawaさま、沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートさま、その他沖縄の皆様、調査の協力ありがとうございました!!

※沖縄県の昔や現在の資料を調べても、「銭湯」「風呂屋」「ユーフルヤー」どれも使われていたので(法律や議会の場合は「公衆浴場」)、今回記事の中では特別意味があったり引用箇所以外は『銭湯』である程度統一して書いています。

それでは、長文になりますが、沖縄の銭湯の歴史を当時の写真と史料をもとに振り返っていきましょう♨


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目次
○戦前の沖縄の銭湯
○戦後の沖縄の銭湯
○アメリカ統治下、琉球政府での「公衆浴場法」成立
○沖縄の銭湯の衰退
○沖縄の銭湯の現在
☆沖縄の銭湯の軒数の推移と入浴料金の変化
☆参考文献、スペシャルサンクス







○戦前の沖縄の銭湯

戦前の銭湯についての記録は、沖縄に限らず非常に少ないので、ここは2017年に沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートで開催された「沖縄市のユーフルヤー」展の文章を引用させていただきます。

 沖縄にユーフルヤーが登場したのは意外に早く、1680(尚貞12)年評定所の廻し文(回覧文)に湯屋利用の諸注意がある。那覇市西の真教寺門前から北横手一帯に湯屋が存在していたという。
 しかし、沖縄を含め、日本人は入浴の習慣はあまりなかったようで、それは神事で沐浴・禊をして身を清めてからという言葉に端的に表されているようだ。また、正月ユーフルやシチグヮチ(旧盆)ユーフルという言葉もあった。
 風呂屋は、明治期に入り増えていくが、現在のように毎日風呂に入るというのは上水道の普及まで待たなければならなかった。それまでは銭湯に行くのはまれで、池(クムイ)や川・井戸で浴びることが多く、家では手足を拭く程度であった。
【中略】
沖縄の風呂屋は登場した当初は不定期に営業し、のちに常時営業するようになったようである。建物は木造建築が多かった。

KOZA BUNKA BOX 第14号 引用


戦前の『警察統計報告』の記録を調べると、沖縄県内には大正時代は90軒前後、昭和初期は150軒前後(年によってかなり数の上下動はあるが)あったことが分かっています。






○戦後の沖縄の銭湯

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写真出典:沖縄県公文書館 左:アメリカ軍による沖縄上陸作戦。  右:1945年6月。日本軍から攻略したばかりの那覇飛行場にある砲弾跡で水浴びを楽しむアメリカ海兵隊。後ろにあるのは日本軍の戦闘機。

1945年(昭和20年)、日本の敗戦によって太平洋戦争は終結する。
日本の中で唯一の地上戦を経験し、民間人、日本軍、アメリカ軍にも多大な犠牲を払った沖縄。
終戦ともにアメリカ軍はすばやく沖縄での占領統治、行政改革基礎作りを始めました。

沖縄の市民は、各難民収容所から解放され、アメリカ軍の軍用トラックに便乗して、それぞれの古里に帰郷し、新しい生活と部落の再建に着手しました。その時にアメリカ軍の空ドラム缶利用しての露天風呂が沖縄の戦後の「浴場」の始まりでした。

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写真出典:沖縄県公文書館 左:沖縄本島の集落にある公共の洗濯兼入浴所。  中央:1945年4月26日。金武町。水路へ取水された水はまず飲料水として用いられ、次に野菜洗い用、水浴び用、最後が洗濯用。  右:1945年4月2日 洗濯をし、水浴びをする地元民。

1945年前後にアメリカ軍が撮影した当時の入浴所を見ると、設備面でも衛生面でも環境が整っているとはとても言い難いものであり、生活衛生上、『新しい銭湯』が人々の生活に求められました。
そして、戦後復興が進むとともに沖縄各地で次々に銭湯が誕生していきます。特に1950年(昭和25)前後から、各地域で数ヶ月に1軒ずつ銭湯が開業していった事が当時の新聞記事から分かります。この時期に、沖縄の銭湯は、庶民の生活に欠かせないものになり、爆発的にその数を増やしていきました。


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写真出典:沖縄県公文書館 左:1963年。北谷村の銭湯「謝苅湯」。  右:1963年。那覇 「日の出湯」。

史料調べて当時の銭湯の記録を読んだり、今回沖縄の銭湯の跡地を現地調査して気づいたんですが、
沖縄県の銭湯の、本土の銭湯と違う特徴として・・・

①小規模な銭湯が多い。
本土の銭湯に比べて規模が小さく、建物は普通の民家や商店と同じか少し大きい程度ものが多い。

②銭湯経営者は、ほとんど沖縄の地元の人。
東京や関西の銭湯経営者は、戦後に他県(北陸地方など)からやってきた方が多いのは知られていますが、沖縄の場合、他県の出身者はほぼいない。当時の公衆浴場営業許可台帳の原本を見ましたが、経営者の本籍地が沖縄以外の他県の人は(全てを確認したわけで訳ではないが)見つける事はできませんでした。
これは、沖縄県がアメリカ統治下で他県との行き来が非常に難しかった事が第一と、水資源が乏しい沖縄で貴重な水をふんだんに使う銭湯という商売は、信用がおける地元の人が行ったのでは?などの理由が推測されます。

③設備が劣悪・問題のある銭湯が多かった。
詳しくは後述しますが、日本本土では1948年(昭和23)にできた公衆浴場法が、沖縄では1953年(昭和28)まで未整備でした。そのため、終戦直後の混乱期に、資材が乏しい時の仮浴場や不完全な浴場、旧「沖縄縣令湯屋取締規則」や「鹿児島縣令湯屋取締規則」に基づく許可で建てられた銭湯も多くあり、設備等に問題ある公衆浴場も多く存在したようです(※琉球立法院議事録・1953年7月13日)。


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☆沖縄の銭湯の特徴として、「浴室と脱衣所の仕切りがない」や「番台ではなく入口付近に受付がある」、また「蛇口や鏡が高い位置にある」などの他県の銭湯では見られない建物の特徴があります。その理由として、沖縄の高温多湿な気候がゆえ、と説明されてきましたが、それだけでも説明のつかない部分も多くあるので、今後その点をさらに詳しく調べたいと考えています。


1950年代1960年代の戦後復興とともに銭湯の需要と建設は増え、1958年~65年(昭和33~40)頃に沖縄の銭湯は最盛期を迎えます。沖縄県内(離島も含め)の銭湯の数はなんと311軒を記録しました。
だがその直後、沖縄の銭湯はその数を激減させ、衰退期に突入します。

※この記事の末に沖縄の銭湯の数の推移と入浴料金の変化の表があるので、参考にしてください。






○アメリカ統治下、琉球政府での「公衆浴場法」成立

アメリカ統治下での歴史は、沖縄の銭湯を語る上で非常に重要だが、全く触れられてこなかった部分です。
1945年(昭和20)の終戦後、1952年(昭和27)のサンフランシスコ平和条約までの7年間、沖縄はアメリカ軍の占領下に置かれました。講和条約の発行により日本は再び独立国として国際社会に復帰しましたが、沖縄県はその後もアメリカの施政権下におかれ、1972年(昭和47)の沖縄返還までの27年間アメリカの統治下にありました。
日本本土では、1948年(昭和23)に銭湯についての法律「公衆浴場法」が成立し、同時期に銭湯の同業者団体である公衆浴場組合が各地で結成や再度活動を始め、その後銭湯業界は発展していた歴史がありますが、沖縄はこの流れから全く別の道を歩んでいきます。

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出典:沖縄県公文書館 左:1953年成立の公衆浴場法(英文版)  右:1959年。琉球政府立法院。

1952年(昭和27)に琉球列島米国民政府(USCAR)のもとに琉球政府立法院(現在でいう沖縄県議会)が設置されました。立法院議員は沖縄の方ですが、すべての法案について、提出前と公布前に米国民政府(USCAR)に承認が必要でした。そうして議論し成立した法律の中に、琉球政府の「公衆浴場法」がありました。

琉球政府の「公衆浴場法」は、1953年(昭和28)に成立しました。すでに日本本土にあった公衆浴場法を参考にしていたもので、原本が英語で書かれている(もちろん日本語版もある)という特徴はありますが、内容自体には大きな違いはありません。ただ、日本本土版で盛り込まれていた銭湯間の距離(配置)制限は、「沖縄に当てはめた場合どの程度が適切なのか今の段階では分からない」という理由で、盛り込む事を見送られました。この時点で、琉球政府も、県内の人口密度や、銭湯の利用頻度、利用者数、営業状況をあまり調査把握できていなかった事がうかがえます。

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出典:沖縄県公文書館  「公衆浴場営業許可台帳 1957年起」 ※一部、氏名や住所や生年月日等はこちらで加工しました。

4年後の1957年(昭和32)にこの琉球政府「公衆浴場法」の一部が改正され、営業許可の手数料、公衆浴場間の距離規定(新規で銭湯建てる場合は既存の銭湯から350メートル以上離す)、また公衆浴場の営業許可を期限付にする(最大5年)についての条文が追加されました。
この公衆浴場の営業許可を期限付にしたことは、非常に注目すべき点です。
日本本土の公衆浴場法での営業許可は永久許可で、自ら廃業するか、何かしら大きな問題を起こさない限りは抹消される事はほぼありません(当時も現在もそうです)。ですが、この琉球政府版の公衆浴場法では1957年の改正によって、更新制が導入されたのです。
営業許可が更新制になった理由としては、琉球政府立法院の議事録にはこうあります。

「現在琉球で、二百六十六の浴場業者がおります。そのうちの百三十三名、丁度半分は湯屋営業取締規則によつて、旧県令で終戦直後のごたごた時代に作つたものでありますが、百三十三、半分は丁度公衆浴場法が立法された一九五三年以後にできたものは、相当立派な施設もされておりますが、旧県令で作つた浴場はまだ十分に改善されていないので、五ヵ年以内にそういうところは十分に改善をさして、そうしてさらにまた、全部改善が済んだらさらに五ヵ年以内で更新の制度を取って絶えず時代の進運に沿うようにしていきたい」

琉球政府立法院の議事録(1957年6月18日)引用


確かにこの1957年(昭和32)の公衆浴場許可台帳を見る機会がありましたが、すべての浴場に5年ないし2年の営業許可期限が書かれていました。公衆浴場法成立後にできた新しい銭湯は最大5年、古い規則で作られたり特に施設に問題があり早急な改善が必要な銭湯は期限2年にしたようで、施設に問題のある銭湯も多くある中で、施設の刷新と衛生環境向上を狙ったようです。
この公衆浴場営業許可の更新制度が、実際どのように運用されていたか、またこの制度がいつまで続いたのか、それが1960年代後半から起こる県内の銭湯の急激な減少との関連性があるのか、その点についてはさらなる調査と考察が必要です。






○沖縄県の銭湯の衰退

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出典:沖縄県公文書館  左:1969年。那覇将校婦人クラブの方が石嶺児童園に瞬間湯沸し器を寄贈している。  右:1967年。新築された琉球大学男子寮のシャワー室を視察する琉球列島米国民政府と琉球大学の関係者

1965年(昭和40)の311軒をピークに沖縄県の銭湯は急激な勢いで姿を消していきます。
その理由についてきちんと正確に語られることはなかったですが、全浴連三十年史の中で沖縄県の銭湯経営者の1972年に書いた文章にその理由に言及したものを見つけたので、引用します。

 陳情書(要点)
 全流浴場業界に於きましても本土復帰の準備作業に取り組んで居りますが、復帰の期待より不安が先に立ち、二〇〇軒有余の業者が心配して居ります。転廃業してゆくその原因をかいつまんで見ると、次の通りだと考えられます。

一、極く便利な瞬間湯沸の出現普及に依り、銭湯の利用者が激減した。

二、住宅の新築及び改築の場合は殆どが自宅用風呂を造る。

三、諸物価は年々高騰を続け、生活費は嵩む一方て、収入と出資のつり合いが保てない。

四、莫大な資本投入と稼働時間の長い割に、利潤が余りにも少な過ぎる。

五、浴場は絶えず湯気発生のため、普通の住宅等に比べて施設が長持ちせず、修理補修が多くその他、ボイラー、煙突等の取り替え等、多額の費用が必要であり、私達の調査範囲で一日の入浴人口は次の通りであった。
 ①鹿児島市で五〇〇名、②大阪で六〇〇名、③東京都で八八〇名、④沖縄では凡そ七〇名前後と推定されております。

『全浴連三十年史』 P312 引用



今でこそ、銭湯は儲かる商売というイメージはあまりないですが、昭和30年代40年代までは日本本土では、銭湯は開店すれば大勢の客が来る、確実に儲かる商売の一つでした【銭湯黄金期】。だが、沖縄の場合、入浴客数が同時期の本土の銭湯の10分の1程度と、収支のバランスの悪さや経営基盤の弱さがあったようです。それにこの後、1970年代に起こったオイルショックなどの影響で、沖縄の銭湯が湯沸しの燃料として使っていたB重油の値段の高騰がさらに追い打ちをかけました。
前述したように沖縄の銭湯経営者の多くが地元出身であり、ほとんどの浴場業者が専業ではなく兼業していたとの記録もあり、転廃業へのハードルが低かったことや、東京や関西のような銭湯同業者間での繋がりが薄かった事なども影響した可能性が考えられます。また、県内の銭湯の分布には偏りがあり、1957年(昭和32)の公衆浴場法改正時の記録では、その当時の那覇・真和志の両市内の浴場68軒のうち、35軒が隣湯の350メートル以内にあったそうです。そうした銭湯の乱立も、急激な減少と関係があったかもしれません。
上記のような様々な理由があり、全国的には1970年代後半(昭和50年頃)から起きる銭湯の衰退期が、沖縄では他の地域よりも早く1965年(昭和40)以降から、急激に銭湯の閉店が起こったと考えられます。


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出典:全国浴場新聞・昭和47年6月号  本土復帰後、全浴連総会に初めて参加した沖縄県の銭湯経営者の代表。挨拶でも現状の厳しさと本土復帰への期待がうかがえる。

1963年(昭和38)に銭湯の同業者団体である沖縄県那覇市公衆浴場業組合(任意)が設立され、各市町村単位での組合支部結成の動きが起こり、1970年(昭和45)に全流公衆浴場業組合連合会に改組した。その後、本土復帰に伴い、1972年(昭和47)7月に沖縄県公衆浴場業環境衛生同業組合が設立された。それまで米ドル(セント)だった入浴料金も日円読替え(レート:1ドル=305円)で大人五十四円、中人四十七円、小人三十六円、洗髪十一円となった。

本土復帰による行政の変化や公衆浴場組合の結成も県内の銭湯には強い追い風にならなかったようで、他県の銭湯や浴場組合から資料を取り寄せ対策を検討したり、行政に対して燃料費や設備更新の助成金の要望、入浴料金の改定要請、老人無料入浴事業など様々な努力を行ったようだが、前述した問題の根本的解決には繋がらず、1970年代、80年代、90年代と沖縄県の銭湯は減り続けました。






○沖縄県の銭湯の現在

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現在営業している沖縄県内の銭湯は、沖縄市の『中乃湯』のみになりました。

お客さんは大都市圏の銭湯と比べて決して多くはないですが、営業中はほぼお客さんが途切れることはなく、地元の方にこの中乃湯が愛されていることを感じました。
中乃湯のシゲさんは、「内地の人が時々来てくれて、とても助かっているよ」と言っていました。
実際に中乃湯に入ってみると、その独特の建築様式もそうだが、玄関の方から脱衣所を通過して浴室まで流れてくる『風』が思いのほか心地よく、沖縄の銭湯独特の入浴ができました。前のベンチで休んでいると話しかけてくれたり、お菓子くれる中乃湯の常連さんの優しさなど、確かにここでしか味わえない体験がありました。

皆さんも、中乃湯に行って、ぜひ沖縄の銭湯を体験し、シゲさんや常連さんとユンタク(おしゃべり)楽しんでください♨


中乃湯 の営業情報
住所:沖縄県沖縄市安慶田1 【 地図 】  
電話:
営業時間:14:00頃~19:00頃(最終受付18:00頃)   
定休日:木・日曜日
最寄り:-   駐車場あり
主な設備:湯池(湯船)、アルカリ鉱泉





◎あとがき

この記事の冒頭で書いた通り、「沖縄の銭湯」については、取り上げられる話題が毎回一緒で、まだまだ面白い未知の部分がたくさんあります。この記事をきっかけにその探求がさらに広がるといいなあと思います。

他の地域と違う沖縄の特徴としては、銭湯(一般公衆浴場)だけでなく、サウナやスーパー銭湯などのその他の公衆浴場もあまり多くないということ。この点も今後調べられたら面白いなと思っています。


今回沖縄に行った時に、入った居酒屋で「沖縄の銭湯や風呂」について調べていると言ったら、
「テレビとかで沖縄県民は風呂入らない。とか面白おかしく取り上げられる事多いけど、あれは違うから。
湯船つからないだけで、シャワーで毎日体洗ってるし、日に2,3度シャワーする人もいるから。そこは強く言いたい!!」
と笑いながら店の方が言ってました。
確かに5月上旬で気温はそこまで高くないけど湿度が非常に高く、常にじっとり汗ばむ気候。湯船で暖まるよりシャワーにザーッと汗を流したいという沖縄県民の気持ちは、数日いただけでもすごくよく分かりました(笑)


それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

銭湯LOVE♨





☆沖縄県の銭湯の軒数の推移(明治・大正・昭和・平成・令和)
作成:銭湯・奥の細道   
西暦(和暦)銭湯の軒数特記事項 西暦(和暦)銭湯の軒数特記事項
1989年(明治31)那覇で十数軒営業
(那覇湯屋営業組合)
1980年(昭和55) 82
浴場1981年(昭和56)69
1924年(大正13)92警察統計報告より(~1939)1982年(昭和57)58
1925年(大正14)841983年(昭和58)48
1926年(大15/昭元)841984年(昭和59)41
1927年(昭和2)1901985年(昭和60)36
1928年(昭和3)1141986年(昭和61)35
1929年(昭和4)1381987年(昭和62)32
1930年(昭和5)151温泉浴場11988年(昭和63)32
1931年(昭和6)154温泉浴場11989年(平成元)37衛生行政報告
より(~2017)
1932年(昭和7)152温泉浴場11990年(平成2)37
1933年(昭和8)170温泉浴場11991年(平成3)31
1934年(昭和9)173温泉浴場11992年(平成4)31
1935年(昭和10)168温泉浴場11993年(平成5)31
1936年(昭和11)154温泉浴場11994年(平成6)31
1937年(昭和12)140?←数字不鮮明。 温泉浴場11995年(平成7)30
1938年(昭和13)1451996年(平成8)27
1939年(昭和14)1441997年(平成9)26
1940年(昭和15)1940年以降データなし1998年(平成10)24
 1999年(平成11)22
1945年(昭和20)太平洋戦争終戦2000年(平成12)21
アメリカの統治下に2001年(平成13)20
1949年(昭和24)42沖縄全島で42軒。新聞記事2002年(平成14)15
 2003年(平成15)14
1953年(昭和28)琉球政府での公衆浴場法成立2004年(平成16)15
 2005年(平成17)10
1957年(昭和32)266琉球立法院会議録より2006年(平成18)10
 2007年(平成19)7
1964年(昭和39)311全浴連資料より(~1988)2008年(平成20)7
1965年(昭和40)3112009年(平成21)2
1966年(昭和41)2402010年(平成22)2
1967年(昭和42)2292011年(平成23)2
1968年(昭和43)2212012年(平成24)2
1969年(昭和44)2152013年(平成25)2
1970年(昭和45)2102014年(平成26)1
1971年(昭和46)2062015年(平成27)1
1972年(昭和47)2032016年(平成28)1
1973年(昭和48)1902017年(平成29)1
1974年(昭和49)147沖縄返還。本土復帰2018年(平成30)1
1975年(昭和50)1402019年(令和元)1
1976年(昭和51)1252020年(令和2)1
1977年(昭和52)1182021年(令和3)1
1978年(昭和53)1102022年(令和4)1
1979年(昭和54)992023年(令和5)1
 

沖縄県は前述した歴史的な経緯により、銭湯(一般公衆浴場)の推移についての一貫した記録がない為、複数の記録を接ぎ合わせて、独自に作成しました。戦前、大正から昭和初期は「警察統計報告」。戦後は、琉球政府の記録と新聞記事などから、1964年からは全浴連三十年史から、1989年からは厚生労働省の「衛生行政報告」の私営一般公衆浴場数と全浴連資料から。太平洋戦争前後はデータがないので、空白になっています。



☆沖縄県の銭湯の入浴料金の推移
作成:銭湯・奥の細道   
 西暦(和暦)    大 人中 人小 人洗髪料特記事項
1947年(昭和22)10円8円5円女3円※B円時代
 ~1957年(昭和32)
1958年(昭和33)8仙6仙4仙女3仙※ドルへの切り替え
 ~1960年(昭和35)仙=セント。米国の貨幣単位
1961年(昭和36)10仙8仙6仙女3仙
 ~1962年(昭和37)
1963年(昭和38)13仙10仙8仙女3仙
 ~1967年(昭和42)
1968年(昭和43)15仙13仙10仙女3仙
 ~1971年(昭和46)
本土復帰、沖縄返還1ドル(100セント)=305円
1972年(昭和47)54円47円36円11円
 ~1973年(昭和48)
1974年(昭和49)90円80円60円11円
 ~1975年(昭和50)
1976年(昭和51)120円85円65円11円
 ~1977年(昭和52)
1978年(昭和53)140円90円70円20円
 ~1979年(昭和54)
1980年(昭和55)200円100円70円30円
 ~2005年(平成17)
2006年(平成18)300円170円100円洗髪料廃止
 ~2013年(平成25)
2014年(平成26年)370円170円100円
 ~2023年現在
 

全浴連三十年史、全国浴場新聞のデータを基にまとめました。





☆参考文献

『警察統計報告』  内務省警保局
『衛生行政報告例』「公衆浴場数」  厚生労働省
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990年
『全国浴場新聞』  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 
『KOZA BUNKA BOX 第14号』  沖縄市総務部総務課 市史編集担当 2018年
琉球政府立法院の議事録
公衆浴場法

☆スペシャルサンクス

沖縄県公文書館
沖縄県、戦争中、アメリカ統治下などの貴重な資料や写真を多数保管。一部はホームページからも見たり、検索出来るのでぜひ見て欲しい。史料の玉手箱や~!! 閲覧室では、司書さんに今回の記事での新しい発見に繋がる史料の存在や調べ方を教えていただき、大変感謝しております。建物もかっこいい。

沖縄B級ポータルDEEokinawa
現在営業中の中乃湯を始め、近年廃業した日の出湯、ときわ湯、旭湯の紹介記事や、今回の調査の一つのきっかけにもなった「沖縄の風呂屋はどこに消えたのか」の特集記事などは、必見!銭湯以下の沖縄関連の小ネタも面白い!今回の調査でも様々な情報やアドバイスをいただき、大変お世話になりました。

沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート
過去の「沖縄市のユーフルヤー」展をやっていたので、今回資料をいただき、お話しを伺わせてもらいました。沖縄市内の風呂屋の情報はもちろん、それ以外の沖縄市の歴史や展示は非常に見所が多く、基地のまち「コザ」を知る事ができました。




◎【新説】 沖縄県の銭湯・風呂屋(ゆーふるやー)の歴史

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6/26 第1回 おふろ屋会議 2023 in 大阪 開催決定!!

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すごい銭湯イベントが動き出しました!!

去年、学生と銭湯大学の取材調査で、大阪の銭湯経営者の若手リーダーでもある森川晃夫さん【淡路町・昭和湯、For-U(湯)】に話しを聞きに行った時でした。
雑談の中で「コロナ落ち着いたら、全国から人集めて銭湯イベントやりたいねえ・・・銭湯の人だけじゃなくて、銭湯が好きな人、関連の業者さんとかも集めて、楽しく!」 その時は、銭湯サミットとか銭湯会議なんて言っていましたが。

その数ヶ月後、森川さんから、大阪の若手銭湯経営者による実行委員会を立ち上げて、実際にやることになった連絡がありました!!

その名も「第1回おふろ屋会議 2023 in 大阪」♨♨♨

開催日は、2023年6月26日(月曜)に決定しました!!


厳しい状況が続く銭湯業界にあって、銭湯経営者やそこで働く方の情報交換だけではなく、関連業者さんや銭湯が好き・興味ある人達が集まって、一緒に飲食したりひとっ風呂浴びたり語ったりして、交流を深めてコミュニティを広げられるイベントにしたいと考えています。
わいわいやって日々の疲れを癒やしたり、そこから新しいアイディアや人の繋がり、コラボ企画なんかも生まれたり、これからの銭湯について考える機会になればと思います。


全国の銭湯経営者また働く人達、関連業者さん、銭湯が好き・興味がある人達 
ぜひエントリーしてみてください


※このページの後半にある主催者の申し込みフォームからエントリー可能です。

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 第1回おふろ屋会議 2023 in 大阪 

○おふろ屋会議実行委員あいさつ


拝啓
草木萌動の砌、貴社におかれましてはますますご清栄の段、心よりお慶び申し上げます 。平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。さて、このたび「第1回おふろ屋会議 2023 in 大阪」を下記日程で開催する運びとなりましたので、ここにご案内申し上げます。

「第1回おふろ屋 会議 2023 in 大阪」は、銭湯若手経営者や銭湯経営にご尽力頂いているパートナー企業様、銭湯の魅力発信等に多大なるお力添えを頂いている銭湯サポーター様などとの交流を深め、これからの銭湯のあるべき姿を自由な視点・発想で語り合い、銭湯経営における新たなアイデアや気づきを育んでいくことを目論んでいます 。

ご多用のところ誠に恐縮に存じますが、万障お繰り合わせの上、ご来臨賜りますよう謹んでお願い申し上げます。
敬具


◎イベント概要

○イベント名  :第1回おふろ屋会議 2023 in 大阪

○開催日時  :2023年6月26日(月) 第1部13:00~  第2部17:00~
           ※第1部、第2部のみの参加も可能です。

○会場     :YOLO BASE  (大阪市浪速区恵美須西3丁目13-24)  <HP>
          入船温泉 (大阪市西成区萩之茶屋1丁目6−3)   <HP>
          ※アクセスや地図はページの後半に。
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○内容     :第1部/13:00~
          おふろ屋トーク
          おふろ好き芸人お笑いライブ
          おふろ屋アトラクション
          おふろ好き学生による「銭湯ビジネスアイディアコンテスト」
          ※今後、変更の可能性あり
       
          第2部/17:00~
          銭湯親睦会
          ※会場近くの入船温泉を予定しています。

(プログラム及びタイムスケジュールは都合により変更になる場合がありますので予めご了承ください。) 


○参加費    :無料 (会場内ドリンク・フードは有料、一部無料ケータリングも有り)
          日本初の銭湯ブルワリー「上方ビール」が特別出店!
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○持ち物    :当日は名刺をご持参ください


○申し込み方法:下記の 主催者のWeb フォームよりお申込みください。

 第1回 おふろ屋会議 2023 in 大阪 申し込みフォーム 

○申し込み期限:2023 年 5 月 26 日(金) 23:59 迄


○「第1 回 おふろ屋会議 2023 in 大阪」に関する各種お問合せ先
主催: 第1 回 おふろ屋会議 2023 in 大阪実行委員会
担当: 森川 ・ 國田 Email ofuroya-mtg.osaka@cipse.jp


○会場へのアクセス・地図
・YOLO BASE  (〒 556-0003 大阪市浪速区恵美須西3丁目13-24)   新今宮駅から徒歩約5分
・入船温泉 (〒557-0004 大阪府大阪市西成区萩之茶屋1丁目6−3)   新今宮駅から徒歩約3分



・最寄り駅   : 新今宮駅(南海線/JR)

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※お車でお越しになられる際はYOLO YOLO BASEBASE内または近隣の駐車場(いずれも有料)をご利用ください。



◎6/26 第1回 おふろ屋会議 2023 in 大阪 開催決定!!

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♨『銭湯大学』開校します♨ 銭湯の自由研究から卒業論文まで

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※画像は本文とは直接関係ありません。

《重要なお知らせ》

・銭湯で卒論書こうとしてる学生の為に、入門となる知識や参考文献の紹介記事を新たに書きました。
こちらの記事も、銭湯や公衆浴場を研究する上での参考になると思います。
→ 【銭湯大学】 銭湯・公衆浴場研究入門/参考文献紹介

令和5年度(2023年度)の受け付け開始します。詳しい内容や連絡先は下記の文章お読みください。




♨『銭湯大学』♨
「銭湯(公衆浴場)の研究、論文を書きたい方のお手伝いします。」



銭湯に関する研究、調査や大学生の卒業論文のお手伝いや
学生に限らず、一般の方の相談を、原則無償でお受けします。
銭湯(公衆浴場)に関するものであれば、どんなテーマでもOKです。
銭湯の方、浴場組合、自治体、博物館の方もOKです。

もちろん、本当の大学でもないですし、金をもらうわけでもないので
大学の授業としてある「卒論指導」のような
きめ細かいサポートはしませんし、出来ません!
当たり前ですが、研究・調べる・書くのは本人です。



今年でこの取組も8年目ですが、過去関わった学生の論文のテーマとしては
「災害の中での銭湯」 「若い担い手による銭湯運営」
「公衆浴場での災害時の水利用」 「銭湯の存続の可能性や社会的な役割」 「地域コミュニティとしての銭湯」
「明治~昭和期の大阪の銭湯について」 「銭湯の継続的な経営について」
「親族外承継による銭湯事業に見る 銭湯資産保全とレクリエーション利用促進の関係」
「銭湯利用行動の時空間的展開 」 「東京 23 区の銭湯における 災害時利⽤の現状と課題に関する研究」

熊本大学、同志社大学、立命館大学、東京都立大(首都大学東京)、神戸大学、九州大学、京都大学
工学院大学、法政大学、兵庫県立大、愛媛大、信州大 等があります。

銭湯をテーマに卒論書いている学生が集まって
研究の進歩状況や情報交換をする「特別講座」を行いました。
今後も、そうした取組や、卒業生との情報交換などを行いたいと考えています。



近年、テレビや新聞、雑誌、WEBメディアに
『銭湯』が取り上げられる機会がとても増えました。
その結果、卒論やレポート等の論文に取り上げられる機会も増えていると思います。

ですが、現状として
「銭湯(公衆浴場)」をメインテーマに研究している教授や研究者をあまりおらず
そうした方の指導やアドバイスを直接受けるのは、なかなか難しいです。
大学の教授や准教授とはいえ、同じ分野の中でも一つ専門が違えば
ほぼ一般人と同レベルの知識しか持ってない事が普通です。
それに日本で出版されている銭湯関連の書籍の多くが
銭湯愛好家が書いた「お気に入りの銭湯紹介本」で、建物や入浴紀行文メインな物です。
先行研究や論文に必要なデータや資料は圧倒的に不足しているのが現状です。

この「銭湯・奥の細道」 (→過去の活動) を立ち上げて5年以上が経ち、
全国の銭湯の情報を調べ実際に訪ねたり、
銭湯に関する資料や書籍を読んだり、
そこで働く方、入りに来ているお客さん、浴場組合の方と話したりする機会も多くありました。
その結果、たぶん普通の人よりは、「銭湯」の現状や情報に詳しくなったと思います。
その知識や経験を生かし、若い方の為に、こういう活動をしてみようと考えました。
たぶん、他では一切やっていない活動だと思います。


銭湯について、人より詳しいとはいえ、
銭湯に関する事何でも知ってる訳ではありません。知らないことの方が多いです。
スーパー銭湯、温泉、サウナ等についてもまだまだ勉強中です。

出来るのは、そのテーマだったら、こういう本や資料があるよ。
それ調べたいなら、ここかこの人に聞くといいよ。
その程度の“あくまでアドバイス”です。

役に立つまともな意見が返ってきたら、ラッキー!くらいの期待度でメールしてください。
もし返信来なくても決して怒らないで。
また、話を聞いた上で、「そのテーマで調べるの難しいと思う」
「それなら銭湯とは別のをテーマにした方が良いと思う」と、アドバイスした事もあります。

本業の仕事もあるので、すぐには返事できません。基本、メール等の返信は遅いです。
だから、「来週提出のレポートを銭湯をテーマに書きたいで、今すぐ教えてください」なんて
メールは絶対してこないでください!


メールをする際は
・件名「銭湯大学」
・自分の氏名と所属。
・どういうテーマで研究・調査したいのか?(銭湯+ 分野、どういう切り口、地域等々・・・)
・なぜそのテーマを選んだか?
・現時点でどれくらい調べてるか?(集めた本、資料等・・・)
くらいは最低限書いてください。

送信先 
1010meguri@gmail.com




なぜこんな活動を始めるかというと
ある大学生の銭湯(公衆浴場)というテーマの卒論の手伝いしたり
大学の銭湯サークルに合宿先の銭湯を紹介したり
銭湯のミライとは?」の記事を読んだある会社の方や博物館学芸員の方から相談受けたりしました。
その事で、自分自身の勉強にもなったり、知識や人の繋がりを広げるきっかけにもなりました。
どうしても、完全に一人でサイトの運営やってると、興味や見方が偏るっていくことを感じるので
そういう点を補完する意味でも自分にとってプラスになると思ったので。
自分自身がさらに学ぶきっかけが欲しいのもあります。

どれくらい反応があるかは未知数ですが
本気で銭湯の事を考えている若い人の力にはなりたい。と思うので
よろしくお願いします。


| コラム的なもの | 10:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る

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東京都の銭湯の入浴料金改定のお知らせ

ここ最近、まちの銭湯の入浴料金が上がる。というニュースがよく流れますね。

多くのニュース解説では、以下のような説明がされます。

〇〇県では、銭湯の入浴料金が×月から大人500円に値上げされることになりました。

まちの銭湯(一般公衆浴場または普通公衆浴場)は、地域住民の日常生活において必要な施設として、“物価統制令”によって都道府県ごとに入浴料の上限価格が決まっています。なので、入浴料金を自由に上げられません。一方、スーパー銭湯や日帰り温泉、サウナなどの「その他の公衆浴場」は、自由に入浴料金を決められます。
銭湯の入浴料金は、県の審議会などで上限価格改定について審議され、知事が決定します。
戦後直後にできた物価統制令の対象は、現在この銭湯の入浴料金だけです。



ここまで聞いて、おや?と思った方多いのではないでしょうか。
なぜ戦後の混乱期に制定された法律が、令和の現代にまだに残っているのか?
しかもその対象は、銭湯だけ??
日常生活に必要なものは、お米とかパンとか水とか他にもあるんじゃない???
生活に必要というが、私は家に風呂あるんで、銭湯ほぼ行かないです・・・
そもそも、私が住んでいる町、銭湯ないんですけど・・・


それらの意見はごもっともです!
ですが、その疑問にマスコミのニュースの中では答えてくれません。
ニュースに出てくる当の銭湯の方も、「経営苦しいです」「銭湯どんどん廃業しています」は必ず言うけど、上記の疑問にはなぜか答えてくれません。

では、なぜ銭湯の入浴料金は決まっているのか?
なるべく分かりやすく解説します。かなり長い記事になってしまいますが、お付き合いください。

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目次
1.物価統制令とは? 物価統制令廃止問題
2.なぜ、物価統制令廃止に、銭湯業界は反対したのか?
3.公衆浴場確保法の成立
4.物価統制令は、銭湯の「手首を縛る縄」であり「命綱」でもある
5.むすびにかえて



※関連記事 
→ 全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和5年2023年最新版)
→ 銭湯とはなにか? 銭湯・公衆浴場研究入門





なぜ、銭湯の入浴料金はいまだに「物価統制令」により決まっているのか?

それは、多くの銭湯にとって、物価統制令が
「手首を縛る縄」であると同時に、自分達の「命綱」でもあるからです。


簡単に言ってしまうと、「物価統制令」は銭湯の入浴料金を制限すると同時に、
銭湯の営業を守る制度や法律、行政からの補助や助成金、水道料金や税の減免とも大きく関係しています。

その理由や銭湯と物価統制令の歴史、法律の問題などを、これから見ていきましょう。


1.物価統制令とは? 物価統制令廃止問題

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銭湯の入浴料金表(埼玉県)

「物価統制令」とは、昭和21年(1946年)3月太平洋戦争が終わった直後に公布施行された法律です。
終戦直後の混乱と物資不足で、物の値段は跳ね上がり、世の中は超インフレ状態でした。そうした中、食料や様々な物の値段(物価)の高騰や暴利、不正取引を抑える、取り締まるために物価統制令は作られました。
その後、日本が戦後の経済発展を遂げていく中で、物価統制令対象だった物のほとんどが適用から外されていきました。代表的な例として昭和47年(1972年)の米価、お米の小売価格自由化などがあります。
そして、令和5年(2023年)現在、唯一対象として残っているのが銭湯(公衆浴場)の入浴料金です。

銭湯の入浴料金は、都道府県の審議会などで上限価格改定について審議され、知事が決定します。
審議会は、県内の銭湯事業者(公衆浴場組合)の要望によって開かれ、銭湯の収支状況、軒数、利用者数、燃料価格などのデータを基に、学識経験者、利用者代表、銭湯事業者代表、行政で行われます。「公衆浴場入浴料金審議会」などの名称で行われている事が多いです。入浴料金の他に、様々な銭湯に対する行政の施策などについて話し合われる場合もあります。


実は、あまり知られていませんが
物価統制令自体、昭和40年代(1965年~)の時点でもう法律としてはその役目が薄れ、主管する当時の経済企画庁では、物価統制令そのものを廃法にすることが検討されていました。

ですが、当時の銭湯業界はこれに反対。(正確には一部賛成なのですが、詳しい説明は次の章で)
昭和40年代はまだ風呂のない家庭も多かったので、日々の入浴料金が上がるのを不安視した消費者代表なども反対したようで、この時の物価統制令の廃止はなくなり、銭湯料金など一部の品目を対象に残して存続されることになりました。




2.なぜ、物価統制令廃止に、銭湯業界は反対したのか?

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「全国浴場新聞 昭和44年9月号」より

ここ最近の銭湯の燃料高騰のニュースでも、「入浴料金を決まっていて上げられない」と嘆く銭湯の方がよく登場しますし、自由価格の方がいいじゃない?と思いますが、ここには難しい問題がありました。

昭和42年(1967年)、物価統制令が廃止の方向性が具体的になり始めた頃、銭湯や公衆浴場組合(銭湯の同業者団体)の中でも、この問題はかなり議論され、賛成・反対含め様々な意見が出ました。

昭和30年代(1955~1964)は、銭湯業界も戦後復興から隆盛を極めた「銭湯黄金期」でした。当然景気も非常に良く、銭湯経営者の中でも、入浴料金を自由化すべきという気運が高まっていました。ですが、昭和40年代(1965~)に入ると、廃業する銭湯も増え始め、業界全体が安定・斜陽期に入り始めます。その時期に物価統制令廃止の問題がでたのです。

もし物価統制令が廃止になり、入浴料金の自由化・距離制限の撤廃になると、
同時に、既存の銭湯を守っている多くの制度 → 銭湯の乱立防ぐ為の「銭湯間の距離制限」、銭湯の経営安定の為の「行政からの補助」なども一緒になくなるのではないか・・・
終戦後に自分達が苦労して作った銭湯業界の基盤や、ルール、秩序が崩れるのではないか・・・
新規参入してきた銭湯がすぐ近くに出来て、自分達の銭湯のお客や利益を奪われるのではないか・・・
結果、自分達の銭湯の営業や立場が危うくなるのではないか・・・

物価統制令廃止によるメリットよりも、上記のような様々な強い危惧や不安が銭湯業界に広がったようです。

入浴料金自由化については認めるという形で銭湯業界の意見が一応まとまった時期もありましたが、合わせて撤廃が検討されていた「銭湯間の距離制限」
(今ある銭湯の近くには新しい銭湯は作れない・営業出来ないという適正配置規制。※現在も残っている)がなくなる事への銭湯業界の反発が非常に大きかった事が、当時の資料から読み取れます。

銭湯業界内、国などの議論は継続して行われ、昭和46年(1971年)頃に現状の制度を変えず維持する方向で一応決着(?)しますが、時代や公衆浴場の役割の変化により、その後も物価統制令廃止、制度の見直しは度々国や都道府県などから出ていますが、その度に銭湯業界の強い反対もあり、変わらず現在に至っているわけです。


余談ですが、
今でこそ、「銭湯のご主人」といえば番台フロントにいる温和なイメージを持たれる方が多いかもしれませんが、
当時の銭湯経営者は、戦後の混乱期に、北陸・新潟などの地方から、文字通り裸一貫で都会に出てきて、下足番や燃料集めなどの下働きから始め10年以上寝る間もなく朝から晩まで働き、やっと自分の銭湯を持って一国一城の主になった方達が多くいました。当然自分の力で成功したというプライドがあるし、血の気も多い。
当時、公衆浴場に関する様々な問題、入浴料金、銭湯の未来について、銭湯同士や公衆浴場組合内で意見を言い合い活発に議論がされていました。現在では考えられないが、銭湯が行政や警察とやり合ったり、自分達の主張を伝えるためにデモや決起大会、ストライキ(銭湯の一斉休業)も行っていました。
現在もその気質は少し残っていますが、子分と親分、同郷や同族でのつながりも強い業界です。当時の銭湯経営者の一代記を読むと、ドンパチこそしませんが、『仁義なき戦い』を連想させる部分もあり、非常に興味深く面白いです!
そうした銭湯経営者の一致団結した運動や交渉の結果、行政からの様々な施策、予算、融資などを勝ち取って来たのが、あまり語られない昭和の「銭湯の歴史」です。




3.公衆浴場確保法の成立

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「全国浴場新聞 昭和56年6月号」より

昭和57年(1982年)4月に、銭湯と物価統制令の関係を語る上で大きな法律が施行されました。
「公衆浴場の確保のための特別措置に関する法律」(以下:公衆浴場確保法)です。

公衆浴場確保法を抜粋要約すると
「公衆浴場が住民の日常生活において欠くことのできない施設であるとともに、住民の健康の増進等に関し重要な役割を担つているにも、かかわらず著しく減少しつつある状況にある。国及び地方公共団体は、公衆浴場の経営の安定を図る等必要な措置を講ずることにより、住民の公衆浴場の利用の機会の確保に努めなければならない。」

と書かれています。

昭和から現在に至るまで、行政(国や都道府県、市区町村)は、銭湯の数と住民の入浴機会の確保の為に、まちの銭湯(一般公衆浴場)に対して、様々な補助・助成、税金面での優遇をしています。その法的根拠となっているのが、この「公衆浴場確保法」なのです。


行政からの銭湯(一般公衆浴場)に対する施策としては、
銭湯に関わる費用の補助金(釜ボイラーの更新、設備・施設の修繕・改修、燃料費など)、銭湯の様々な事業への助成金、割安な上下水道料金、固定資産税の減免、国民生活金融公庫・銀行などからお金を借りた場合の利子補給などがあります。

ここで注意しないといけないのは、行政からの銭湯に対する施策は、都道府県またその市町村によって、その額や対象事業が大きく違います。上記に上げた内容についても、銭湯の減少や自治体の財政悪化などの理由で、行われていなかったり、以前に比べて対象事業や金額が減っている自治体も多いです。
そうした中で、全国で一番行政からの補助が手厚いのは東京都、特に23区内の銭湯です。
なぜここ最近都内の銭湯のリニューアルが多いのか?それは銭湯に対する補助金が大きく関係しています。
銭湯に対する行政の補助は、上記のように地域差が大きくあるためか、業界内でタブー視されているのか、銭湯の方はこの件についてほとんど話さない、話したがらないで、マスコミも触れないし、あまり一般には知られていません。


公衆浴場確保法に話を戻すと、第二条 定義として重要な文章が書かれています。
この法律で「公衆浴場」とは、公衆浴場法第一条第一項に規定する公衆浴場であつて、物価統制令第四条の規定に基づき入浴料金が定められるものをいう。

まちの銭湯「一般公衆浴場」は、入浴料金の上限価格が決められている代わりに、様々な行政の補助が出ています。一方、スーパー銭湯やサウナなどの「その他の公衆浴場」には、自由に価格が設定できる代わりに、行政補助や税制優遇はほぼありません。
その両者を分けているのが、『物価統制令』なのです。
なので、物価統制令がなくなれば、同時に公衆浴場確保法などの銭湯に関連する法律や制度の根幹が大きく揺らぐ事になります。


2023年現在、全国的な燃料費高騰を受け、多くの自治体で公衆浴場に対する緊急の補助金が出ています。
ですがその条文には「一般公衆浴場(普通公衆浴場)」「物価統制令に基づき入浴料金の上限額が定められている公衆浴場」という一文が必ず入っています。なので、燃料費高騰の緊急補助金は、銭湯(一般公衆浴場)にのみ出て、スーパー銭湯やサウナなど(その他の公衆浴場)には出ていません。


今回は記事があまりに長くなるので、深くは触れられませんが、重要な点をいくつか。

公衆浴場確保法の昭和57年(1982年)施行と平成16年(2004年)の一部改正によって、
公衆浴場に、日常生活に保健衛生上必要な「入浴」の他に、『健康増進』と『地域コミュニティーの拠点』としての役割が追加されたのもポイントです。

銭湯の同業者団体である「公衆浴場業生活衛生同業組合(縮めて、浴場組合と呼ばれる事が多い)」と、また銭湯以外の理容、美容、クリーニング、旅館、飲食店、喫茶店、食肉、興行場などの10の生活衛生同業組合の存在にも触れなければなりません。この組合は、中小企業の多い業界で、過当競争が起きないように、正常な経営が行われ、業界の振興、利用者の利益などを目的とした団体です。
一般から見ると、自由競争を阻害している、独占禁止法違反ではないかと思うような、業界のルールや規制、動きが容認されていたり、また行政の施策がされていたりするのは、この生活衛生同業組合の存在とそれに関する法律があるからです。
公衆浴場組合は、銭湯同士の情報交換・繋がり、同業者間のルールや規制、行政からの補助金、銭湯のイベント、入浴料金の審議会などに大きく関わっています。

この銭湯と物価統制令の問題について考える場合、銭湯と政治(特に自民党)との関係も興味深い点です。
昭和25年(1950年)の銭湯間の距離制限を盛り込んだ公衆浴場法の一部改正や、昭和57年(1982年)公衆浴場確保法には、自由民主党(旧民主自民党)の国会議員が大きく関わっており、ともに議員立法によって成立しています。
銭湯業界は、戦後一貫して自由民主党との関係が深く、銭湯業者の大会などでは自民党の厚生労働族の大物議員が挨拶に来ることも珍しくないです。(もちろん、個々の銭湯で働く人全てが、自民党支持者というわけではありません)




4.物価統制令は、銭湯の「手首を縛る縄」であり「命綱」でもある。

新・公衆浴場数グラフ2

昭和45年(1970年)頃から、銭湯は新規開業より廃業の方が多くなり、斜陽期に入り始めます。
家風呂の普及率はどんどん上がり、2023年現在は全国的にほぼ100%に近づきました。
銭湯「一般公衆浴場」は減り続ける一方で、スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設など「その他の公衆浴場」は増え、現在ではその数は完全に逆転しています。
そうした中で、銭湯業界は自分達の銭湯を守るため、新規開業や参入しにくい制度を維持し、規制や制限の代わりに行政からの補助を受けるという方針を取りました。その結果、新規参入しにくく規制と制限が多い経営の自由度が低い銭湯(一般公衆浴場)は半世紀以上減り続けました。既存の銭湯は、民間企業でありながら、行政の補助に頼る体質の経営、業界になってしまったように見えます。
1982年の公衆浴場確保法の成立は、その流れが確立した大きなポイントだったと思います。

1982年以後の銭湯の状況はどうなったかというと
確保法の効果がなかったとは言いませんが、前述の通り銭湯が増えない(減り続ける)制度の根本は変わらないままなので、全国的に銭湯(一般公衆浴場)の廃業と減少は止まらず、人口が多く行政補助も手厚い東京都23区などに代表される都市部や温泉地以外の地方では、まちの銭湯は大半が消えたもしくは消えかかっていると言っていい状況です。人口10万人20万人越えている市でも、まちの銭湯(一般公衆浴場)は1軒もないという所が珍しくないです。

戦後から長年続く行政の銭湯に対する施策や補助も、効果のある適切なものだったのかは疑問が残る部分です。


この記事の最初で述べた一文、覚えていますか?

物価統制令は、多くの銭湯にとって、
「手首を縛る縄」であると同時に、自分たちの「命綱」でもある。


自分の店の商品(入浴料金)を、自由に価格を決められないというのは店舗運営、経営では手を縛られているようなものです。ですが、その手首を縛る縄は、自分の体を支える命綱(行政からの補助や距離制限など)とつながっているために、多くの銭湯に物価統制令、行政による統制価格は現在も必要なのです。

また、現在全国の多くの銭湯が施設設備の老朽化、経営者の高齢化の問題を抱えています。
昭和30・40年代頃の銭湯にまだ体力があった時期ならまだしも、いま物価統制令という綱を切るような大きな変革すれば、入浴価格を上げるなど経営の自由度は上がっても、自分の体すら支えられない多くの銭湯が崖を転がり落ちていく可能性が高いです。
なので、今ある銭湯また公衆浴場組合は、どんなに経営が厳しくても(当たり前ですが儲かっている銭湯も一定数はあります)、ここ数十年間同業者が減り続けていても、物価統制令を廃止しよう自由価格への移行しようという制度改革の動きや本格的な議論にすらならないのは、そういう銭湯業界の事情があると思われます。

先日、あるニュース番組で「銭湯と物価統制令の関係」について取材したら、都内の銭湯50軒以上が取材NGだったらしい。
どの銭湯も、大なり小なり、制度、銭湯業界の問題点は認識していると思います。なにしろ、銭湯本体はもちろん、関連業者も減り続け、銭湯の営業を続けるのが困難な地域が出始めたり、すでに公衆浴場組合が解散した県もあったりします。銭湯業界全体の衰退がここ数十年間続いていることは誰の目にも明らかです。現状の制度が続く限り、全国の銭湯(一般公衆浴場)は今後も間違いなく減り続けるでしょう。
ただ、行政の補助や水道料金減免など、今ある銭湯が優遇されている制度なので、議論や制度見直しが始まれば、そうした行政からの優遇政策や特別扱いがなくなる・減る可能性があります。数年後の自分の銭湯の事を考えれば、未知の海原へこぎ出すよりは、問題はいろいろあっても現状の制度を維持する方がベターと考える銭湯が多いのも理解出来ます。取材NGの銭湯からすれば「寝た子を起こすな」という心境なのかもしれないです。


物価統制令と銭湯・公衆浴場に関する法律や制度は、間違いなく時代遅れで、
現代の入浴事情、全国の公衆浴場の状況や地域住民のニーズにも合っていない部分があるのは明らかです。


あまり知られていませんが、前述した銭湯間の距離制限や公衆浴場確保法については、その成立当時から、憲法違反ではないか、一部の業種だけ保護する法津は問題だ、とする意見が法律学者や政府内、内閣府法制局でありました。その為、国会議員提案の議員立法という形で成立しました。今より風呂のない家庭が多く、銭湯の社会的重要度がはるかに高かった昭和の時代ですら、法律としての問題点が指摘されてたのです。

日本中どの分野にも規制緩和が進み、市場競争を促進しようとする現代の流れの中で、数ある入浴・温浴施設(公衆浴場)の中で、銭湯という一部の公衆浴場業者だけ、行政の施策を受ける制度への違和感。また、行政の補助や税制優遇も、銭湯の数の維持・確保の問題の根本的な解決には機能していないという現実。銭湯に対する施策が「公共の福祉」や「住民の利益」に本当の意味で繋がっているのかという部分には議論の余地があると思います。





5.むすびにかえて。

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厚生労働省 『今日から実践!収益力向上にむけた取組みのヒント 公衆浴場業編』 より

ここからは、個人的な意見を中心に書いていきたいと思います。

上記のグラフは、厚生労働省が作った資料に入っていた20代~60代の一般消費者4万2千人に対する調査での結果です。生活に必要とされている「銭湯」より、「スーパー銭湯やスパ」の方が一般消費者の利用率が高いというか、驚きというか納得というか、個人的には結構考えさせられるデータでした。

銭湯関係ではよく、「銭湯」と「スーパー銭湯」を分けて語りたがる人いますが、実際は、料金的にも、施設的にも、利用者も、求められる役割も、その差は年々少なくなっていると思います。明確に両者は分けるのは実は困難です。

昭和・平成・令和にかけての人々の生活や住環境、時代の変化により
『入浴のみに特化した:まちの銭湯(一般公衆浴場)』から、『様々な温浴を楽しむ:スーパー銭湯、日帰り温泉、サウナ、スポーツ施設など(その他の公衆浴場)』へ。人々が求めるニーズも、銭湯・公衆浴場の役割も変わったと思います。
どちらが上とか下とかではなく、両者ともそれぞれ良い部分や魅力的な部分があります。

2020年2021年の緊急事態宣言の際、まちの銭湯(一般公衆浴場)は生活に必要な施設として営業が許されました。一方、スーパー銭湯や日帰り温泉、サウナ(その他の公衆浴場)は娯楽余暇を楽しむ施設の扱いで、休業を余儀なくされました。あの時、日常的にスーパー銭湯などを利用していた地域住民はどうしたのでしょうか?全国にはすでに銭湯(一般公衆浴場)がない地域が多いです。
住民にとっては一般公衆浴場、その他の公衆浴場なんて区分は関係ありません。両方ととも地域の大事な風呂・入浴施設です。地域住民の日々の生活を支える施設になっています。

個人的には、銭湯を含め公衆浴場関係の法律や制度、区分などの見直しが、
10年後20年後50年後の銭湯・公衆浴場の未来を見た場合、必要ではないかと思います。


公衆浴場組合による、銭湯業界内の横並びのルールや規制が現在も数多く存在し、結果として個々の銭湯の自由な営業が阻害されているのではないか、という事は以前から言われてきました。全ての都道府県ではないですが、入浴料金(上限価格なのに値下げも許さない)や営業時間の縛りなどがその一例です。
最近、東京都内で新規参入した会社運営の銭湯(一般公衆浴場)が公衆浴場組合に入れてもらえなかった件や、関西のある市でまちの銭湯と地元議員が共同で銭湯の新規参入を安易に認めないように市に要望書出した件を見ると、大きな矛盾と違和感を感じずにはいられません。

「銭湯が減った」「銭湯業界がピンチ」と盛んに言われますけど、その制度や状況を作っているのは今ある銭湯や公衆浴場組合にも一因があるのではないでしょうか?
はたして銭湯の歴史や文化、地域住民の入浴機会、ライフラインを、公衆浴場組合に入っている銭湯のみが継承し守っているのでしょうか?

今ある銭湯や公衆浴場組合は、銭湯の料金や営業時間などの「多様性」を認め、また企業も含め新規参入を積極的に受け入れる業界に変わって欲しいと願います。時代は変わりました。


個人的にはまちの銭湯が大好きです。好きな銭湯のある街、お世話になった方もたくさんいます。
自分の払った税金が銭湯の為に使われている事に大きな不満はありせん。
同時にスーパー銭湯や日帰り温泉も大好きです。広い露天風呂や湯上がりのめしやビール最高でしょ!
利用者からすれば両者の分け隔てはなく、両者ともに発展し、10年後20年後50年後も残ってくれているのが、僕の考えであり願いです。




最後に、2016年熊本地震の際に取材した、地震直後毎日2000人以上の入浴支援した熊本市のあるスーパー銭湯(温泉施設)の支配人の言葉が印象に残っているので紹介します。

「この会社は、元々製糸会社だったので近隣に迷惑をたくさんかけた。地域貢献できる喜ばれる事業として風呂屋を選んだ。今回それが実現出来て、風呂屋やっていて良かったと思う。今回のような災害時も通常時も、同じ入浴という健康や生活を向上させる事業をしているのに、スーパー銭湯と一般公衆浴場で、下水道の料金の差が数十倍なのはおかしいと思う。」



非常に長文でしたが、最後まで読んでいただいて感謝です。

勘違いしないで欲しいんですが、
別に、銭湯業界批判や補助金カットを訴えたいのではありません。
特に最後の章に書かれた個人的な考えが全て正しいとは思いません。

銭湯については問題点と同時にまだ改善の余地や可能性もたくさんあると思います。
この記事が、銭湯について、より良い方向へ、みなで考え議論するきっかけや材料になればいいと思っています。

銭湯LOVE♨





○参考文献

厚生労働省  『衛生行政報告例』「公衆浴場数」  
『公衆浴場史』   公衆浴場史編纂委員会編   1972年
『全浴連三十年史』  全国公衆浴場業環境衛生同業組合 著   1990年
『全国浴場新聞』  全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会 
『30年のあゆみ』  東京都公衆浴場商業協同組合  1980年
『大浴30年のあゆみ』  大阪府浴場商業協同組合30周年記念誌編纂委員会 編  1984年
『埼浴六十年のあゆみ』 埼玉県公衆浴場業環境衛生同業組合 1985年
星野剛 『湯屋番五十年 銭湯その世界』  草隆社 2006年
木藤 伸一朗 「公衆浴場と法」  『立命館法学』 2008 年 5・6 号(321・322号)
厚生労働省  『今日から実践!収益力向上にむけた取組みのヒント 公衆浴場業編』 2019年





◎なぜ、銭湯の入浴料金は決まっているのか?? 銭湯と物価統制令の謎に迫る

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≫ EDIT

全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (令和5年2023年最新版)

 全国の銭湯(一般公衆浴場)の入浴料金は、各都道府県によって違い、県の協議会・審議会で審議され知事によって決定されています。(※スーパー銭湯や日帰り温泉は全く別の入浴料金です。)
各県庁や浴場組合、厚生労働省の情報を独自に調べて、一覧表にまとめたものです。

2022、23年は、燃料など諸経費高騰により、今後の値上げ改定を予定している都道府県が複数あります。
改定予定の都道府県は、改定後の入浴料金が表示してあります。
赤字は、近年改定した都道府県と改定する値上げ幅です。
入浴料金は上限価格であり、その地域やその銭湯によってはこれより安い値段で営業している場合もあります。
また、お得な回数券やサウナ利用で追加料金を設けている銭湯や都道府県もあります。

各県の入浴料金の比較や浴場組合内での会議の資料とかに使えるかなと思い、作りました。
リンクフリーです。もし印刷等して使う場合は、こちらに メールもらえるとうれしいです。
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◎全国の銭湯(一般公衆浴場)入浴料金と軒数 一覧表
銭湯・奥の細道・調べ(2023年4月更新)  
都道府県大人料金(値上げ幅)中人(小学生)小人(未就学児)
洗髪料改定日 軒数(組合員数)備考
全 国 3120(1865)
北海道480 (↑30)140 (0)70 (0)2022年10月 233 (113)
青 森480 (↑30)
170 (↑20)80 (↑20)2023年4月 281 (53)
秋 田460130902019年1月 14 (-)
山 形300120801995年4月  0  (-)
岩 手480170802020年4月 16 (-)
宮 城480 (↑40)160 (↑20)90 (↑10)2023年1月 6  (-)
福 島450150902018年4月 10 (5)
栃 木460 (↑40)200 (↑20)100 (↑10)2023年2月 8  (4)
群 馬400180802014年9月 18 (11)
茨 城350130701998年3月 2  (-)
千 葉480 (↑30)170 (0)70 (0)2022年9月 41 (38)
埼 玉480 (↑30)180 (0)70 (0)2022年10月 39 (34)
東 京500 (↑20)200 (↑20)100 (↑20)2022年7月 482 (473)
神奈川500 (↑10)200 (0)100 (0)2022年9月 125 (126)
山 梨430170702019年12月 22 (12)
長 野440 (↑40)150 (0)
70 (0)2023年4月 31 (13)
新 潟480 (↑40)150 (0)70 (0)2023年1月 26 (21)
静 岡450180902019年10月 11 (7)
愛 知500 (↑40)180 (↑30)100 (↑30)2023年4月 77 (69)
岐 阜500 (↑40)180 (↑20)
100↑202023年4月 20 (16)
三 重470 (↑30)150 (0)
70 (0)
2023年4月 27 (19)
石 川490 (↑30)130 (0)50 (0)
2023年4月 66 (37)
富 山470 (↑30)150 (↑10)70 (↑10)2023年4月 78 (51)
福 井450160702020年4月 17 (16)
滋 賀490 (↑40)150 (0)100 (0)
2023年5月 15 (12)
京 都490 (↑40)150 (0)60 (0)2022年10月 151 (106)
大 阪4902001002021年8月 428 (308)
兵 庫490 (↑40)180 (↑20)80 (↑20)2023年2月 150 (85)
奈 良440160802019年10月 19 (14)
和歌山440150802019年10月 27 (11)
岡 山450 (↑20)200 (↑40)100 (↑30)2022年12月 13 (8)
広 島480 (↑30)200 (0)100 (0)2022年11月 46 (26)
山 口450 (↑30)160 (↑10)80 (0)2022年5月 17 (12)
鳥 取450150802021年4月 15 (6)
島 根350130702005年9月 2 (-)
香 川400150602015年12月 18 (11)
愛 媛450 (↑50)150 (0)60 (0)
2023年4月 29 (19)
徳 島450 (↑50)150 (0)70 (0)2023年1月 24 (13)
高 知400150602014年12月 9 (-)
福 岡480 (↑30)200 (↑20)100↑302023年4月 36 (24)
佐 賀28013080501996年2月 1 (-)
長 崎400 (↑50)150 (0)80 (0)
2023年4月 15 (8)
大 分430 (↑50)160 (↑10)80 (↑10)2022年12月 131 (6)
熊 本450 (↑50)150802022年11月 49 (11)
宮 崎350130602008年2月 11 (4)
鹿児島420150802019年10月 261 (62)
沖 縄3701701002006年2月 3 (1)


それぞれの都道府県の銭湯(一般公衆浴場)軒数と、(その中の公衆浴場組合員数)は、
一般公衆浴場数は、「厚生労働省の衛生行政報告」の令和3年度(2022年3月)の軒数、
各県の公衆浴場組合員数は、「全国公衆浴場業者 東京都大会」資料の2022年4月現在の組合員数。
組合員数が「ー」になっている県は、すでに県の公衆浴場組合(銭湯の同業者団体)が解散している県です。


ちなみに、入浴料金が極端に低い県は、その県の銭湯の数が減りすぎて、浴場組合が解散したり実質活動停止状態になり、ここ10年以上入浴料金の審議会が開かれていない県です。


◎全国の銭湯入浴料金と軒数 一覧表 (最新版)


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